生活人コラム



 INO.VOL.3 健康の雑学

 [執筆者]
 井上 透
 [紹 介]
 ブリジストン健康管理センター勤務の産業医。大学講師。医学博士。
 4月からは、西日本新聞の『健康と福祉』欄で『産業医のメモ』を担当されています(毎週木曜日の朝刊)。



 NO.1 健康について 96.10.1

(健康観の再発見)

 従来の西洋医学的発想では「健康」とは病気で病院にかからず普通の生活をおくっている状態を示していました。

 この健康観が基底にあれば「〜してはだめ」「〜しなさい」という禁止・命令調の健康指導が主流になります。
 危険因子をなくすための抑圧的指導も度が過ぎると、皆さんに対して我慢を強要し生活の質を低下させ病気の恐怖心を植えつけるだけで終わってしまいます。本来は豊かで楽しいはずの健康観が失われて、かえって健康増進意欲の減退につながります。

 ここで発想を変えてみましょう。
 あなたは健康を考えて何かひとつでも心がけていることはありますか?
 この時何も答えられなかった人は、何か自分に一番できそうな事をひとつだけでも考え出してください。そして試しにまずそれを実行してみて、その心地よさを少しだけでも味わってみてください。さらにはそれがきっかけになって、生活スタイル全体が相乗的に改善していくのが理想です。

 例えば「毎日自転車通勤を始めてから早寝早起と熟睡ができるようになった。そのおかげで寝る前の酒量も減って食事がおいしくなった。運動が快感になってもうやめたくない。」
 あるいは禁煙に関しても、タバコの害を強調するよりも「タバコをやめるとご飯がおいしい。胃のもたれ感がとれて快調になれる。」という観点もあります。

 このように、原因から結果への善の連鎖・循環ができ上がり、発展的に確立された健康生活は長く継続していくものです。すると今まで普通と思っていた自分の体調は意外と低レベルの健康であったのだと実感できます。
 この小さな喜びの発見からその快感に魅せられた時が、より高次の健康に向かっての第一歩になります。

(体脂肪)

 体の脂肪は主に血液と内臓と皮下の3箇所に分布しています。

 お腹の周りにたっぷりついてしまった脂肪は皆さんの悩みの種ですが、加齢に伴った内臓脂肪の増大(例えば脂肪肝の警告など)と血液脂肪の増加(血清コレステロール・中性脂肪の高値)が動脈硬化をきたして問題になります。この3箇所の脂肪総和が検診時の体脂肪値(%)に相当します。
 外見の予想以上に体脂肪値の高かった方こそ要注意ということです。

 脂肪を燃焼させるためには、食事のカロリー制限と適度な運動が基本です。
 バターなどの油物に限らず、ご飯・菓子・果物・ジュース・アルコールなどの糖分、炭水化物のとりすぎも体内で脂肪合成の元になります。
 効率的に脂肪分解するこつは、楽な呼吸を維持して長時間の運動を続ける事です。
 激しい瞬発力を要する筋肉運動は糖代謝が主体であり、ゆっくりした長時間の筋肉運動は脂肪代謝が主体となります。

 さらには、同じ人でも腹筋運動のような局所運動と全身運動をした場合の腹部皮下脂肪の減量具合を比較研究すると有意差はないようです。
 ですから、毎日30分以上の連続した全身運動(速歩き・自転車・水泳)ができれば心地よくなおかつ美しく痩せれることでしょう。

(発ガン物質)

 皆さんが恐れているガンも、その原因としてライフスタイルの関与も大きいようです。

 30%が食事、30%がタバコ、その他に放射線や職場における有害因子の暴露や過度のお酒とストレスによる精神面での影響があります。
 発ガン性のある食品で注目されているのは、焼き肉・焼き魚・ハンバーグなどの焼け焦げ、あるいは塩辛や油揚げです。
 医科学実験によると、その部分に少量の砂糖をつけたりあるいは野菜ジュースを混ぜるとほとんど発ガン性はなくなるそうです。ですから餅を焼いた時に砂糖や砂糖醤油をつけたり、ウナギの蒲焼きや焼き鳥に甘いタレをつけるのはそれなりに意味のあることかもしれません。
 生野菜、人参、じゃがいも、こんにゃくなどは発ガン性がないばかりでなく、他の発ガン性のあるものと一緒に食べるとむしろ発ガン性がなくなってしまうそうです。これらの緑黄色野菜の中にあるβーカロチンや葉酸などは発ガン抑制物質として注目されています。
 タバコのやめれない人は、せめて緑黄色野菜を多く食べていただきたいものです。

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 NO.2 ストレスに満ちた現代社会 96.11.1

(ストレス社会)

 原始時代は、父親が狩猟で取ってきた獲物を母親が料理して家族だんらんで食事をするという画一的な単純生活の中に喜びを見出していました。
 夫の働き具合は、その獲物を見れば家族全員が理解できていました。

 ところが現代の管理社会では、妻は夫が会社でしている仕事のほとんどが理解できなくなっています。妻は夫の愛情量を帰宅時刻や家庭サービス量で計ってしまい、夫にとっては強いストレスになります。
 幸福感の質が時代とともに変わってきたのです。

 さらには新聞・テレビなどから毎日新しいマスコミ情報が大量に流されており、それを吸収し続けないと時代遅れになると危機感を覚えて追い立てられるように生きている人も、気づかないうちにストレスをためこんでいます。
 各人が好みの情報を独自に選択して身につけていった結果、価値観が多様化してしまい相手の立場が理解できず異質に見える人種(?)が増えています。

 この理解不足の緩衝剤として多くの人が共感できる基本理念の提示が必要だと思います。
 本論考も普遍的価値観を私なりに提示していますので、その共感部分を皆さんの宝物としてください。

 理想のライフスタイルも各人に合った個別のものがあり、一律に規定するには無理があります。他人に合った生き方が自分には合わないこともあり、世間の評判に迷わされない独立独歩の健康生活を、リフレッシュ休暇なども利用して再度考えてみてください。
 さらには検診の結果からどんな病気にかかる可能性が高いのか?将来の発病を回避するためにはどんな食事管理・運動メニューが望ましいのか?を考えてみましょう。

(怒り)

 同僚や上司とけんかをして悔しくてしょうがない。
 「自分に対してひどい事を言った。あんな人はいなくなればいいのに」と腹が立ってしょうがないことはありませんか?この時は次のような見方をするように努めてください。

 「自分は好きか嫌いかの2通りだけで相手を見ていたのではないだろうか。自分が好きなAさんも他人から見たら嫌いだということがある。自分にとって苦手なBさんも他人から好かれている場合もある。好き嫌いとは相対的なものだ。だから自分の主観だけで全部決めつけてはいけない。その人にも良い所は何かあるだろう。その良い所を発見できなかった自分自身にも落度はあったかもしれない。」
 このように、いったんゼロに戻して平等に相手を見ようと心がけることです。

 さらには「あの人が自分にあんなひどいことを言ったのは何か悩み苦しむ問題があって腹いせにしたのかもしれない。その悩みは何だろうか。もっと喜ばせる事はできなかったか。彼を責める事ばかりを考えていたけれど、何か優しい言葉をかけて援助できなかったか」と考えてみましょう。
 相手の怒りに対してすぐに怒り返すのなら動物と一緒です。

 相手の怒る姿から、その人の悩みや苦しみが何かを冷静に読み取る余裕を持ちたいものです。そしてたとえ不当な怒りをぶつけられたとしても、しばらくの沈黙の後に穏やかな言葉を振りまきたいものです。

(個性)

 大企業の傾向として、自分の個性を殺し周囲のうけの良い人間が重用されることがあります。
 しかし一方で、各自がその個性をある程度発揮していくことが会社の発展に関わってきますので無個性が必ずしも良いとは限りません。ところが、我の強い人は他人を押し退けてもという傾向があり、その職場のあつれきをおこしがちです。
 だからこそ個性発揮の調整が大事です。

 個性の強い人は、まず最初に他人の批判に耐えうるだけの手堅い仕事の実績を積み重ねるべきです。
 つまり、新しい仕事を任された時にいきなり我流でやらず、まず先任のやり方をよく研究し周囲の意見に耳を傾けて静かに少しずつ個性を発揮していくべきです。この順序を間違わないことです。

 また、どんな仕事もいったん自分の思い通りになったとしても、最初の新鮮な意気込みも年月の経過とともにマンネリ化していくこともあります。
 その時に思い直して常に工夫を続けていく事が大切です。
 自分のやり方のみに没頭しないで、他人の話にいつもアンテナを張って耳を傾けるべきです。
 いろんな情報を常に敏感に察知して、貪欲に自分の中に取り入れてもっといい方法はないかを考えましょう。周囲の人の要望を相手の立場にたって考えて、その許容範囲の中で個性を発揮できれば問題はありません。
 そんな精神状態の人が一人いるだけで周りの人にとっては大きなカンフル剤となり、職場全体の雰囲気の活性化の源になります。

(スランプ)

 今まで順調に仕事をこなしていたのにある時期を境に急にスランプに陥ることがあります。
 誰もが固有の人生の周期律(アルゴリズム)はありますが、毎日の業務は決まっておりスランプだからといって手をぬくこともできず努力して修正していくしかありません。
 外的要因としては、職場環境条件が変わったり仕事の失敗で評価を下げた事が引き金になることもあります。がんばって放電ばかりしていた人がオーバーヒートして(燃え尽き症候群)、体が充電・休息を欲している時期になったと言えます。
 病気発症直前の精神状態であり、その時の悩みの分析が大事です。

 例えば、ある役職についた人が不適任と判定されて降格され悩むことがあります。
 人間の本当の実力は過去の実績と現在の人格に現れます。
 ところが実力不十分なのに人を指導したり大きな仕事を任されたときに無理が生じます。そしてその無理を重ねるうちに破綻し挫折します。
 結局、自己の客観視ができていないのです。

 スランプ前の立場になぜいることができたのか考えてください。
 いつのまにか思い上がっていませんでしたか?この機会に自分は誰のために何のために働いているのか考え直してみましょう。あせらずに学習をして充電期間をとることが、その後伸びていく原動力になります。
 また、スランプに陥いる時は自己本位の考え方をしがちで他人の事を忘れている傾向にあります。意識してその苦しい時こそ他人がどうすれば喜ぶかも考えてみましょう。
 笑顔をふりまいていくうちにスランプは克服されます。

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 NO.3 普段の健康管理 96.12.1

(安全と健康)

 環境の変化に合わせて気分を切り換えるのが苦手な人や、時間に追われて焦ってしまい自分を客観視できないあわてやすい人は普段から事前にトラブル時の行動パターンを想定しておきましょう。
 マシン停止を最優先させてなるべく独りで判断せず、できるだけ仲間を呼んで相談のうえ方針を決めるのが安全維持のためにも大事でしょう。

 健康生活の王道とは中道です。
 極端な飽食・怠惰な快楽的生活に走りすぎてもいけないし、体をいじめるような過度の食事制限・過労に片寄りすぎてもいけません。
 この両極端を排して規則正しい生活・適度な軽い運動・十分な睡眠ーこの単純であたりまえの事を実行できないでいるとその過去の集積の結果として体調の変化がおこります。過度な飲酒・喫煙・夜ふかしも中道からはずれています。

 また健康にとらわれて、現代医学を極端に否定して奇妙な民間療法や健康法のとりこになるのも中道に反します。
 特殊な健康食品をとらないと健康が損なわれるという恐怖心そのものが病的な状態です。世の中にはバランスのとれた普通の食品で健康を維持している人も大勢います。
 普通の常識的な生活の維持・継続の中に健康は根づいていくのです。

(いわゆるボケ老人)

 一生のうちに何度も病気をするのは人間の宿命です。
 高齢化社会を迎えて日本人の有病者数が増加するのも当然の流れです。
 家庭内の寝たきりやいわゆるボケ老人の発生率も増えています。奥さんの看護も大変で苦しみを負う家庭も多いでしょう。できるならば病気は事前に予防することが大切です。
 健康管理者の指導を十分に理解して自分だけではなくさらに奥さんや祖父母の方たちへも広げて指導・実践できるようになっていただきたいものです。

 現在ボケていない元気なご老人がいたとしても家人の接し方によっては将来ボケる可能性はあります。
 人間は年をとると気が弱くなります。家人からいなくなれば良いのにと思われる事が最大の恐怖になっています。老人は邪魔者扱いされる精神的態度には非常に敏感になっているので愛情を持って接しなくてはいけません。
 ボケ症状は自分が優遇されていないという抵抗として無意識に現われている場合があります。年寄りを邪魔者扱いするとボケ老人になって本当の邪魔者になり結局若い人が苦労します。まさに因果応報です。

 自尊心を高めてあげられる何らかの役割・仕事(例えば孫の世話など)を元気なうちから与えておくのも大事です。
 また年寄りの趣味にあまり干渉しすぎてはいけません。機嫌良く楽しんでもらい、健康なまま長生きしてポックリいってもらうように願っておくことです。
 完全に寝たきりになった時は「できれば早く健康になってくださるか、早く神仏の恩寵を受けられますように」とお祈りするしかありません。自分もそうならないように普段の健康管理と生きがいを見つけるように努めておくべきです。

(三つのおごり)

 人は誰もが人生の途上で知らないうちに次の三つの驕りを抱いて傲慢に生きていることがあります。

 第1は若さの驕りです。
 いつまでも20代の頃の有り余る体力が忘れられず、30代の健診で運動不足を指摘されていたにもかかわらず、なにもしないで年をとります。
 50代になって軽い運動でも腰を痛め疲れやすくなり、若い頃にもっと体を鍛えておけば良かったと後悔します。

 第2は健康の驕りです。
 健診の結果から節酒の警告を受けていたにもかかわらず、今まで自分は大きな病気をしていないし自覚症状がないという理由だけで暴飲暴食を続けます。その結果いつのまにか糖尿病や肝硬変になって悲惨な生活を強いられる人もいます。

 第3は生命の驕りです。
 誰もが何年か先に確実に死にます。ところが迫り来る死を前提に毎日を精一杯生きている人は少ないようです。死期を前にしてもっと毎日の時間を大切に使って生きるべきだったと後悔します。

 このように「老・病・死」の苦しみに直面して始めて自分の驕りに気付いたけど、もう手遅れだったという愚かな人が大勢います。
 しかし賢明な人なら最初の忠告を素直に聞き入れて、自分の生活スタイルの矯正をし、「苦」を少なくする努力を怠りません。ただしそれでも「苦」は完全に消滅できません。これは人間の宿命だからです。これを完全に消し去るためには宗教的な無我の境地を悟るしかないのです。

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