生活人コラム



 INO.VOL.6 健康観の再発見

 [執筆者]
 井上 透
 [紹 介]
 ブリヂストン健康管理センター勤務の産業医。大学講師。医学博士。
 企業の健康管理センタ−に所属して、社員の肉体的および精神的な方面まで含めた総合的な健康管理の仕事をされています。



 NO.1 休養編 2000.8.1

 暑い季節になると肉体的疲労を感じる人も多く、つい休養に思いが至ります。
 そこで今回は休養と健康の関連で私見を述べさせてもらいます。

 我々は自然の摂理に従い、四季に合わせた健康管理の仕方があります。特に真夏は体力が消耗しやすいので、休養不足・睡眠不足が健康面で悪影響を及ぼします。
 私も春秋に比べると毎日の生活の中でも休養への配慮が多くなります。暑い時は頭の回転も鈍り仕事効率も低下するので、疲れを感じた時は来るべき実りの秋に向けて、豊かな実績を生み出す前の充電期間だと割り切って、ゆっくり身体を休める事もあります。夏バテ予防・体力維持の運動も必要ですが、やりすぎないようにやや抑え気味にしています。

 どんな人でも生活の中で緊張と弛緩の波があります。
 これは我々の内臓諸器官でも起きていることですが、昼間、交感神経優位の時は読書・運動能力は高まり、脳・心臓・骨格筋は刺激を受け盛んに活動します。夜間、副交感神経が優位な時は循環器・精神活動は鈍り代わりに胃腸などの消化器系が活発に動き始めます。エネルギーの放出と充電に相当するでしょう。
 人間は持続吸引放出できる精密機械と異なって放出と充電を同時進行できない不器用な所があり、各人にあった生活リズムを創意工夫して作り上げ、放出と充電を交互に繰り返して仕事をしていく特徴があります。この様子は「手押しポンプ」を連想させます。井戸から水を汲み上げる時は、レバーを引き上げて、水を放出する時は、レバーを押し下げます。傍目には、レバーを押し下げ水を放出している時にしか仕事をしていない様に見えますが、実はレバーを引き上げている行為も仕事なのです。愛の泉を放出する活動として、このようなポンプのような動き方が人間には生理的にも合っているのかもしれません。

 別の例えでは、伸びたり縮んだりするバネにあたります。
 バネがバネ足るゆえんはこの動的な所に生きがい・使命があるのだとも感じます。我々人間という動物にとって何が一番辛いかと言うと、同程度に力が加わっているのにもかかわらず、静的緊張状態に長くさらされ続ける事です。植物には耐えきれても動物には耐えきれない特性だと思います。そのため力が入っているのにもかかわらず動きが全くとれない状況が長く続けば、生活の上でのメリハリはなくなりマンネリ化して、飽き飽きした停滞感を覚えます。
 1日・1週間・1ヶ月という生活時間の中で動的な緊張と弛緩の波があることはとても幸福な事で、気分のメリハリができて単調になるのを防ぐ効用があります。

 だからと言ってこの波の高低も度が過ぎれば、欲望を求めての起伏の大きい刺激的な生活となります。
 余暇がむしろ疲労を蓄積するだけで終わるようでは休養期間とはなりません。さらには緊張が長引き活動エネルギーの放出が過ぎると枯渇して燃えつきます。逆に充電ばかりして放出を怠れば頭でっかちの野狐禅になります。また充電を止めて休養だけに浸り続ければ怠惰に流れます。このような波瀾万丈の人生リズムの中では常日頃の平静心を保つのが困難となります。

 以上のように、各人の魂の器・個性にあった愛のエネルギーの充電・放出の量的・時間的バランスを模索・実行し、滞りなくスムーズに流せていける状態、これこそが別の観点から見た健康観だと思います。このバランスを整える生活習慣の積み重ねが適正な進化に向けての体調作りとなり、中道に入った喜びを魂が感じる時だと思います。
 光の性質はその活動形態として『波』だと定義されます。我々人間は、反省をして智慧を貯える内向きの時と愛を与えて発展をめざす外向きの時という、『波』の形態をとって光のような活動するのが健全な姿なのかなと感じます。
 ストイックな平凡からの出発を原点として、その人にあった緊張と弛緩のバランス感覚を自分で修得して実践するのが健康生活の基です。仏教にある八正道の中では正命に相当すると思います。

 ここまで示した考え方は、健康生活だけでなく、仕事遂行能力を高めるためにも応用できます。
 いつも同じ単調作業を繰り返せば、収穫低減・効率性低下は早く訪れますが、ちょっと休んでボーとしたり、逆に運動をして肉体に刺激を与える事で、また新たなやる気が沸き起こり仕事がはかどる事もあります。時には余裕を持って休養しエネルギーを貯える事で重大局面で大きな実績を上げられる強靭な反発力の源が生まれます。
 いつも張りつめていないで、気分転換としての休養・運動で生活にアクセントをつける事です。長く良い仕事をしていくためには、人生の長い時間の中での仕事と休養とのバランス感覚を各人が自分にあった形でつかむ事も大事な一要素です。

 我々が仕事に行き詰まったり良いアイデアが浮かばずに壁にぶちあたった時に、思い切って突然早寝早起きをして朝の爽快な気分の中で考えてみたり、リゾート地に赴いたり、普段接しない別タイプの人達と接する事で気分も変わり新しい発想が生まれる事もあります。
 「時・場所・人との関係で悪が発生する。」という考え方がありますが、逆に休養の時にこの三つの要素と自分との関係をうまく気分転換の題材として活用すれば、新たな前進の突破口が見つかるかもしれないのです。
 多忙な仕事の時、心は外を向いており、自分を振り返る余裕もありません。休養こそ自分の心の内面を見つめられ冷静に反省が進む時でもあります。『休養』イコール『怠け心』ととらえると、悪い事をしているように思えますが、『良い仕事のための充電期間』『発想転換の期間』『自分の心を見つめる反省期間』等ととらえれば積極的な意味づけができます。

 さらに付け加えるなら、仕事や勉強が良くできる人の特徴の一つに、仕事(勉強)時と休憩時のけじめがきちんとついている事があげられます。集中的に仕事をこなし、休み時間は仕事の事で思い煩わないタイプの人です。毎日の生活が交響曲のようにリズミカルであり、メリハリがしっかりしています。
 こんな生活習慣のある人は良きインスピレーションにも恵まれます。
 仕事ができない人に限って休憩時間も仕事の事をダラダラと思い煩い、かえって疲労は蓄積し、逆に仕事中に遊びの事に思いが至って心が千々に乱れます。気分の切り換えが不得意なのです。特に仕事始めと終わりにおける切り替え時の、気分のウオーミングアップとクーリングダウンをなるべく円滑に順応していく心がけが大事です。

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 NO.2 睡眠編 2000.9.1

 今回は睡眠と健康の関連で私見を述べさせてもらいます。

 健康に関心のある人達の話題の中心は食事・運動です。
 起きている時の健康には時間や金を惜しみなく費やす人でも、眠っている時の健康についてはけっこう軽視・無頓着です。また、一般内科医の健康指導も睡眠に関しては睡眠時間と熟睡感の有無を問い掛けるだけで、それ以上の踏み込んだ指導はしません。しかし現代社会のストレス増長因子として、睡眠は大きな問題であり、健康のための大事な一要素なのです。

 今の日本で睡眠薬が必要な程の不眠症に悩まされているのは全人口の約2%と言われています。おそらく、病院に行かない慢性の睡眠不足に悩んでいる人は何十%と高率に存在すると想像します。仕事や生活に追われて満足に睡眠がとれない人、夜勤・交替勤務などで睡眠リズムを崩してしまった人、ストレスや悩み事で眠れない人など様々です。
 至適睡眠時間は平均して6〜8時間/日だという一般的な説もあります。確かに私の場合もその程度なのですが、はたして本当でしょうか?

 さて、過去の偉人と呼ばれた方達の睡眠習慣についてのおもしろい記録があります。
 ナポレオンは毎日3−4時間しか眠らなかったのは有名な話です。レオナルド・ダ・ヴィンチは4時間間隔で15分ずつ眠っていたそうです。エジソンは毎日4時間と短かったそうです。彼らは、短時間睡眠でも質の高い睡眠を確保して、覚醒中も眠気をひきづらないで精力的に活躍したのだと思います。
 現代の多忙な社会生活の中で短時間睡眠を自慢する人もいますが、起床時間にどれだけ質の高い仕事をこなせたかの実績が問われます。アインシュタインは毎日10時間も眠っていたそうで、相対性理論もベッドの中でひらめいたと言い伝えられています。

 以上から考えても、至適睡眠時間には個人差が大きく、社会生活の不適応・迷惑をおこさないように配慮しておけば良いのです。インスピレーションを受けやすくなる独自の生活リズムを追求した上で、その人にあった睡眠パターンを形成しても良いのかなとも思います。
 ある研究によれば、短時間睡眠者には行動的な人が多く、長時間睡眠者には感性の豊かな人が多い傾向性があるという事です。
 私の場合、昼間いろんな考え事をしていて頭が疲れた時、ほんの5〜10分程度の短い居眠りが効果的です。目覚めた時の頭の爽快感は特別で、少し頭が良くなったような錯覚を感じます。良きアイデアに恵まれる大切な時間なのです。いずれにせよ、自分にあった睡眠パターンを発見し実践できれば、昼間も眠気は少なく活動的となり、健康を体現でき、有意義な仕事を末永く続けていけるようになります。

 心身ともに健康でストレスがないにもかかわらず快適に眠れない人もいます。
 こんな人は外的な睡眠環境に問題があるケースもあります。例えば熱帯夜での睡眠不足は夏バテを来す大きな原因の1つです。温度・湿度・騒音・振動・照度・布団・枕・パジャマなど五感で感じるものすべてが快眠阻害因子となりえます。
 室内温度は夏は25℃、冬は12℃が適当だと言われていますが、掛け布団と敷き布団の間の温度・湿度・通気性・吸湿性(寝床内気象)が関係します。実験では、温度33±1℃、湿度50±5%が理想だそうです。枕はできるだけ通気が良くて熱を奪い、足先ははみ出さない布団で冬はアンカで暖めるという「頭寒足熱」が理想的です。

 至適照度には個人差があります。
 真暗の方が眠れる人と眠れない人がいます。一般的には、明るすぎると眠りは浅くなります。
 東向き窓の寝室で朝日が射し込んでくる場合は早朝覚醒の原因となる事があります。遮光カーテンを設置しただけで不眠の原因が解消された人もいました。騒音については窓を二重サッシにしたり、耳栓をしてみます。また、ベッドの硬さ、部屋の色調、天井の模様など熟睡するための工夫をいろいろ考えたいものです。
 睡眠はこの世の人生時間の3割近くを占める大切な営みの一つです。起床時間を疲れ知らずの有意義なものとするためにも、上記のようなこだわりも持つのは人生に勝利する智慧として大事だと思います。

 不眠症の原因にはこのような外的原因の他にもいろいろあります。
 中には運動不足の人もいます。運動による心地よい疲労が、深く充実した眠りに導いてくれる場合もあります。さらにはカフェイン・アルコール飲料や特殊な薬物も影響します。

 リズム障害・時差ボケ、神経症うつ病などの病気もあります。
 先日、不眠症と高血圧で悩む患者さんとして診たケースですが、ストレス・心の問題はなく、睡眠剤と降圧剤投薬でも管理ができなくて、私も困っていた症例でした。 奥さんの「いびきがひどくて夜間睡眠中に時々呼吸が止まります。」という情報提供で、大学病院耳鼻咽喉科のいびき外来に受診精査してもらい、睡眠時無呼吸症候群の診断が確定しました。口蓋垂が大きく気道狭窄しやすいのが原因だとわかり、特注のマウスピースを装着して眠る事で不眠症と高血圧の悩みから解消されたのです。

 このような特殊な事例もありますが、不眠の原因の大半はストレス・心の悩みです。
 不眠症に陥りやすい性格的な特徴は「生真面目で、責任感が人一倍強い完璧主義者」です。また起床時の活動形態にけじめを欠いた所があり、ストレスをためこみやすい考え方をする人です。患者さん自身もメンタルの問題だという病識があり、臨床の場では心の問題だと理解納得してもらい、アプローチしやすい点があげられます。

 悩み事を抱えたまま寝床に入った場合、夜中に何度も目を覚まし睡眠不足に陥ってしまいます。
 一時的な対症療法として睡眠薬を有効活用しても良いのですが、これは依存しすぎない程度に留めなくてはいけません。
 まず最初に、睡眠直前にはすぐに解決できない悩みごとは一時棚上げして、過去の悩みの持ち越し苦労、未来の悩みの取り越し苦労について考えるのは止めようと決意してもらい、「また明日考えれば良いや」「明日は明日の風が吹く」とけじめをつけて達観し、老荘思想・楽観主義を身につける方向で働きかける事です。『1日1生』の意味が本当に解って実践できたなら熟睡できるはずなのです。
 まずこのような悩み解消の処方箋を具体的に新たな価値観として提示し、人生の意義・物事の考え方の転換などの指導という形で対応するのが王道です。


 ところで話は変わりますが、皆さんは人間のサーカデイアン・リズム(生物体内時計)が1日25時間なのを御存じでしょうか?昼夜のわからない個室に閉じこもって時計も置かず、テレビなどの外界からの情報を断って生活を続けると、人間は1日25時間周期の生活リズムに遅れていくというのです。
 人間の住む地球の自転周期が1日24時間なのにもかかわらず、仏はどうして1日25時間周期の人類を生み出されたのか考えた事はありますか?
 もしもこれが根本仏の仕組まれた巧妙なからくりならば、私は次のように想像します。
 (たんなる私のこじつけ・妄想かもしれませんが)

 我々人間は、外界から何の刺激も接触もなく目的意識もなく生きていけば、生活が乱れて怠惰に流れていきやすいようにセットされているかもしれないのです。
 ところが、我々は、朝起床時は太陽の眩しい光刺激で覚醒を促され、毎日定刻に食事を採り入眠する事で、1日24時間周期に順応させられているのです。我々人類の生活が怠惰に流れないように、節目節目に少しずつ早く順応する事で喝を入れて適度な緊張感を持たせて、進化へと導くための根本仏の創意工夫の発明ではないかとも空想してしまうんです。
 (注意:これは私の真夏の夜の夢です。真剣に受け止めないように!)

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 NO.3 食事編 2000.10.1

 医療者の場合は、常日頃、疾病治癒・苦痛緩和に向けての医学の探求も欠かせません。
 ところが医療者は毎日あまりにも数多くの病人と接する仕事柄から不健康波動を数多く受けますので、医療者自身が正しい健康観を身につけなくては精妙な医療の実践は困難です。健康な人との接触が相対的に少ない職場なので、理想の健康体イメージを維持する心がけは医療者自身の衛生管理上からもとても大切なことです。
 この健康観の探究は疾病治療の探究と表裏一体です。

 疾病治療の探究だけにのめりこんでいる臨床医の先生もいらっしゃいますが、患者さんをより高次な健康レベルにひきあげるための医療をめざしているならば片手落ちのような気がします。理想的な健康像を明確に賦に落としておく努力が常日頃から大切です。
 医療者が健康を体現して健康波動を発散してこそ、本当に質の高い医療を施す事ができるのだと感じます。生活習慣病を考える時に完璧主義で無休で無理をして働きすぎるのもいけないし、怠惰な生産性のない快楽生活に溺れるのもいけません。このような苦楽の中道にはずれた生活がいけないのが基本です。

 栄養・食事と健康の関連で見れば、極端に栄養のバランスの乱れた食生活も不健康ですが、極端に健康食品や栄養にこだわりすぎるのも、深層心理には少しでも自分の体に合わない物を摂取すれば健康が阻害されるのではないかという恐怖で怯えているという意味でも不健康です。
 現代は経済力があるならば希望の食材を手にいれる事ができるからこそ、こんな人はこれでも持ち堪えていけるのかもしれませんが、戦争や飢饉などの物資の足りない時代が到来すればまっ先に発病します。

 東洋医学の中には医食同源・薬膳なる思想があります。各季節に合った食養生は、その季節に実り・収穫された穀物・果物が身体のために良いと言う理論も納得できます。
 たしかに病弱者に対するこれらの食事療法などの効用は否定しませんが、食の探究も度が過ぎると、その他の運動・休養・メンタルなど健康関連の生活習慣改善への取り組みがおろそかになりバランスを欠きます。

 食事に関心を抱き過ぎると心の大切さが忘れられる危険があります。
 「同じ水から蛇は毒を作り、牛は乳を作る。」という諺があります。食材は同じでも、肉体の中でそれを加工して体にとってさらに有益な物へと変えていける能力を本来我々は持っているし、仏性を有する我らは特定の食をとらなければ発病するそんなに柔な存在ではないと信じる力が健康体への第一歩です。
 もちろん有毒・有害物質で体内に蓄積性のある場合は別ですが、正しい心を維持して精進を重ねれば、健やかな肉体は保持できるはずなのです。

 私が今まで心身ともに本当に健康そうだと感じた人を観察したところでは、心が調和されて毒をくらっていない事はもちろんのことですが、自分の肉体に対する、信頼感・自信が強い点がひとつ挙げられます。
 そんな人は、栄養のバランスや腹八分などの常識的な養生観は持って実践しておられますが、意外とおおざっぱで、この健康食品でないとだめだとか、細かい食事の管理などにとらわれた偏った生活観も持ってはいません。ある程度のバランスの良い物を摂取すれば、後は自分の体に備わっている自己浄化・自然治癒能力を信じて任せて、有害な物は排泄していき自分の体に合った良い物だけを血肉へと取り入れていくんだという、大胆な信念があります。

 本当の健康人は、日々の食事を楽しく味わい、食材を提供してくれた動植物や自然や仏神の恵みに感謝の気持ちを忘れずに摂取する習慣があります。健康維持の元手として食事管理は欠かす事のできないものの一つですが、その食材・栄養・調理の探究にだけにエネルギーを費やすよりは、食物摂取を通じた愛の循環に感謝の思いを馳せて食する方が健康的です。

 今回は主に「健康」の一要素である「食」にスポットを当てて私見を述べてみました。
 独自の見解であり、異論を唱える方もいらっしゃるかもしれません。どうぞ遠慮なく御意見いただきたいと思います。

 「食」以外にいろんな要素はありますが、本来の「健康」とは仏教での「中道」の思想に含まれる位置付けの概念だと感じます。光明思想にとらわれず、智恵を介在した中道の大切さを再認識してみましょう。健康増進もこの中道からの発展に相当すると考えます。いろんな健康情報が数多くありますが、栄養学の常識は日進月歩でどんどん変わります。それに振り回されたあげく、安易で極端な生活に陥らないように注意したいものです。
 必要で確実な健康情報をストックし、日々更新して、各患者さんの体力・体質・心の傾向性に見合った個別の中道的健康生活とは何かを考えて生活指導・処方に当たっていけたら良いなと考えています。

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 NO.4 運動編 2000.11.1

 今回は運動と健康の関連で私見を述べさせてもらいます。
 前回の食事編と同様に、運動にも中道的考え方があてはまります。

 私が大学病院での循環器内科病棟研修医だった頃、心臓弁膜症術後あるいはACバイパス手術後の患者さんのいるリハビリ病棟のトレーニング室の壁に一枚の標語が額縁に入れられ飾ってありました---「過ぎたるは及ばざるがごとし」。
 心機能のやや低下した心臓は無理をすると心不全に陥ります。かと言って、リハビリを怠れば日常生活への復帰もできません。この訓語を肝に命じながらあせらずにリハビリに励みなさいという教授の意図がありました。

 運動能力は怠ればすぐに退化するし、逆に急に荷重をかけすぎて無理をすると故障をきたします。
 スポーツ選手はその時点での体調を把握して、中道的といえる適度なトレーニングメニューを常に模索しています。運動不足の人が運動を始める時、最初は苦しい日々が続きますが、それに耐えて訓練を重ねていくことで徐々に体力は増進し、疲れにくい体質へと変貌します。スポーツ競技者は、自分の肉体の限界をめざして身体を鞭打つので、苦しみは長く続きますが、粘り強い精神力の鍛練にもなりますし、他人との競争にによる切磋琢磨の精神も培えられます。
 しかし、このようなアスリートの激しい運動トレーニングは、健康面から見ると必ずしも適当とは言えません。過度の運動による筋骨格系の故障や活性酸素の身体への障害などのマイナス面も無視できません。運動を職業にしない人に適した運動メニューを各人個別に考えたいものです。

 ここで、私の半生における運動との関わりを披露したいと思います。
 少年−思春期時代の私はとても痩せていて、走り幅跳び・垂直跳びなどの瞬発力や短距離走などの能力は人並み以上にはありました。しかし体力・持久力に乏しく、校内マラソンなどでもいつもビリから2−3番を争うほどで、長時間の運動は苦手にしていました。
 学生時代は多少体力不足を補おうと、きつくなさそうだという理由で卓球部に入りましたがあまり真剣にせず、大学病院や地域出張病院勤務時代も多忙な業務に追われて運動しない日々が続いたためか、毎日疲れを感じる20代でした。そんな私が20代後半に仏法真理の縁に触れて30歳を過ぎたころに2つの転機がおとずれました。

 第1は1990年頃から始めた自転車通勤です。この自転車運動はとても爽快感を伴う楽しい運動でした。この時から基礎体力は徐々に向上していたようでした。
 第2の転機はブリヂストンの産業医になった1993年頃にありました。BSの健康管理室の50歳ぐらいの看護婦さん・保健婦さん達に誘われて、昼休みにバトミントンをするようになりました。彼女達は20代頃から昼休みのバトミントンを習慣化しており、その体力には驚きました。コート内で振り回され息も絶え絶えにこてんぱんにやられてしまい、しかも右ふくろはぎが攣るという失態まで演じてしまいました。
 15才程度年上の女性に負けたショックをばねとして、しばらく彼女たちへの挑戦を続けました。その後1年後には、彼女達よりもうまくなり、疲れ知らずの体力が身につきました。私にとってこの数年間の体力増進はめざましいものがあり、42歳になった今でも12km離れた会社への自転車通勤も苦になりませんし、体力年齢は多分今でも20代相当で学生時代よりも体力があると実感しています。
 長い年数をかけて体力を少しずつ増進していったことで、わりと苦しみも少なく、この年になって長距離ランナーの充実感に近い喜び・楽しみの気持ちがやっとわかりました。このような運動のきっかけを与えてくださった皆さんに感謝したいと思います。

 最低週3回のじっくり汗をかく運動が身体のために良いのも体感できました。
 私の場合は最初から特別に意図したことではなかったのですが、いきなり激しい運動をしないで有酸素運動で徐々に基礎体力を高め、最後の仕上げとしてやや激しい運動に段階的に移行できたのが良かったと思います。
 現在はまだ老化に伴う体力低下は自覚していませんが、歳をとるにつれ今後の生理的身体機能の低下にあわせて、徐々に運動適当量を抑えていった方が良いかなとも思っています。

 体力増進は仕事の遂行能力増進へと反映されました。心の中がプラスの思いで満たされてもなかなか実行できなかったという実践面での物足りなさが、体力向上とともに行動力増大の効果として発現されました。長時間集中的に業務がこなせるようになり効率性も増しました。
 たとえ仕事がハードで最後は疲れても、睡眠・休養後の体力回復も速く翌日に疲労が持ち越される事はなくなりました。好不調の波も少なくなり、仕事のむらも少なくなりました。風邪もほとんどひかなくなりました。普段から疲労を感じなくなる事で、休日もリラックスでき、くつろいだ時間も増えて、プラスのインスピレーションが増えてきました。疲れが少ないと、読書などの勉強もはかどり、思索中の悩み事や雑念を考える時間も減りました。

 健康のためには「食事・運動・禁煙・節酒・睡眠・休養」などの精進が必要ですが、その時にこの智慧を獲得するという方向性はいつも見失ってはいけないと思います。
 世の中には、食事・運動などの生活習慣を整えて健康維持だけに励み、これが人生の最終目的となっている人も数多くいらっしゃいます。確かに健康維持は幸福の基・前提条件として大事なものです。
 しかし、あるレベルの健康を達成できたなら、そのエネルギーを元に智慧を獲得し住みやすいユートピア社会建設のための実践活動へと展開していく事、この次の段階こそがこの世に生を受けた我々の本番とも言える舞台なのです。「健康を原動力として智慧を獲得し、与える愛の実践活動の喜びと幸福感をなるべくたくさん今世のきづきとして身につけて持ち帰って欲しい。」と神仏は願っておられるのだと感じます。

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 NO.5 喫煙編 2000.12.1

 健康阻害の生活習慣でダントツの悪影響を及ぼすのは喫煙でしょう。
 今回は喫煙と健康の関連で論述してみます。

 喫煙本数と虚血性心疾患(心筋梗塞や狭心症)の発病危険度には、正の相関があると疫学的にも証明されています。
 一酸化炭素・ニコチンなどが動脈硬化を促進・悪化させます。また、生体内への活性酸素の攻撃に対する防御因子のひとつであるビタミンCなどの抗酸化物質も、喫煙で減少することが実験で確認されています。最近、動脈硬化の発症・進展に大きく関わっていると言われるLDL酸化変性の原因のひとつも喫煙だと判ってきました。また、たくさんの発癌物質がタバコの成分の中には含まれ、肺癌を代表とする各種の癌・肺気腫などとの関連も明らかです。
 もしもこの世からタバコがなくなれば、日本人の平均寿命はさらに約4〜5年伸びるという試算もあります。愛煙家には耳の痛い話かもしれませんが、喫煙の利点は私が調べて知った限りではひとつもありません。健康を考える時にも無視できないテーマです。

 最近は非喫煙者の受動喫煙の悪影響も大きく提唱されるようになりました。
 数年前に労働省から喫煙対策のガイドラインが発令された事もあり、駅・空港などの待合室、車内・機内などにも禁煙空間が広がり、空間分煙化が進みました。愛煙家の中には肩身の狭い思いをしている人もいるでしょう。

 2−3年前から、BS甘木工場でもその流れを汲んで女性サークルの活動とタイアップして事務所の空間分煙化が広がりました。嗜好をめぐっての価値観のぶつかり合いにはなかなか根気が要ります。
 まず全員に喫煙に関するアンケート意識調査を施行し、喫煙者と非喫煙者がそれぞれどんな考え方をしているのか理解を深めました。さらに代表者で地道な対話・会合を重ねてなるべくトラブルが起きないように配慮しながら、お互い相手の立場・人権を考えて折衝し推し進めていきました。その活動の結果として、非喫煙者にいかに多大な迷惑をかけていたのかという認識が喫煙者達の間で広がりました。この度は工場長が喫煙対策推進に理解・協力の姿勢を打ち出していただけたので助かりました。
 皆がすぐにでも喫煙を止めてもらえればなにも問題はないのですが、なかなかそうはいかない難しい問題を含んでいます。

 そして健康管理室では、約1年前からニコチンパッチ(塗布剤)による禁煙プログラムを組み禁煙チャレンジ者を募集しました。約10名の申し込みがありました。
 その時の面談でわかったのは、健康の上でも身体に悪いのは百も承知していながら止められないという、喫煙者の複雑で揺れる心理的葛藤です。ニコチンパッチ(塗布剤)は喫煙数を減らしたり一時中止するきっかけとして確かに有効ですが、半年以上の長期観察で禁煙成功維持ができているのはそのうちの3ー4割程度です。

 喫煙者の深層心理の特徴として「心の底にやましい所がある。」という考えがあります。
 その人が喫煙に至ったその揺れる心情・深層心理を聞き出し把握するのはとても困難で、そのピンの部分をつきとめるには愛情に裏打ちされた濃厚な支援カウンセリングが必要だと感じました。私は喫煙習慣がないので喫煙者の気持ちを十分理解できているという自信はありませんが、一部はうかがい知れました。
 その中で私の感じた喫煙者の心理的特徴を次に示します。

 喫煙を始めたきっかけである直接の心理的要因はわかりません。
 ただ周囲の人が大勢吸っていて、皆に合わせない場合の疎外感を味わいたくないという人や、格好が良くて洒落ているからという理由を挙げた人もいました。30才過ぎて吸い始める人はほとんどいなくて、大概は20才前後、10代後半の若気の至りで吸い始めるようです。若いうちは自己確立ができていないし、不安感・疎外感を覚えそうな時は周りの人を真似れば安心だという、日本人特有の全体主義・個人主義欠如の影響も感じられました。最近規制されたタバコの広告も以前は格好良さをイメージする物が多かったので、それが洗脳的役割を果たしたようにも思えます。
 いずれにせよ、親・兄弟・友人など身近に喫煙者がいて、その人の影響を受けて吸い始めたというケースが多いようで、喫煙対策としての環境改善はさらなる喫煙者発生を抑えるためにも大切だと痛感しました。

 愛煙家は喫煙の効用・利点としていろんな主張・言い訳を述べられます。
 節目での一服は、ストレスを和らげるとか、退屈を紛らわすとか、集中力を高めるとか、リラックスできるとかの4点に集約されます。ところが最近の研究では、これらの気分は幻想だとわかってきました。これらの訴えはニコチンの離脱症状が一服のタバコで和らぎ、単なる渇望感が少し薄れてきたにすぎないということです。さらに、脳に対する喫煙のプラスの薬理作用は否定されています。吸わないと禁断症状で苦しみますが、間があいた後の一服が喜びや心の支えだと誤解しているだけなのです。

 つまり、覚醒剤・麻薬患者が薬が切れるともがき苦しみますが、麻薬を1本注射することで精神状態が一時持ち直すのと同じなのです。ニコチンはどんな麻薬よりも速く吸収され、速やかに依存状態に陥り、しかも血液内のニコチン量は喫煙直後に比べると、30分後には半分量になり、1時間後には1/4量と急激に減少します。喫煙者はその都度禁断症状で苦しみます。ほとんどの喫煙者が1日20本吸うのもこのサイクルと関係ありそうです。

 ですから、タバコの本数を1日10本以内に抑えている人の方が間隔が空くので、ヘビースモーカーに比べて禁断症状に苦しむ時間が長くなるという状況もありえます。健康のため低ニコチン・低タールたばこを吸っていると胸を張る人もいますが、その分禁断症状の発現間隔が短くなり結果的に本数が多くなります。
 その他多種の有害成分を過剰に摂取してしまいマイナス効果は大きくなります。低ニコチン・低タールたばこだからといって安価なわけでもなく、売れ行きを伸ばすためのタバコ会社の巧妙なからくりのようにも受け取れます。またニコチンの禁断症状は身体的な所見は少なく、精神的な禁断症状としてのイライラ感や不安感が強いのが特徴なので、タバコによる悪影響だという病識がつきにくいのです。

 禁煙に成功した人が過食で太ってしまう場合もあります。
 理由として、禁煙で食べ物の消化・吸収能力が高まった事や、ニコチンによる体脂肪分解に抑制がかかった影響があるのも確かです。しかしそれ以外にもこのような精神的禁断症状を、間食などの摂取行動で代償している結果だとも受け取れます。さらには一度ニコチン依存症に陥ると、禁煙すると時に空虚で不安な気持ちになるのではないかという恐怖心も湧き上がってきます。

 タバコ中毒(ヘビースモーカー)になりやすいのは、仕事が忙しくストレスの多い業務をこなしながらしかもタバコはストレスを解消してくれると信じ誤解している人、あるいは単調な仕事に退屈し人生の目標を見失い刺激を求めて吸っている人のようにいろんなタイプがありそうです。

 禁煙の動機として多いのが「自分の健康のため」と「家族の健康のため」という人です。
 「自分の健康」に関しては大病を患い苦しんだためだというのが多いのですが、身内や知人が病気で倒れたのを見て心配になり思い立ったとか、意外と外的要因が大きく関わっているケースもあります。「家族の健康」に関しては初孫を抱っこする時に煙たくて嫌われたくないからというユニークな動機もありました。
 周囲の人のために止めるんだと決意した人ほど禁煙の成功率が高くなる傾向性を感じました。

 せっかく禁煙が一旦成功したにもかかわらず、また再開する人もいます。
 飲酒宴会など喫煙者が大勢いるなどの特別な機会で、気が緩んで「ほんの1本」と軽い気持ちで吸ってみた時からです。禁断の木の実ををかじった「アダムとイブ」の話のようです。やはり昔吸っていた時に比べてひどい味だと安心しておきながら、たったその1本を契機としてニコチン依存症の悪魔が速やかに忍び寄り転落の階段を下ってしまいます。

 以上まとめると、喫煙者が失っていくのは健康だけに止まらず、心の中にある快活さ・勇気・自由などの価値観も喪失します。そして本当の意味で心はリラックスできず平静心は保たれません。ニコチン渇望という貪欲の毒を無意識に食らい続けていきます。
 また、ニコチンが切れた時の禁断症状の不安感と恐怖心があります。そして禁煙に挑戦して失敗した時の挫折感と自信喪失もあります。また体に害ある物を摂取しているという自己嫌悪・自虐心と周囲の人に煙害で迷惑をかけているという後悔もあります。
 心理描写を分析してみると、喫煙している限り正しい心の調律・探求と実践は困難になります。

 禁煙成功のためには、本人がもう2度と吸わないと強く心の底まで決意の意思表示を刻むことしかないと思います。そして禁煙できた時の自分を心の中でイメージして、それを本当に喜ばしい理想の姿だと肯定的に認める事です。
 禁煙成功者の精神的勲章は、自分の心を統御できたという自信と勇気に加えて、非喫煙者から軽蔑されているかもしれないという自己処罰の念から開放され、自由と希望を抱きながら健康生活への前向きな人生を歩み始められる事だと思います。

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 NO.6 飲酒編 2000.12.31

 今回は飲酒と健康の関連で私見を述べさせてもらいます。
 前回の喫煙と同様に、飲酒は生活の嗜好・宴会での付き合いの関係上無視できない項目です。

 検診の採血結果から読み取れる肝機能障害・高脂血症・高血圧・糖尿病・高尿酸血症などの異常を示す社員について、その生活習慣に照らし合わせて検証してみるとアルコールが原因と思われるケースが結構あります。特に検診時採血の結果の中で、r-GTP値が常時50を越えて高い人は要注意です。
 これらの生活習慣病は発病初期の段階では自覚症状がないために、検診結果を示して飲酒の悪影響を説明・指導しても安易に考える人が多いのです。

 アルコール中毒・依存症に陥っている人は、その顔色・皮膚のつや・言動の雰囲気でおおよそわかります。
 特に食事を取らずに飲酒を続けている人ほど肝障害をきたしやすいのです。また肝硬変の発生率と飲酒量との間には強い正の相関があると報告されており、たとえば20才から50才までの30年間にかけて毎日3合の飲酒を続ければ2人のうちの1人が肝硬変になると言われています。酒浸りで疲れた内臓(肝・脳・膵・心)を休めるためにも断酒日を最低週2回は確保してもらいたいところです。

 喫煙と同様にこの依存症を断ち切るには並々ならぬ努力が要ります。
 飲酒中断時の手のふるえ・発汗・不眠・集中力低下などの離脱症状に加えてさらにひどい場合は幻聴・幻視・見当識障害・異常興奮が発現します。アルコールに支配され理性・良識を失った人間が立ち直ろうと努力精進するのを妨害するマイナスの潜在意識だとも言えます。

 喫煙も飲酒も大量摂取が体に良くないのは同様ですが、特に飲酒中毒・依存症に陥れば、そのいきつく先は大勢の人達に迷惑をかけ、仕事ができなくなり、家庭を崩壊させ、人生の落伍者になる危険をはらんでいます。
 今まで数人の重症アルコール依存症の患者と面談してきましたが、相談持ちかけ者は本人ではなくて、決まって問題発生で悩む本人の家族や職場の上司・同僚からの深刻なものでした。

 私が面談で接した依存症患者さんの性格・心理的特徴として、まず印象として感じられるのは孤独感です。
 患者さんの個人的な性格特性としては、家庭や職場での人間関係の調整が下手で相手に合わせて自分を適応できない不器用なところがあり、さらには、そのストレス解消・代償となる健全な趣味もありません。わずらわしい日常の雑事から逃れられる飲酒中の一時的忘却が快感・惰性となり、酒だけへの愛着が強まり酒浸りの生活へと堕落していきます。また本人を取り巻く社会的環境が変わってきても、自分流の生活スタイルや仕事上の価値観を変えて対応する自己革新ができないために生きる理想・目標を見失った人もいます。自己変革して社会に貢献していこうという気概がありません。
 一言で言えば、愛欠乏症であり与える愛の対極の価値観で固まっている人です。他人への思いやりを高めていけば、自然とアルコール依存症から縁遠くなれるはずだと感じました。

 しかしその前に、断酒まで持っていくためはいろんな方策を考え様々なハードルを乗り越えていくための根気のいる努力と周囲の者の智慧が必要です。この完全断酒には健康管理室での本人への直接指導を強化しただけでは駄目で、本人の日常生活での密着監視が不可欠で家族や同僚の方達の愛の支援が必要です。

 それでもうまくいかないならば断酒入院・加療が適当でしょう。
 数ヶ月の断酒入院をした後に復職時の健康相談をすると、以前は何を言っても受けつけない反抗的態度を示された方が別人のようにしっかりした振る舞いをされて驚かされることもあります。家族に暴力を振るい職場でも仕事上での迷惑をかけた反省の弁が自然と出てきます。家族や皆のためにも断酒を続けてまじめに働いていこうという決意を述べられます。
 断酒会に定期的に参加して同じ目標の持って頑張っている者同士の心の交流も励みになり、断酒維持への大きな役割を果たしています。「人間はどんなに魂の生地が汚れていたとしても清浄に生まれ変わることができるのだ。」という実証を目の当たりにできた感動の瞬間です。

 喫煙と異なり少量飲酒のプラス面も提唱されています。
 あの有名な儒学者、貝原益軒の『養生訓』には「酒は天の美禄なり」と適量の飲酒が健康に良く益すると説いています。また最近の医学研究を見ても、適度の飲酒が胃液の分泌を促進し消化機能を高めるというものや善玉HDLコレステロールを増量活性化し動脈硬化の予防になるとか、適量飲酒者は、完全禁酒者よりも心臓病が少なく長生きで酒量と死亡率の関係はJカーブになっているという報告や、赤ワインに含まれるポリフェノールという抗酸化物質が動脈硬化の原因と言われる活性酸素の働きを抑えて健康に良いこともわかってきました。
 また日本で100才以上の健康な長寿者の6割は、毎日少量ないし適量の酒を嗜んでいるという調査結果もあります。

 少量の酒は百薬の長ですが、飲みすぎれば身体を害するというのは現代医学の常識として確立しつつあります。ただしこれは心の修業ができていない方達が現代は多いために、その方達のストレス解消の一時的手段として、有効なのだと想像できるところもあります。

 新入生歓迎コンパなどで飲酒未経験者にどんどん飲ませて急性アルコール中毒をおこし呼吸停止をおこして死亡するケースもあります。空きっ腹で急速に飲酒すると、胃を素通りして小腸にアルコールがなだれ込み、血中アルコール濃度が急激に上昇しひどい悪酔いをおこします。空腹飲酒は低血糖の発作をおこす危険もあります。
 ですから飲酒前に蛋白質を十分に含んだ食事や牛乳を飲んでおけば、アルコールの吸収速度を弱め悪酔い予防に効果的です。またアルコール抜きの飲料水(ウーロン茶など)を合間に飲めば、胃腸での濃度が薄まり有効です。

 私が学生時代には先輩のお酌を断れず大量飲酒で困った事もあります。当時はこのような事も知らずに苦しんだものでした。
 酒の強弱は生まれつきのところがあり、アルコールの代謝産物であるアセトアルデヒドという毒性物質の脱水素酵素の多少や、脳の感受性の高低に影響されます。幸いにして私の場合は酒は弱くなかったので自分を見失うほど泥酔したことはありません。しかし翌日の二日酔いで体調不良で罪悪感を覚えていました。

 若い頃は飲酒時の気分の高揚感を快感と感じていましたが、最近は徐々に飲酒時の快感は無くなってきました。
 その日の体調によって飲酒適量は変わりますが、飲酒の度が過ぎて理性を失ってはいけないという無意識の抑制が入り、どの程度の酔い加減なら大丈夫かの線引きができるようになりました。
 会社組織に属すれば歓送会などの酒席は避けられず、人間関係に支障をきたさないで悪酔いしない程度に嗜みます。多く飲むのは月に1−2回程度の宴会の時だけで、普段の飲酒頻度は週に多くて2−3回程度です。それも夕食時に家内と350mlのビールを半分に分けるか、あるいは赤ワインをグラス1−2杯飲むぐらいです。

 1ヶ月以上断酒しても苦にはなりませんし、酒に翻弄された生活にはなっていないという自負があります。
 生活の中でさまざまな価値観を持った人達との付き合いを円滑に進めていく潤滑油として飲酒には無視できない一面もあります。また、アルコールにはその国・地域における文化を反映している事もあり、異文化の風土に接してその地域の人と接する手段として役に立つ面もあります。

 瞑想体質の人は「アルコールは精神統一を妨げる」と言います。
 仮に少量飲酒による心身のリラックス効果があるとしても、心の中の天国的な精妙波動がはじかれるのでしょう。飲酒量が多くなるとアルコールの薬理作用により理性を失ってしまいます。心の波長をできるだけいつも調律しておくためにも、お酒の弱い方ならばなるべく避るか控えめにして、飲める方でも飲酒機会はなるべく最小限度に留め、常に理性を失わない抑えた飲み方を工夫していくという戒律が必要だと感じています。

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 NO.7 老化編 2001.2.1

 高齢化社会の到来で年老いての健康維持が大切なテーマとなりました。
 今回は老化と健康の関連で私見を述べさせてもらいます。

 肉体・体力のピークは20才前後で、30才を越えると誰もが老いを感じると言われています。
 私は現在42才でまだはっきりした体力の低下は自覚していませんが、昔に比べると皮膚のはりが緩んできたと感じますし、少し白髪がめだち始めた所にその兆候を覚えます。

 検診で接する多くの社員の方達が、老化現象を深刻に受け止め始めるきっかけとして多いのが老眼です。
 平均45才から始まりますが、近点視力検査でその調節機能の低下に驚いた様子からも伺えます。さらに夜間視力の低下・動体視力の低下も伴ってきます。外界認識感覚器官である視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の5感の中でも、視覚は我々の認識能力の中では一番高度で大切な感覚だからでしょう。

 切実な老化の訴えとして、視力低下以外にも、耳が遠い・肩こり・足腰の痛みと筋力低下・歯が抜けるなどがあります。老化現象による体調不良の中には肉体的苦痛を伴うものもあり、我慢できずに病院通いが頻繁になる場合もあります。「症状が良くならない。」と言っていろんな病院を渡り回るお年寄りもいますが、病気と老化の区別が判明しないという実態もあると思います。

 診察・精密検査でも異常所見がないならば、言葉には出しませんが医師は老化現象の関与を推定する事もあります。
 その時は種々の理学療法や漢方医療などでの症状緩和を期待します。医療目標も疾病治癒よりも疼痛などの訴え緩和のウェイトが大きくなります。また高齢になるほど自然治癒力・回復力は衰えてくるので、治療効果に限界があり、症状がとれて治ったと言えるケースは少なくなります。老化現象だとあっさり認めて各人に合った生活スタイルをもう一度見直していくしかありません。

 どんな健康な人でも5感・身体能力は老いと共に低下していきますが、その時に若くて快活な頃のありがたさが身にしみてわかるようになります。
 しかし若くて体力がある頃の自分はもう諦め忘れることにして、各人が現状の体力をわきまえて年齢相応の中道的生活を模索していくしかないのです。そして体力低下を補うためにも、精神面での充実に比重を移す方向へと生活のバランスを変えていく必要があります。

 幸いにして経験からくる熟練された技能や経験知に裏づけられた判断力や直観力は年を重ねるごとに磨かれていくという長所もあります。人間国宝と言われる人は必ず高齢者であることからも納得がいきます。
 精練された芸術・技能を探究する楽しみは年を重ねる程に高まっていきます。一芸・一道に秀でた芸術家や画家に長寿者が多いのも注目に値します。高齢化社会に向けての「老人文化」の確立・充実が希求されます。
 さらには肉体が不自由な中でも正しき心の探求を重ねて魂を磨いていく喜び、頑固一徹の性格に柔軟さを付加するように努めることで円熟味を増していく喜び、そのような観点から新たなる幸福を発見していただきたいものです。

 老後の健康上の不安として、特に皆さんの関心が高いのは『痴呆(老人ボケ)』と『寝たきり』だと思います。
 『痴呆』には「アルツハイマー」と「脳血管性」の2つに大別されます。

 「アルツハイマー」は日本には比較的少なくまだ病因がはっきり特定できていません。以前はウイルス説がありましたが、最近はアルミニウム中毒説も浮上しています。アルミ製容器による飲料水や大気汚染など、種々の金属・化学物質慢性中毒の関与もあるのかもしれません。

 「脳血管性」は若い頃からの生活習慣である程度予防できます。次に示す2つの病態による脳卒中の予防生活と同様の心がけが大事です。
 「脳塞栓」とは心臓疾患があって血栓(血の塊)ができやすい状態で発病します。心臓病の治療に加えて、脱水状態にならないように普段から水分を十分に摂取して、血栓のできにくいと言われる魚や野菜中心の食生活に切り替える事です。
 「脳梗塞」は脳の血管の動脈硬化です。動脈硬化とは血管が固くなって血液の通り道である内腔が狭くなる一種の病的老化現象です。動脈硬化の進展を抑えるためには、若い頃からの低脂肪食・低カロリー・減塩食という食生活で高脂血症・糖尿病・高血圧の自己管理をする事に加えて喫煙・飲酒などの嗜好を避けて、適度な運動とストレスコントロールを積み重ねていくことです。
 これらが自助努力の範囲でできる事です。

 私は年老いていくにあたって一番大切な健康維持の項目は「運動」だと思います。
 『寝たきり』の予防には普段から筋肉・骨を適度に動かし続けるしかありません。特に足腰が弱って寝たきりになると肺炎や尿路感染などの様々な病気にかかりやすくなるので、中年期からウオーキング(歩行)などで下半身を中心に定期的に刺激を加えるべきです。

 長いブランクが開いた後の運動再開は筋肉痛・疲労を感じます。だから運動は嫌いだと言い訳をしてしない人もいます。しかしカルシウム剤を内服してじっと安静にしているよりは、歩く習慣を継続して足腰に刺激を与える方がよっぽど効果的です。さらには森林浴・山登りを兼ねてのウオーキングは自然の生気を吸い込む事もできて精神衛生上にも好ましいと言えます。このような趣味も兼ねての軽い運動だけでも良いので毎日続けて欲しいものです。
 たとえ足腰に障害がある人でも、軽量のダンベル体操などで最低限の筋力は維持したいものです。

 なかには高価な健康食品に凝る人もいますが、老人は消化吸収機能や代謝機能が低下しており若い人に比べてもその有効性は低いと思います。特に女性の場合は閉経後のホルモンの減少で骨がもろくなり骨粗鬆症をおこします。軽く転倒しただけで簡単に骨折して、それが原因で寝たきりとなる人もいます。

 骨の密度は10代の成長期のカルシウム摂取を中心とした十分な栄養が基となり、30才を過ぎれば年令とともに下降していき、それからあわててカルシウム剤を摂取しても強靱な骨は戻ってきません。成長期の十分な栄養摂取が大切です。若い女性の過度なダイエットは老後の骨折という因果応報を来たします。

 少子高齢化社会の中で膨張増大する医療費のためにほとんどの健康保険組合は深刻な赤字経営が続いています。年老いても周囲の者に迷惑をかけないで健康的生活をおくるためには、若年−中年期からの生活改善の準備が要ります。長寿でありながら自立して身の周りの事をこなし生活できる老人を『かくしゃく老人』と呼びます。

 ある研究機関が100才を越える老人819人を調査しました。
 正常な脳機能を保持している人はわずか2.4%にすぎませんでした。819人の中の数少ない神経心理機能検査が可能だった71名(男性29名、女性42名)の『かくしゃく老人』(100−105才)に対して施行された若年期からの生活実態調査にはとても興味深いものがあります。

 以下各項目に関して箇条書きにして内容を示します。

1)病歴

 大きな病気はしたことがない人が55名(77.5%)で元々頑健な肉体に恵まれています。高血圧・心臓疾患・糖尿病などの慢性疾患の罹患率が一般高齢者よりも明らかに低いのです。

2)視力・聴力

 不便を感じている人が3分の2、残りの3分の1は「読み書き」「聞き取り」に支障はありません。

3)運動機能

 歩行に不自由なのは5名のみで、ほとんどの人が歩行可能でした。従来から言われている「足腰を鍛えれば脳の衰えも少ない。」という裏付けにもなります。

4)食事習慣

 食事の好き嫌いがない人が68名(95.8%)を占めます。好き嫌いはありませんが特に好物として「肉」「乳製品」などの高蛋白食品がめだちました。長寿に結びつく特定の食品は見当たりません。ちなみに有名な「きんさん・ぎんさん」の場合も2人に共通する好物はなくて、一般的な和食を中心に腹八部目に摂取する事だけを心がけているそうです。(長寿ねずみによる実験でも、腹一杯に自由に餌を与えたねずみに比べて、摂取カロリーを60%まで減食したねずみの方が20%寿命が伸びるそうです。)
 以上まとめると、なんでも食べて腹八分目が食事に関する長寿の秘訣のようです。

5)飲酒・喫煙習慣

 多量飲酒は皆無でした。非喫煙者が65名(91.5%)であり、節酒・禁煙が「かくしゃく老人の必要条件」だと言えます。

6)長寿家系の有無

 血縁者の長寿者は「なし」が17名、「80才以上があり」が30名、「90才以上があり」が24名でした。

7)学歴

 明治10年頃生まれの義務教育のない時代であったにもかかわらず、大学卒業者が含まれていました。エリートを目指して生涯いろんな勉強を続けた人もいました。(中国・北米・欧州で行われた大規模高齢者痴呆症の疫学調査でも、高度な教育を受けていた人は後年の痴呆症の発症を予防するという結論が出ています。)多分これは年老いても知的探究心の旺盛な人ならばボケにくいという証明だと思います。
 学歴は学問探究の足場・基底となり生涯学習の習慣づけ形成・維持に寄与すると考えます。生きがいを持って愛知者を志すのが最良のボケ予防になると思います。

8)職歴

 職種との関連はわかりませんでした。ただ90才を過ぎても簡単な仕事をしている人が10名もいました。

9)同居家族

 息子夫婦との同居が一番多いようです。「一人暮らし」と答えた人がが9名いますが、実際は上下階で家族と住み分けたり、離れで起居したりしており、生活が自立的だという意味のようです。老人ホーム居住者は6名(8.4%)に過ぎませんでした。受容的な家族の中で大切に処遇されている人が多く、周囲の者の与える愛に支えられているようです。

10)性格

 50名が自分の性格は「頑固」だと表明しました。
 「言い出したら聞かない」「自分が正しいと思ったことは通す」などある程度のプライドを持って、時には明確な自己主張もできて、積極的かつ自立的な人生をおくりたいという姿勢がうかがえます。また「朗らか」「穏やか」「楽天的」「イライラしない」「せっかちでない」 という特性が高頻度に見られました。他人との交際が「好き」が50名、「普通」が18名におよび、それを合わせると外交的で対人親和性の高い人が95.8%になります。

 以上のような『かくしゃく老人』の特性を御参考ください。ちなみに明治以降の100才以上の長寿者を調べてみると宗教関係者が多いという特徴があります。

 老年者同士でお互いの老化・病気の症状を訴えて慰めあう様子は病院待ち合い室でよく見掛ける光景ですが、もっと若者と接する時間を増やして若さのエネルギーをたっぷりと吸収して欲しいものです。最近は核家族化が進んで若い人と同居できないお年寄りが増えています。価値観激動の新しい時代についていくのはつらいので、若者との接触にもひけめを感じるのはわかります。
 しかしそこは勇気を出して、デイケアなどの施設を活用したりしてもっと若者と歓談して欲しいものです。この刺激もボケ予防になります。若者と接触を重ねるお年寄りは表情も明るく若々しい生気を感じます。

 年老いてからこそ、よりいっそう信仰が大切になってきます。
 「きんさん・ぎんさん」も信仰心にあつく感謝の心を忘れないという信条がありました。ストレスコントロールやプラス発想の考え方と生き方を学び、正しい自己実現を夢に抱き、社会ユートピア建設のための奉仕活動に参加してほしいものです。真理を知的に探究するという一貫した目標・理想を抱き続ける事こそが精神的長寿の秘訣だと感じます。

 また仏教で説かれている次のような霊的人生観の獲得が老後の心の支えになります。
 仏教では「生・老・病・死」の人間の宿命が説かれています。これらの苦悩も悟りの力でもって無我の心境を獲得すれば解消できると説かれています。この世は仮の世界で霊的実相との間を永遠に転生輪廻していく我々にとって老いていく肉体も仮の宿り木なのだと悟り信じることです。死んであの世に帰り霊的自己に戻れば、若くて丈夫だった頃以上の鋭敏な視力・聴力などの感覚が戻ってきます。そして自由自在に活発に動き回れるようになれる事実を信仰で受け入れるのです。その時を楽しみ・希望の糧として、今はその準備の修業期間だと割り切りましょう。

 体が衰えた時にどれだけ心の健康を維持できるかが老年期の修業です。
 『和顔愛語』(安らいだ和やかな笑顔で、優しい言葉を人に振りまくこと)、『慈眼』(仏様のような優しく慈しみの目、濁っていない透明な目をすること)の心がけは、どんなに老いが忍び寄って体が不自由になったとしても努めていけばどなたにでもできるはずの徳目でありチェックポイントなのです。自分の半生を反省しこの世的執着を断ち、お世話になった家族・友人などへの感謝の気持ちを刻みながら心の修業を怠らないようにしたいものです。

 正しい信仰を持ち仏の光を引き入れて生きているかぎり、肉体は及ばなくても心の健康がすでに与えられているのだと気づくこともあるでしょう。そしてそれを宝物としてあの世に持って帰れる時を楽しみに待っていてほしいものです。

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 NO.8 体重編 2001.3.1

 今回は体重管理、特にダイエットと運動をからめて私見を述べてみます。

 特に女性にとっては、皮下脂肪を取り除き美しい体型を維持したいという願望は男性に比べても強いと思います。
 現代のような流通が発達して世界中のおいしい食材が手軽に摂れる飽食の環境、科学技術の進歩に伴って交通機能が多様化・迅速化して体を動かさなくても楽に移動が可能になった事による運動不足など、安易な生活に流されればすぐに肥満に陥りやすい状況にあります。

 また、最近は成長期の子供の肥満も問題となっています。
 今後は、比較的若年者からの成人病(生活習慣病)の多発が心配されます。

 高カロリー・高脂肪の洋風の食生活で成長期についた脂肪は脂肪細胞の数が増えた結果としての肥満なので、成人してからは痩せにくくて深刻です。逆に20歳すぎの中年肥りでは脂肪細胞の数は変わらず、脂肪細胞のサイズが大きくなるということです。だから中年からの肥満は努力すれば解消可能なはずなのです。

 やせるためには食事のカロリー制限と運動によるカロリー消費が基本なのはどなたも常識としてご存知でしょう。ところが「言うは易し、行うは難き。」の通り、毎日の食事制限維持と運動継続を実行するには相当の決意が必要です。

 民間療法の世界では様々なサプリメントが出回り、それに懲りまくっている方はいますが、ホルモン系に異常を来たしたり、利尿剤の成分を含む物もあり、とても危険な面があります。自助努力なく安易に痩せたいという不相応な欲望の表れです。

 肥満患者さんに食事制限の指導はとても根気が要ります。
 一時的に数ヶ月間は体重減少に持っていけたケースもありますが、長期に食事制限を継続するのは困難で元体重に逆戻りする人も多いのです。このような、ダイエットで一時的に痩せてまた肥るという繰り返しをウエイトサイクリングと呼び、生活習慣病の発病の危険が高く、かえって良くない状況だと言われています。

 生活習慣病の発生率は、過度な体脂肪(特に内臓脂肪)を伴った肥満者ほど高くなる事は疫学的にも証明されています。
 一度心筋梗塞などの大病をすれば真剣に取り組まれ成功する人も多いのですが、肥満症だけで大きな不快な自覚症状のない場合は、本人の確固たる動機と決意がないかぎり減食・運動の辛さに耐えてまで痩せようとはしないのです。

 また、食事は生活の中で「楽しみ」の部分もあり、欲を極端に抑え『なんでも制限するつらい我慢の継続だけ』の生活指導ではなかなか聞く耳を持っていただけません。健康維持のための最低限の栄養確保も必要です。できれば、調理法・素材の選び方・食べ方など智慧を働かせて工夫した食生活を考えたいものです。

 私は「痩せるために食事制限と運動のどちらかを選びなさい。」と尋ねられれば躊躇なく「運動」を選びます。
 それは、運動する事の「楽しさ」をすでに実感できているからだと思います。ですから楽しく痩せて維持継続したいのであれば、運動に重点を置きたい所です。

 脂肪も筋肉も痩せてか細い体型にしていくだけなら食事制限だけでも可能ですが、それだけでは抵抗力のないひ弱な体格で健康的とは言えません。

 理想は筋肉を増やして脂肪を減らすことなので、健康的に体重を減らすには運動は不可欠だと思います。
 我々が30分間適度な運動をしてもその消費カロリーはせいぜい100〜300Kcal程度で、体全体の基礎代謝量(安静時に生命活動を維持できる最小限度の必要エネルギー量)の1000〜2000Kcalに比べるととても少ないものです。

 この基礎代謝量は40歳を過ぎると急速に低下してきて省エネ型の体に変わります。
 20歳ごろはたくさん食べて運動をしなくても肥らなかった人が、40歳過ぎから同じ生活習慣で肥るのはそのためです。

 適切な運動メニューには個人差があり、試行錯誤でいろいろな運動をしてみてその都度自分にあった方式を会得していくしかありません。そこで運動の一般的な考え方だけを提示します。

 体重を減らすのための運動には大きく分けて次の2種類があります。

○有酸素運動(ジョギング・ウオーキング・自転車・水泳・エアロビクスなど)

 全身の動きで筋肉の収縮・伸展をくりかえす運動です。大きく息がはずまずに汗をうっすらかく程度の運動強度で、30分以上の長時間連続して行える運動です。ニコニコ笑顔の絶やさずにできる程度の運動で十分です。

 グリコーゲン・蛋白質・脂肪の体成分の分解を促すので、エネルギー代謝を高め、結果的に基礎代謝量を大きくします。特に、心臓・肺などの循環器系を刺激したエネルギー消費が大きく、体力・スタミナ作りに寄与するので、疲れにくく肥りにくい体型を作ります。

 この有酸素運動は運動開始20分以内は体に貯蔵されたグリコーゲンを分解する糖代謝が主体となります。そして20分以上経過してから脂肪分解の代謝が始まります。ですから、できるだけ長く運動しなければ脂肪の分解には結びつきません。最近はこの説にも異論が出ており、分割して短時間の運動でも効果ありとの意見もあります。

 いずれにしろ、ある程度の時間をかけなければ減量効果は期待できません。
 ところが現代は時間に追われた忙しい人が多いので、運動できる暇がないとなげく人が結構多いのです。

○レジスタンス運動(ダンベル・鉄アレイ・ブルーワーカーなど)

 これらの運動は筋肉の合成・骨量の増加を促すので体づくりの運動とも言えます。
 その運動自体に伴うエネルギー消費量はそれほど多くありません。ところがダンベルなどで身につけた筋肉の増加は徐々に基礎代謝量の増加をきたします。なぜかというと、全基礎代謝量の中で筋肉の代謝量は約38%を占めるからです。

 つまり、筋肉量を増やせば運動時間を除く23時間以上の基礎代謝量も大幅に増加し、エネルギー消費量が増えて、睡眠中にやせる事ができるという理論です。ただし十分に筋肉がついてから痩せるので、毎日継続しても効果発現には1〜3ヶ月を要します。

 以上の理由で比較的きつい思いをせずに、効率的に体脂肪を減らしたい場合に推奨されるのはレジスタンス運動です。毎日10−15分程度のダンベル運動を、毎日、3ヶ月も続ければ確実にお腹の脂肪はとれてメリハリのある健康的な体型に変身できます。

 肥満体・痩せ体のどちらのタイプにも適した運動だと思います。さらには骨量も増えて老後の骨の脆弱を防ぎますし、部屋の中で手軽にできるので体力に自信のないお年寄りやきつい運動が苦手の女性には特に向いています。筋肉がついて基礎代謝量が増大した感覚は、やる気を促し、活動的になれるプラス思考の原動力にもなります。

 この2つの運動をバランス良く併用していくのが理想ですが、時間や場所に制約のある人ならば、まずレジスタンス運動を優先してしてもらいたいものです。

 以前の、「運動編」で示しましたように、私は小学生時代は体力もなく、クラスでも一番の痩せた体型でした。
 中学生時代の身長は伸びましたが、食べても筋肉がついていないのをひけめに感じていました。高校2年の頃ある友人がブルーワーカーをして筋肉がついたという話を聞いて、さっそく購入しやってみました。当時の身長は今と同じ175cmぐらいだったにもかかわらず、体重は55kgしかなかったのです。ブルーワーカーをして徐々に60kgまで体重は増え筋肉の増加も自覚しました。

 ところが当時もジョギングなどの長距離走はあいかわらず苦手でした。
 当時はその理由がわかりませんでしたが、今のスポーツ医学の理論からすると体力不足の原因は有酸素運動が足りなかったためだとわかりました。

 現在はこの2つの運動を併用していったおかげで、けっこうたくさん食べる割には身長176cm、体重67kg、体脂肪率 21%の理想体型を維持できています。

 体重(kg)を身長(m)の2乗で割って求めた値をBMIと呼び、最近は肥満度の指標と認められています。
BMI値が25以上が肥満だと肥満学会では定義されていますが、現在の私のBMI値は22となり一番病気をしにくい体型だと知って驚きました。

 ところで、時代と文化に適した理想的体型というのはあるのでしょうか?
 個別にはもちろん違いますが、時代・社会背景・法にもとづく平均的体型はありそうです。食文化を含んだ経済・生活・社会状況に加え、時代精神の内容・傾向性によって生活しやすい体型も影響されるように感じます。

 現代は経済的にも豊かで流通・食環境にも恵まれ物資が豊富な時代です。情報量も多くて知的探求領域も幅広く、活動・活躍範囲も広い時代です。時間を効率的に費やして高度な実績を上げ新陳代謝も激しい時代でもあります。ところが生活の利便性も良いので、少し運動を怠り飽食を重ねれば生活習慣病になりやすい環境でもあります。

 本人の心がけ次第でどのような体型にも変わっていける非常にバリエーションの大きい自由な時代なのです。
 このような時代だからこそ、適度によく食べて、適度に活動できるスタミナを有した代謝量の多い筋肉質の中道的体型をめざすのも正しい健康観だと感じています。


 <健康観の再発見シリーズ>は今回の8編目でもってひとまず完結とします。

 現時点で私の考える<健康観の要点>をまとめてみました。
 私の独断と偏見もかなり含まれており、皆さんの御批判・御指導の意見をいただければ幸いです。
 ありがとうございました。

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