生活人コラム



 INO.VOL.14 SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)重症急性呼吸器症候群【井上 透】--2003.6.1

 [執筆者]
 井上 透
 [紹 介]
 ブリヂストン健康管理センター勤務の産業医。大学講師。医学博士。
 企業の健康管理センタ−に所属して、社員の肉体的および精神的な方面まで含めた総合的な健康管理の仕事をされています。




 1. 背景

 原形はコロナウイルスという可愛いらしい名称です。もともとは鼻風邪ウイルスでした。

 今回の中国南部からの発生を聞いて思い当たるところがあります。

 毎年流行るインフルエンザの場合ですが、いつも中国南部から新型抗原変異株が発生します。
 トリとブタなどの家畜との共同生活という不衛生な状態で、トリとヒトのウイルスをブタが共有感染をおこし、ウイルスの遺伝子組み換えがおきて新種ウイルスが誕生します。これと類似の現象が起きたのではないかと推測していました。

 今回のSARSウイルスの場合は、ハクビシンやタヌキなどの野生動物をこの地域の人々は食用としており、その動物から検出したコロナウイルスがSARSウイルスの遺伝子配列と酷似していることがわかったという香港大学の発表があります。

 ヒトに感染しやすいようにウイルスの遺伝子組み換えがおきて誕生した可能性があります。中国南部のゲテモノ食いの悪習がSARSのヒト感染のきっかけになったのかもしれません。

 2002年11月に広東省で発生、その後3ヶ月は中国政府の情報非公開で不明です。
 2003年2月に香港ホテルから端を発して中国全土、香港、台湾、シンガポール、ベトナム、タイ、カナダへと旅客航空機を通じて世界中に伝播しました。日本では可能性例はありますが、いまだに認定された症例はありません。


 2. 感染経路

<接触感染>

 ヒトとヒトが接触して患者さんの排泄物、分泌物(鼻水)を通じて伝播する感染様式です。
 医療関係者、介護者、付き添い家族のように、患者と濃厚な接触した場合におこります。

 アモイガーデンというマンションでは糞便-口感染がおこっています。トイレの配水管と各部屋の排水管がつながっていて、しかも配水管に亀裂が入っていたり根つまりして汚物が室内に逆流したこともあったようです。あるホテルでは、トイレ用のモップを床を拭くのと併用したために、同じ階全体の床面にばらまかれて感染が拡大しました。

 中国のトイレはとても汚いと中国出張者からも聞いています。排水が悪く糞尿がそのままになっていたりして、汚染臭がたちこめているというのです。ある日本人が中国の病院に入院した時の話では、ベッドのシーツ交換は週に1回だけで、とても不潔に感じたということです。

 下痢便は4日間、普通便は2日間、尿は1日間にわたりウイルスは生存します。糞尿の処理を適切にしないと感染源の放置につながります。

<飛沫感染>

 咳、くしゃみ、会話で飛んだ大粒子(5μ以上)が鼻腔・口腔粘膜・結膜に付着します。1ー2mぐらい飛沫します。患者さんがマスク装着することでかなり防御できます。

<空気感染>

 小粒子(5μ以下)が長時間空気中を浮遊します。吸入により感染します。結核・麻疹・水痘も同様の感染をおこし、いちばん恐ろしい感染様式です。初期の院内感染状況から推測すると、この感染様式の可能性もあります。

 感染防御のためには特殊な陰圧の空調施設が必要ですが、コストがかかります。部屋の窓を開放して十分な外気を入れるなどの換気が重要だと思います。医療従事者のように患者に近接して診療をする場合は、N95という特殊マスクが要ります。

 基本的には接触感染と飛沫感染が中心で、空気感染も否定できませんが大きくはありません。感染力はインフルエンザよりも弱いと推定されています。


 3. SARSにまつわる2つの不思議と個人的見解

 初期の感染拡大は伝染病とわからずに無防備だったのでやむおえないところがあります。

 不思議なのは、マスク・ガウンなどの防御策に努めているはずなのに、最近の台湾ではいまだに院内感染者が多いという点です。

 その点、ベトナムのSARS制圧に成功したバクマイ病院でのユニークな対応は注目に値します。WHOが推奨する陰圧病室・個室がなかったので、ベッドを同方向に並列させて対面式をなくし、窓を開けて陽光を受け入れ風通しを良くして換気を重視したのが画期的です。

 伝染病と聞くとすぐに「汚れた空気と共に患者を閉じ込め隔離しよう」と考えたくなりますが、「外気を入れてウイルスの拡散を促し繁殖を抑えて感染力を弱める」という発想の転換が効を奏しています。人権にも配慮した低コスト対策だと言えます。

 近代建築は気密性が保たれているので、空調・換気の不整備が逆に感染リスクを高めてしまう恐れがあると感じています。

 もうひとつ不思議なのは、海外旅行や留学などであれほど世界中を往来していた日本人にいまだにSARS感染確定者がいないことです。

 日本人には中国人にない特有の抵抗力があるという説や偶然説を唱える人もいるが、私はそうは思えません。日本人だって普通に風邪をひくし免疫機能の低い人もいるはずだし、少人数の感染者が出ても良いはずです。

 先日、SARS感染の台湾人医師が数日間も日本に滞在し行政の保健対応が全くできなかったにもかかわらず、2次感染者はいなくて早々と安全宣言が出てしまいました。

 これらの状況から推測すると、日本人の定期的手洗いや清掃、毎日入浴などのきれい好きの衛生習慣に加えて、上下水道の整備、糞尿排泄物の生活空間からの排除、抗菌素材品の身辺への普及、換気空調設備の充実など、建物の造り自体が優れた衛生環境を生み出し、SARSの繁殖伝播の機会を無くしているようにも思えます。SARSウイルスは清潔な日本の風土は苦手なのかもしれません。


 4. 診断と治療

 感染して発病するまでの潜伏期間は2-6日ぐらいだと言われています。
 38度の発熱、空咳と息苦しさ、10日内に伝播地域への渡航、あるいはSARS認定患者との接触した場合という条件がそろった場合、その臨床経過から診断されます。

 多くの研究者の迅速な努力により異例の速さで診断キットができあがりましたが、現在は可能性症例者優先で厚生労働省の判断のもとで検査されています。

 伝播地域については国立感染症研究所の感染症情報センターのホームページで日々更新されているので定期チェックが必要です。

 O-157や炭疽菌のような細菌ではなくてウイルスなので抗生剤は無効です。抗ウイルス剤やワクチン製造にはまだ時間がかかります。SARSウイルス抗原は変異しやすいという報告もあります。現に、同じ患者が2度にわたりSARS感染をおこしたとの報告もあり、それを裏づけるものかもしれません。そうだとしたら、ワクチンの開発は難しい部分があります。

 発病しての入院治療は、呼吸不全に陥らないように、症状に合わせた治療(対症療法)で管理するしかなく、後は本人の免疫機能が高まって自然治癒を待つしかありません。


 5. 死亡率5-15%

 エボラ出血熱70%よりは低いけれど、インフルエンザ0.3-0.4%よりははるかに高いです。

 ただ、今回のSARS診断者の中には可能性例も含まれており、発病して死亡するのに2−3週間経過を要するので、正確な死亡率は今シーズンのSARS感染の流行が終息しなければわかりません。

 死亡率が強調されていますが、約90%の人は安静にして体力温存しておくことで自然治癒しています。免疫力を高めることで発病しなかったり軽症で経過すると思います。もともと慢性の呼吸器疾患などの病気を持っていたり、睡眠不足や過労で免疫機能が低下している人ほど重篤な経過をとると思われます。


 6. 対応策

<個人・家庭での心得>

 発病可能性のある人がまずマスク装着することが一番大切です。

 マスクは人にうつさない為の飛沫感染予防効果は期待できますが、他人からうつらないようにする予防効果は空気感染の場合は十分だとは言えません。手洗い、うがい、人ごみを避けるという心がけが大切です。都会の満員電車などの人が多くて身近で対面する場合はマスクが重要です。

 消毒方法としては消毒用エタノールが通常の薬局で販売していますし、ジ亜塩素酸ナトリウム(家庭用漂白剤:ハイター、ブライト)を水で100倍に希釈したものを共用接触部分(ドアノブ、窓の取手、手すり、スイッチ、電話機、キーボードなど)につけて拭いていけばウイルスは死滅します。

 免疫力を高めるためにも、充分な睡眠と休養をとり疲労しないように、適度な運動と食事栄養のバランスを心がけてください。 ストレス管理できなくても免疫機能は低下します。心の平静も重要です。

 衛生管理として十分な換気(定期的窓あけ、空気清浄機)と定期的清掃を心がけ、じめじめした湿気の多いところをなるべくなくすようにしてください。

<もしも感染の疑いがある場合の心得>

 必ず本人がマスクをして、家族との濃厚な接触を避けて外出は止めてください。最寄の保健所に電話連絡相談下さい。24時間体制で受付けています。指定の専門病院受診時も保健所の指示を厳守して下さい。

<中国・香港・台湾などの現地工場の心得>

 工場や従業員住宅の建物の環境衛生の点検が大切です。工場は清潔でも従業員の居住区は不潔かもしれません。

 中国内陸部からの出稼ぎ労働者の中には、信じられないほどの衛生観念の薄い人もいます。日本ではありえないような下記衛生環境の問題がSARS蔓延の一因だと思います。

1)下水経路は大丈夫か?
 下水溝が不潔になっていないか?
 下水の配管がつまったりして下水の逆流はないか?
 下水管に亀裂が入ったりして汚染物の噴出はないか?

2)上水経路は大丈夫か?
 上水源の河川や井戸水が汚染されていないか?
 上水槽が汚れていないか?
 上水管に亀裂が入ったりして汚染物の混入はないか?

3)トイレは清潔か?
 糞尿などの排泄物が流れないでトイレ内に停滞していないか?
 糞尿で汚染された空気(臭い)がトイレ内に充満していないか?
 人や家畜や野生動物の糞尿が身近な生活場に放置されていないか?

4)定期的な清掃を適切な方法でなされているか?
 トイレの清掃は清潔か?
 共用接触部分は清潔か?
 衣類や寝具の定期的洗濯はなされているか?

5)換気は十分か?
 窓を開けて時々外気を入れたりできているか?

6)作業場や共同生活区の人口が密集しすぎていないか?

(以上)

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