経済人コラム



 YOS.VOL.1 アメリカ・ウォッチング(NO.1からNO.10まで)
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 [執筆者]
 吉崎達彦
 [紹 介]
 1960年、富山市生まれ。
 一橋大学社会学部卒業後、企業PR誌編集長、シンクタンク研究員、経済団体職員などを歴任。現在は大手商社の調査部に勤務。[直通電子メール



 NO.1 id4に見るアメリカ経済好調の秘密 96.12.31

 アメリカ経済はなぜこんなに好調なのか。
 最近、この手の疑念を持たれる方が少なくないようです。
 そういう人は是非、お正月映画の『インデペンデンス・デイ』を、ご覧になることをお勧めします。実はこの映画には、アメリカ経済復活の理由を示唆する興味深い現象がたくさん隠されているのです。

 96年7月3日、独立記念日前夜に封切られたこの映画は、わずか6日間で制作費7000万ドルの元を取り、半年後には米国内だけで3億ドルの興行収入を挙げました。海外でも脅威の3億6000万ドルを売り上げましたが、日本ではお正月映画として温存され、現在『ターミネーター2』の70億円を目標にヒット街道をばく進中です。

 歴代最高の『ジュラシック・パーク』(興行収入9億ドル)を超えるのは難しいかもしれませんが、この映画のすごい点は「米国内より海外でより多く稼いでいる」点です。欧州、豪州など、もともとアメリカ映画になじみのある国々はもちろん、香港、タイ、インドネシア、韓国などでも次々に興行収入記録を塗り替えました。こんなことは今までにはなかったことです。
 つまり、ここ数年でアジア諸国の経済水準が向上すると、みんながハリウッドの良いお客さんになっていたのです。

 日本映画は日本人だけのものですが、アメリカ映画は世界の人々のためにあります。そりゃそうですよね。私だって生涯に見た日本映画の10倍はアメリカ映画を見ています。
 つまり冷戦が終わって気がついてみたら、われわれみんなアメリカ映画のよきお客さんになっていたということです。

 最初の問いに答えましょう。
 アメリカ経済の最近の強さの秘訣は、「アメリカで売れるものは世界で売れる」ことです。グローバルな競争が行われている昨今の世界市場においては、「一番多くの人が使っている商品が、最も魅力的」になります。そのため、国際的なヒット商品が誕生しやすくなっているのです。
 『インデペンデンス・デイ』のヒットは、ハリウッド映画がエンタテイメントの世界標準になったからといえるでしょう。

 実はアメリカ企業に世界標準を握られてしまったのは、映画産業だけではありません。
 私たちが今のぞき込んでいるこの画面は、ネットスケープかエクスプローラか、ウィンドウズかマックか、とにかく非常に高い確率で、アメリカ製のブラウザーないしはOSの上にあります。そもそもインターネット自体がアメリカ陸軍の実験からできた代物です。情報通信分野の世界標準は、ほとんでアメリカが押さえてしまいました。

 最近は生活物資もアメリカ企業が連戦連勝です。
 12月26日に発表された平成8年ヒット商品番付(日経流通新聞)の中でも、マクドナルドの80円ハンバーガー、ナイキのエアマックス、P&Gの薬用石鹸ミューズ、AT&Tの国際電話コールバックサービスなどがアメリカ商品です。アメリカ勢のプレゼンスは、私たちの身の回りで日に日に強まっています。
 投資先は米国債かドル預金、世界の情勢を知るのはCNNかAP電、なにより英語とUSドルを使わないことには、私たちは国際的なビジネスは一切できないのです。

 なぜ、アメリカ製品が世界標準になるのでしょう。
 実はその理由も、『インデペンデンス・デイ』の中に隠されています。

 まだの方のために遠慮しながら筋をご紹介しますと、この映画ではWASPの大統領(在ワシントン)、黒人の海兵隊隊員(在ロサンゼルス)、ユダヤ人の技術者(在ニューヨーク)、それに飲んだくれの飛行士(在西部のどこか)などが登場します。このバラバラな登場人物たちが、異星人の侵略という事態の前に徐々に集結し、最後は一致協力して戦うわけです。
 なんとなれば作り手は、アメリカを構成する各層の共感を得るために、ありとあらゆる観客の存在を前提に映画を作っているのです。
 こうした努力が、世界の誰でも受け入れやすい商品を作ることにつながります。言い尽くされたことですが、「多様性こそがアメリカの強み」なわけです。

 そもそも『インデペンデンス・デイ』の監督、ローランド・エメリッヒ自身がもともとドイツ人です。若い頃に『スターウォーズ』に感銘を受けたエメリッヒは、「いつの日かハリウッドへ」と願い、努力の結果今日の地位を手に入れました。
 世界中から集まってきた人たちが、世界中を相手に勝負をするのが、アメリカ経済の活力の源です。

 アメリカの株価についても同じ事がいえます。世界中のマネーを集めて、世界的な企業に投資しているニューヨーク市場やNASDAQは、グローバル市場の中心です。
 一国の経済の単位で考えて、「日本に比べてアメリカは・・・」などと考えていたら、日米の株価の違いは説明がつきません。マネーは映画よりも簡単に国境を越えることができるのですから、国境はないことにして考えるべきです。
 不振をきわめる日本の証券市場でも、国際優良銘柄は堅調です。
 自動車や電機で世界標準を作っているトヨタやソニーの株価は、1年前と比べればむしろ上がっています。逆に日本国内でしか通用しないほとんどの企業は、証券市場では厳しい評価をされています。なぜならそれらはいずれ、世界標準を確立したグローバル企業に食われてしまうはずだからです。

 新しい時代のルールは、たとえて言えば「2割のシェアがあればおいしい思いのできる中選挙区制」ではなく、「過半数を握らなければ生き残れない小選挙区制」です。勝ち目のない仕事はさっさと見切りをつけ、勝てるところで世界標準を打ち立てるのが賢明でしょう。
 そのへんの理屈を一番よく具体化しているのが、最近のアメリカ経済の好調といえるのではないでしょうか。

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 NO.2 第2期クリントン政権とアメリカ経済 97.2.1

 第2期クリントン政権が発足しました。
 これで今世紀いっぱいは彼がアメリカ大統領を務めることになります。3選は憲法上許されませんから、大統領にとって2期目の4年間とは心置きなく自分のやりたいことに取り組める時期となるはずです。

 クリントン政権の特徴は、なによりその閣僚人事に表れています。
 オルブライト国務長官は「女性だから」、コーエン国防長官は「共和党だから」指名されました。これらの人事は適材適所というより、クリントンのセールスポイントである「女性に優しい」「現実的な中道派」のイメージを打ち出すための配慮といえそうです。
 ですから、この2つのポストは政権内部では非常に軽い役回りとなることでしょう。

 しかし考えてみればこれは常識外れの人事です。
 なぜなら、普通はこの2つは大物をつけるべきポストなのです。
 昔から国務長官は政権内の実質的なナンバーツーが就任してきましたし、国防長官にはマクナマラ、ワインバーガー、チェイニーといった敏腕家が起用されてきました。そこへいくとオルブライト&コーエンでは小物もいいところ。「こんなことでいいのか」という声は、たしかにあります。
 しかし、これがポスト冷戦時代のアメリカを導くクリントン政権の面目躍如たるところなのです。

 政権内で大統領の最大の信頼を得ているのはゴア副大統領。ナンバーワンとナンバーツーが非常に仲が良いという点が、この政権のユニークさです。国民の側も、話し上手でちょっといかがわしいクリントンと、口べたで人格円満なゴアをセットで信頼している節があります。
 98年の中間選挙の後は、じょじょに政権の「引き継ぎ」が始まるのではないでしょうか。閣僚の主軸となっているのは経済スタッフで、ルービン財務長官とグリーンスパンFRB議長がクリントン政権のスター・プレイヤーといえるでしょう。とくにこの二人が連携して、94年2月に予想外に早く利上げに踏み切ったことは、景気を息の長いものにしたファインプレーであったと高く評価されています。

 1月20日の就任演説でも、クリントン大統領が外交について述べた部分はゼロでした。去年の民主党大会での大統領候補受諾演説でも外交は10分の1以下。徹頭徹尾、内政重視が92年の当選以来の彼のスタイルです。
 第1期のクリントン政権は、ウルグアイラウンド、NAFTAを成功させた上に、財政赤字を著しく削減して長期金利を低くすることに成功しました。唯一、政策として疑問が残ったのは日本との通商摩擦でしたが、これは日本の貿易黒字が減って結果オーライとなりました。

 クリントン第2期政権は、アメリカ経済の70カ月連続成長という記録をどこまで伸ばせるかに挑戦することでしょう。
 昨年の選挙では、共和党のドール候補という「いまいち」の相手と戦ったおかげで、公約を乱発することなく勝利できたのも心強い条件です。「21世紀への架け橋」というスローガンは掲げましたが、急いで片づけるべき宿題はほとんどありません。

 私のクリントン政権への評価はいささか高すぎるかもしれません。
 しかし、アメリカが「パックス・アメリカーナ・パート2」ともいうべき繁栄を迎えつつあることは事実です。クリントン政権の経済政策が大筋で正しかったことは間違いないでしょう。なかでも私が感心するのは、「何もすべきでないときは、何もしない」という姿勢の明確さです。

 92年の選挙で、シリコンバレーはクリントン支持に回りました。
 そのとき、クリントンが「自分が当選したら何をしてもらいたいか」と尋ねたところ、彼らは*Please leave us alone.*、つまり、ほっといてくれ、と答えたそうです。政治にはなにも期待しない、補助金も公共事業もいらない、規制緩和だけやってあとは見ててくれ、というのがシリコンバレーの政治への態度でした。

 このあっぱれな姿勢が、今日のアメリカの情報通信産業を支えています。だいたいマイクロソフトやネットスケープは、政府に補助金や大型プロジェクトをねだったりしません。
 一方で、民間に対して本当に口出ししない政府の側も立派です。
 政府と民間の役割がはっきりしていること、これは今現在うまく回転しているアメリカ経済の大きな強みであるといえるでしょう。

 ところでそれを追いかける日本では、ベンチャーに補助金を付ける話はさかんでも規制緩和はさっぱり。
 この辺の発想を逆転させないと、アメリカとの格差は広がる一方ではないかと心配になってしまいます。

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 NO.3 アメリカ経済を支える4つのM 97.3.1

 この欄では毎回、「アメリカ経済の強さの秘密」を連続して探っています。
 第1回 では国境を超えるアメリカ特有のダイナミズムを、第2回では政治におけるクリントン政権のスタンスを取り上げました。今回はより一層核心に切り込むこととして、アメリカの産業基盤(インフラストラクチャー)について考えてみましょう。

 グローバル・マーケットにおける国際競争力は、その国がどのような比較優位を持っているかに左右されます。とくにインフラにおける優位性を持つことは重要です。
 普通、インフラというと交通、通信、発電、水道などの公共機関を連想する方が多いでしょうが、産業を支える要素はそれだけではありません。よその国にはなくて、アメリカだけに存在するインフラを、「4つのM」という形で説明してみたいと思います。

 ひとつ目はMoney MarketのMです。

 日本では銀行などによる間接金融が主体ですが、アメリカは資本市場を中心とする直接金融が主体です。民間から集めた貯蓄をどの産業分野に振り向けるかは、銀行の融資担当者が決めるのではなく、株式市場などが市場原理に基づいて決定するわけです。投資家は儲かる事業、将来性のある事業に金を出します。
 逆に言えば、魅力のない企業は資金を得られません。こういった厳しさが、企業に厳しい競争を強いることになり、結果的に効率のよい投資を可能にしています。
 またベンチャーキャピタルのようなメカニズムがあって、リスクのある事業に資金や人材の世話をしてくれるのもアメリカの強みです。貯蓄率の低さにもかかわらず、しかるべき部門にしかるべき額の資金が効果的に回るのがアメリカ経済の強みといえましょう。
 「土地を持ってる大企業にしか金は貸せない」みたいな間接金融のシステムに比べれば、その有利さは一目瞭然です。

 2番目はMilitaryのM。

 これはアメリカが世界で唯一の軍事大国であるというだけでなく、軍事関係の過去の投資が今となっては宝の山となっていることを意味してい ます。
 インターネットが陸軍の実験から誕生したのは象徴的な事例です。
 92年頃のアメリカでは、「冷戦終結によって、防衛関連企業の多いカリフォルニアには200万人の失業者が出る」と言われたものです。ところが今日では、同州はもっとも好況な州のひとつとなっています。これだけでも、いかにこの予想が前向きにはずれたかがわかるでしょう。
 衛星事業や電気自動車、太陽熱発電など、21世紀の産業として夢のある技術のシーズの多くは、これらの防衛産業に埋もれています。

 3番目のMはMedia(媒体)としましょう。

 いわゆるメディア産業は、国際標準という名の独占が生じやすい業態です。
 この分野でアメリカ企業はいくつもの覇権を制しています。放送における3大ネットワーク、報道におけるCNN、映画におけるハリウッド各社、テーマパークにおけるディズニー、インターネットにおけるネットス ケープなどは、今後他の企業がその地位を脅かすことがきわめて難しいほどの地位を確立済みです。
 アメリカが2億5000万人という巨大な国内市場を有していること、そしてまた世界の英語使用国民すべてが、アメリカ発のニュースやエンターテイメントを抵抗無く受け入れることが強みです。
 ゲームとカラオケにおいては、日本勢がかろうじて世界制覇に成功したようですが、それ以外の分野はすでに勝負あったかもしれません。

 最後のMはちょっと苦しいこじつけですが、Men/Women、つまり人材ということで す。

 ひとつは大学やシンクタンクなどの知的な層の厚みで、世界中の頭脳が集まるようになっていること。そしてまたビル・ゲイツのような天才が育つ土壌はアメリカならではといえましょう。「40歳で資産1兆円」なんて馬鹿げたことが、本当に実現してしまうのですからたいしたものです。

 こうして4つのMを取り上げてみると、「アメリカ経済に死角なし!」とさえ思え てきます。しかしこれがほんの少し前の91年頃にはまったく状況が違っていたのだからおもしろいものです。
 アメリカ経済の地盤沈下がささやかれていた当時は、

(1)Money Market:アメリカは直接金融が主体だから地道な製造業に金が流れない、
(2)Military:軍事的負担が経済全体に重くのしかかっている、
(3)Media:情報通信産業はまだ大したことがなかったし、
(4)Men/Women:人材に至っては、「アメリカ人 は労働意欲に劣る」

 とまで言われていたのですから。

 まさに長所と短所はうらおもて。ピンチの後にチャンスありといいましょうか。時代の変化は激しいものがありますから、「4つのM」が再びアメリカ経済の足かせとなる日が来ないとは言えますまい。

 それはさておき、日本経済が再生の道を歩むには、どこに優れたインフラがあるかを再発見しなければならないでしょう。

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 NO.4 アメリカの経営、日本の経営 97.4.1

 長年手塩に育てた子供が独り立ちするときが来ました。
 そのときお父さんは、「どんなに苦しくとも稼いだ金の一部は必ず仕送りしなさい。それが社会のルールだからね」と言いました。お母さんは、「仕送りなんてしなくていいから、お金が余ったら貯金をして生活を安定させなさい」と言いました。

 さて、子供の未来を考えるとき、 この父母のどちらが適切なアドバイスなのでしょうか。いろんな考え方があるでしょう。
 実はこのお話は、日米のジョイントベンチャーをめぐる議論から生じたものなのです。つまりお父さんはアメリカ企業、お母さんは日 本企業、子供は日米合弁の子会社というわけ。

 日米で設立した子会社で、利益が出始めるやいなや、アメリカ側親会社は配当を要求。これに対し、日本側親会社は内部留保を積み上げてようと主張しました。この議論は、ちょうどアメリカ経済の没落がささやかれていた時期だったこともあり、日本側の肩を持つ人が多かったようです。
 確かに製造業を育てるという観点からすれば、日本型の方が優れているように思えます。できたばかりの新会社、まだまだ経営は安定していません。せっかくの利益は、工場を拡張するなり、従業員を増やすなり、事業にかかわることに再投資したくなります。
 アメリカ型はそうはいきません。遊びじゃないんだぞ、とばかりに株主が企業に配当を迫ります。余裕がないというか近視眼というか、これでは子会社の業績も伸びないかもしれません。「日本は長期的視野、アメリカは短期的視野」という昔はやった言葉が思い出されます。

 ところがあれあれ不思議。日本型経営で育った企業は、株主というお母さんが優しいことをいいことに、もうかったお金を株主に分配することを惜しみ、財テクに走ったり、無謀なプロジェクトに投資したり。果ては超豪華な社員寮を作ったり、メセナと称して美術作品を買ったり贅沢三昧。総会屋にまで大盤振舞いした企業もあったとか。
 そしてバブルが崩壊したら、見るも無惨な姿となってしまいました。かくして今日のストック調整、バランスシート問題を抱えた日本企業の姿があります。

 対照的に、アメリカ型経営で育った企業は、無茶をしようにも株主という恐いお目付役のお父さんがついています。収益の望めないところへ資金を投じようものなら、「そんな金があるなら配当に回せ」と怒られます。というわけで、企業はリストラをして社員を減らしたり、合理化や情報通信関連の設備投資を行い、経営体質をスリムにしました。
 かくして生産性は一貫して向上し、収益力の高い体質が定着しました。

 もう一度考えてみましょう。日本とアメリカ、どちらが長期的視野なのか。
 一概にはいえないことでしょうが、株主重視の経営によって、お金の使い方にディシプリンができたアメリカ企業の方が、結果的には正解だったように思われます。株主よりも企業自らの論理を優先した日本企業は、ついつい自分を甘やかして、弱い体質になってしまいました。
 短期的にはお母さんでも、長期的にはお父さんのアドバイスが正しかったのです。

 株主を重視する経営は、正しいことです。
 それは企業経営を衆人環視の下にさらし、甘えを排除し、緊張感をもたらします。経営者は高い配当を出し、株価を上げなければなりません。企業のパフォーマンスは証券市場ではっきりと示されます。しがらみやおつき合いで仕事はできません。
 反対に株主を軽視する経営では、企業経営への監視が働かず、社長が独裁者になってしまう恐れがあります。

 最近、日本でもROE(株主資本利益率)重視経営といったことが言われるようになってきました。これは日本企業が、ある程度投資家を気にするようになってきた表れといえるでしょう。
 1200兆円もあるという金融資産を、郵便貯金や長期国債ではなく、企業に投資してもらおうと思ったら、それなりのサービスをしなければなりません。郵貯や国債以上の利回りを保証するのはもちろんですし、できれば企業経営というリスクに見合ったプレミアムをつけるべきでしょう。
 企業内容のディスクロージャーも完璧を期さなければなりません。企業が不祥事を隠したり、不良債権の額をごまかすことは、投資家がもっとも嫌うことですから。

 資本が国境を越えて動き回る今日の経済では、株主重視経営が世界の趨勢となりつつあります。日本でも来年4月からは為替取引が自由化され、海外投資がますますやりやすくなります。そろそろ私たちも、アメリカ型の企業経営の論理に慣れておく必 要がありそうです。

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 NO.5 アメリカ海兵隊を考える 97.5.1

 沖縄基地の特別措置法が成立しました。このことに関連して、「保保連合」といった政局ネタや、沖縄県民の負担といった社会ネタの報道が多いようです。しかし、沖縄駐留米軍の3分の2をしめる「アメリカ海兵隊」そのものへの関心は高くない様子です。
 そこでお節介ながら当欄がご紹介しましょう。

 筆者がある米国人家庭に招かれたときに、高校生の次男に向かって親がこんなことを言っていたのを覚えています。「兵役につくのなら、海兵隊だけはダメよ。でも海軍ならいいわ。あれは海兵隊が占領した後をついて行くだけだから」。
 親心というのはどこでも同じですね。この一言でもって、海兵隊がいかなる存在であるかのイメージがつかめるでしょう。つまり海兵隊とは、日本の組織で言えば、警視庁捜査一課か某大手証券営業部かといった、怖いおとこたちの集団なのです。

 そもそもアメリカの軍隊は5つに分かれています。陸軍、海軍、空軍、海兵隊、そして沿岸警備隊です。他の4つは名前から言って「守備範囲」が明確ですが、海兵隊だけはもともとの使命があいまいです。
 野中郁次郎著『アメリカ海兵隊』(中公新書)によれば、海兵隊誕生の理由は「イギリスに同じ組織があったから」に過ぎなかったとか。
 しかし存在意義が不確かだったために、海兵隊はつねに自己革新を続けなければならず、ついに「海から上陸して陸上の敵を討つ」という独自のスタイルを生み出しました。その優秀性がいかんなく発揮されたのは他ならぬ太平洋戦争で、ガダルカナル島や硫黄島で日本軍を破ったのは、米国海軍ではなくて海兵隊だったのです。

 今日、有事の際に真っ先に出動するのは海兵隊と決まっています。陸軍が出るのは、戦線が相当に拡大して、空軍が十分に空爆を行って、補給も万全の体制になってからです。その点海兵隊なら、大統領の命令一下、ヘリコプターを駆ってライフルと携行食糧だけで敵地に侵入し、ジャングルでの隠密行動から派手な市街戦まで展開します。実際、1983年のグレナダ侵攻、89年のパナマ侵攻も海兵隊でした。
 つまりとっても頼りになる反面、荒っぽくておっかないというわけです。

 海兵隊の特徴を一言でいいあらわした表現に、"The Marines are looking for a few good men."があります。これは海兵隊を描いた映画の題名にもなりましたが、「少数精鋭 」が彼らのモットーです。
 そういえば、当欄の初回で紹介した『インデペンデンス・ デイ』の黒人パイロットも海兵隊員でした(恋人が「彼はマリーンなの」と誇らしげに言うシーンをご記憶でしょうか?)。もちろん光あるところ陰があるわけで、キューブリック監督作品『フルメタル・ジャケット』の中では、ベトナム戦争時代の海兵隊が、ハードな訓練で兵士の人間性を容赦なく破壊してゆく様子が描かれていました 。
 良くも悪くも「一致団結、金太郎飴」が海兵隊の真骨頂です。

 さて、少数精鋭を旨とする合衆国海兵隊は、全部でも3個師団18万3000人に過ぎません。そのうち第3海兵遠征軍の約2万名が沖縄に駐留しています。沖縄という戦略上の要地にいる海兵隊は、極東から遠く中東までににらみを利かせています。
 このことは、東アジアの安全保障を考える上で、非常に明確なメッセージを発してい るといえるでしょう。それは「アメリカはアジアに関与する」ということです。ここから先の「日米安保」や「沖縄」の議論は、いろいろな場所で行われているのでここでは繰り返しません。

 当欄の関心事はもっぱら、「アメリカの強さ」を論じることにあります。
 もちろん、アメリカの軍事力が強いことは誰でも知っています。ここで強調したいのは、米軍の強さは核兵器やパトリオット・ミサイルといった装備だけでなく、「ライフルを使った白兵戦」のように、個人の勇気や指揮官の判断力、さらには組織の柔軟性などを競うような場においても、相当なものなのだということです。
 アメリカのように生活水準が高い国で、しかも職業軍人の伝統がなくて民兵主体の歴史を持つ国で、このように強力な軍事集団が育ったのはまことに興味深い現象だと思います。
 「なぜか」についての的確な答えは筆者は持ち合わせませんが、これもまた、われわれが直面するアメリカという巨大な国の一面であることは、承知しておいた方がいいでしょう。

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 NO.6 アメリカの千両役者たち 97.6.1

 お国柄を示すものはいろいろありますが、その国の紙幣に誰の肖像が描かれるかというのは、結構その国の個性を物語っていて興味深いものがあります。
 歴史と文化を大切にするヨーロッパでは、芸術家や科学者が多く使われます。イギリスやタイでは王様や女王様。中国の人民元は無名の人民たちですが、最高額紙幣に限って毛沢東などの建国の祖が描かれています。日本は3人揃って教育者と文化人路線。つまり日本は教育を大事にする国だ、と世界に向かって広言しているようなものです。大丈夫かな?

 さて、この点、アメリカのドル紙幣の人選にはちょっと疑問符がつきます。
 ワシントン(1ドル)、リンカーン(5ドル)、ハミルトン(10ドル)、ジャクソン(20ドル)、グラント(50ドル)、フランクリン(100ドル)という顔ぶれは、大統領が4名、財務長官と外交官が1名ずつで、なんと全員が政治家です。アメリカってそんなに政治が大事な国だったのかと、なんだか違和感を感じてしまします。
 もし政治家から選ぶのが国是であったとしても、今の人選にはいささか納得しにくい点があります。グラント大統領は無能で有名だった人物でしたし、偉大な大統領の常連であるジェファーソンが、めったに見かけない2ドル紙幣というのもご本人は納得しないでしょう。二人の偉大なルーズベルト(セオドアとフランクリン)のうち、どちらかを起用すべきという声が出てもおかしくありません。何よりこのご時世に、全員が白人男性というのが不自然です。

 そこでアメリカのキーワードであるところの「多様性」を考慮しつつ、「本当はこうあるべきじゃないか」というアメリカ紙幣の人選を勝手に行ってみました。

 まず1ドル紙幣はマーク・トウェイン。
 アメリカ文学を代表する作家を一人だけ選ぶとすれば文句なしに彼でしょう。最少額紙幣の肖像に、トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンの生みの親が使われるなんて、考えただけでも愉快じゃありませんか。彼の「庶民性とユーモア」の文学は、もっともアメリカらしさを感じさせるものです。

 5ドル紙幣にはトマス・エジソン。
 これは技術者および産業界の代表として起用しましょう。アメリカの産業を築いたのは、この手の突拍子もない天才たちです。今日のビル・ゲイツも、その系譜につらなる一人といえましょう。こういった人たちの努力と霊感に支えられて、アメリカ経済は世界の最先端を走り続けています。

 10ドル紙幣はヘレン・ケラー。
 いうまでもなく三重苦を乗り越えた社会事業家です。アメリカ社会の自立と博愛の精神を体現した女性として、これほどふさわしい人はないでしょう。もちろん、教育者代表ということでアン・サリバン先生になっても異存はないところです。

 20ドル紙幣にはチャールズ・リンドバーグ。
 「翼よ、あれがパリの灯だ」でおなじみ、初の大西洋横断無着陸飛行の英雄です。崇高な目的のためではなく、賞金2万5000ドルが目当てだったという点も実にアメリカ人らしくていいですね。でも晩年には対ナチス協力でミソをつけちゃいましたので、この人選にはユダヤ人団体の反発が予想されます。その場合は、人類初の月面着陸のアームストロング船長でも良しとしましょうか。とにかくチャレンジ・スピリッツの代表者を入れたいところです。

 50ドル紙幣にはマーチン・ルーサー・キング・ジュニア。
 政治家ではなく、聖職者の代表としてカウントしましょう。「私には夢がある」と理想を訴えた彼には、低額紙幣は似合わないでしょう。彼のような指導力、寛容、説得力、カリスマ性などは、この国をまとめていくリーダーに求められる最高の美徳といえます。

 100ドル紙幣はアルバート・アインシュタイン。
 ちょっと変かもしれませんが、移民代表として入れてみました。科学者として、平和主義者として、人類の進歩に多大な貢献をした彼は、世界の基軸通貨の最高額紙幣としてふさわしい人物ではないでしょうか。

 こうやって各方面の人物を並べてみると、ようやくアメリカらしい感じがしてきました。欲を言えば、もう少しマイノリティを入れて多様性をアピールしたいのですが、少なくとも現状よりは前進したのではないかと思います。
 他のすべてをさしおいても、政治家を紙幣に使うアメリカの価値観にはそれなりの歴史的必然性があります。しかし「すべての政治はローカルである」というくらいですから、いくら偉大な政治家であっても外国人にとっては有難みがわかりにくいものです。
 その点、エジソンやヘレン・ケラーなら、日本の子供用教科書にさえ載っています。ドル紙幣はアメリカ人だけのものではなく、世界中いたるところの国民が使うものですから、上記のようなラインナップの方が、「アメリカ的価値がなんたるか」を伝えるためには良いように思います。

 それにしてもアメリカの短い歴史の中には、なんと大勢の千両役者がいることでしょう。
 近現代史からアメリカ史を除いてしまうと、非常に魅力のないものになってしまいます。今日の世界の文化やスポーツから、アメリカを除外してもまったく同じことになります。
 近鉄の不平分子ピッチャーだった野茂を、トルネード投法の英雄NOMOに変えてしまうアメリカには、個人を磨き上げて千両役者にしてしまうノウハウが隠されているようです。

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 NO.7 2つの世界帝国を考える 97.7.1

 近頃、塩野七生氏の「ローマ人の物語」シリーズを愛読しています。古代のローマ共和国が、カエサルの下で帝政に移り、やがて東西分裂から滅亡に至る長い長い過程を書き連ねて行く意欲作で、間もなくオクタビアヌスが登場する第6巻が刊行されるとのこと。

 さて、読んでいて気にかかるのは共和制時代のローマと現代アメリカの共通点の多さです。以下、思いつくままに列挙してみましょう。

・「法律主義」
 今日の裁判、陪審員、弁護士などの制度はすでにローマ時代に整備されていた。政治の世界に野心を持つものは、キケロやカエサルのように弁護士になって名を挙げることが登竜門だった。裁判においては、雄弁であることが決定的に重要であった。

・「戦争思想」
 戦争に突入するまでの意思決定に時間がかかり、初戦は敗退することが多い。やがて物量にものをいわせて反撃に転じると無類の強さを発揮する。個人の武勇よりも、リーダーの戦略やシステムで勝とうとする。とくにロジスティックスを重視する伝統を持つ。勝った後は意外と好意的な条件を提示して和平を結ぶ。戦争が終わった後は軍縮する。

・「政治システム」
 平時は「権力の分散」を旨とし、元老院とコンスル(議会と大統領)の間で相互監視システムが働くようになっている。しかし有事になると、強力なリーダーが登場する。世論が圧倒的な力を持っていて、それに逆らって政策誘導することは難しい。基本的に小さな政府であり、政府の仕事は安全保障とインフラ整備が中心である。

・「多民族社会」
 それぞれの社会で、コアとなる部分はあるが(ローマの貴族階級、アメリカの白人男性)、異民族でも立身出世してトップに立つ可能性がある。事実、帝政時代のローマではアフリカ人の皇帝も誕生している。移民に対しては比較的寛大。混血への抵抗も少ない。

・「グローバルな経済」
 自由貿易をモットーとし、海外から安い農産物が大量に入ってきて農民が大打撃を受けても、消費者の声の方が優先する。政府が経済に関与する部分が小さく、基本的にレッセフェールの政策を採る。

・「外交政策」
 相手が(カルタゴのように)自国より優勢な場合は、全力を挙げてつぶしにゆく。自国より明らかに弱い場合は、寛大な態度に出る。同盟国の安全を保障し、相手国の内政には干渉しない。同盟関係を重んじ、自分から一方的に破棄することはないが、逆に先方が同盟関係を破棄した場合はけっして許さない。

・「現実主義の文化」
 プラグマティズムを尊ぶ。哲学や芸術、文学などよりも、科学技術や建築といった具体的な学問が繁栄する。単なる教養人よりも、技術のある人が尊敬を受ける。金儲けを一概に悪いこととは考えない。

 なんと7つも類似点が見つかりました。
 ただし、それぞれについての詳しい説明や例証は省略いたします。なんといっても筆者は歴史家ではありませんし、上記は非常に強引で、例外の多い法則であることは自覚しているつもりです。
 それにしても、かたや「パックス・ロマーナ」、かたや「パックス・アメリカーナ」という2つの世界帝国は、非常によく似た原理で運営されていたように思えてなりません。2000年の時代を越えて並び立つ2つの巨大文明の類似点は、いろいろなことを考えさせてく れます。

 なぜ、古代ローマとアメリカは似ているのか。
 これに対する筆者の仮説は、民主国家が世界帝国を作ろうとすると、ある程度上記のような性質に到達するのではないかというものです。

 古代ローマとアメリカは、いずれも民主政体を持つ小さな国家として発足しました。それぞれはエトルリア人、大英帝国という自らの生みの親を破って自立し、戦争に戦争を重ねて拡大するという経緯をたどります。拡大の過程では異民族や移民を吸収しつつ、人口と領土を急速に増やしてゆきます。
 どちらも当時の環境下では新興勢力であるだけに、文化や伝統を重んじるよりは、実力主義の風土とプラグマティズムの価値観が育ちました。また、多民族からなる競争社会をまとめてゆくために、法律による社会秩序の形成が進みました。さらに、いずれにおいても多様な価値観を認める柔軟な社会構造が根底にありました。

 どなたもご存じの通り、古代ローマはその後、帝政時代に向かいます。キリスト教の国教化、東西分裂、遷都などのさまざまな変遷をたどってついに滅亡に至るわけですが、この間、いくつかの混乱はあるものの、大筋で言えばローマは歴史上極めて希れな、長い平和と繁栄を享受します。アレクサンダー大王やジンギスカンが築いた大帝国は、カリスマ的な指導者がいなくなると同時に瓦解への道をたどったことを考えれば、特筆すべき成功といえます。
 独裁や宗教、イデオロギーによる世界帝国はもろいものですが、ローマのような柔軟なシステムを持つ国家は、自らの性質を変化させることによって延命を図ることができたのです。

 さて本論のテーマは、現代アメリカの繁栄の行方を見極めることにあります。つまり古代ローマと同じように、歴史的に見てアメリカの繁栄は非常に息の長いものになるのではないでしょうか。

 実は古代ローマと現代アメリカの比較自体は、筆者の専売特許ではありません。アメリカの没落がささやかれていた80年代初頭に、高坂正尭氏が『文明が衰亡するとき』のなかですでに試みていることです。高坂氏は80年代アメリカの衰亡の前兆をいくつか指摘しつつ、しかし「あまりに巨大な世界帝国が崩壊するときは、非常に長い時間がかかる。アメリカも再び甦るときが来るのではないか」と結論しています。

 それからさほど長い年月が流れたわけでもない今日、デンバーサミットでは主催者であるクリントン大統領が他の先進国首脳を前に、いまやアメリカ経済は世界のお手本とばかりに自国の好調ぶりを自慢しました。この手の傲慢さが衰退の前兆であることは、歴史上よくある話です。
 1991年頃に、日本の首相がアメリカ人は勤労意欲に欠けると発言したのがちょうど日本経済の絶頂期だったのと同様に、あるいは今のこの瞬間にアメリカ経済の衰退が始まっているのかもしれません。

 それでもなお筆者は思うのです。アメリカは再び困難に遭った場合でも、なんだかんだでそこから再び甦ってくるのではないかと。80年代の衰退の予感から、90年代には復調したアメリカ経済は、この国を動かすメカニズムがいかに強靭なものかを物語っています。
 社会主義というイデオロギーのもとに誕生したソ連帝国は、1世紀をもたずして崩壊しました。カリスマ的指導者の下でのみ国家の統一が可能な中国は、江沢民がそれに耐えるかどうかが現在試されています。これらの大国に比べ、アメリカ合衆国はおそらくより長い寿命を保つだろうと思います。

 いずれにせよ、今日のアメリカを考える上で、古代ローマとの比較はいろいろな示唆を与えてくれるといえそうです。

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 NO.8 「新経済理論」を信じるか? 97.8.1

 久々にアメリカ本土に行って来ました。
 単なる夏休みの観光旅行ですが、西海岸もハワイも観光地はどこも満杯。ディズニーランドの人気アトラクション、「インディ・ジョーンズの冒険」は平日でも1時間待ちでしたし、ロスからホノルルへの便はアメリカの善男善女で満席状態でした。
 なるほど、こりゃ好況だわい、と再確認した次第です。

 株価もついに8000ドル台に乗せました。
 今年の年初は6000ドル台だったのですからたいへんな上がりようです。7月22日にはグリーンスパン議長が下院公聴会で証言し、現在の健全な経済状態を「例外的」と形容しました。言うまでもないことですが、"exceptional"というのはワインの評価でも、"excellent"を超える最上級の形容詞です。

 現下のアメリカの経済指標はこんな具合です。

・91年以来、景気拡大が丸7年以上続いている。連銀の予想によれば、今年の成長率は3〜3.25%、来年は2〜2.25%。
・失業率は5%を割り込んで1973年以来最低の水準。
・消費者物価指数は3%以下の状態が続いており、インフレの気配はない。
・連邦政府予算の赤字は、97年度は1070億ドルとピーク時の3分の1にまで減少。98年度予算では財政黒字が発生する可能性も。
・労働者の時間給平均は、昨年3.7%も上昇して12.04ドルを記録。

 ここまで続くと逆に、「いつになったら景気は減速するのか」が気になってきます。というより、こういう事態はわれわれの常識にはずれることなのです。
 長期にわたる成長が続くと、労働コストの増大や物価の上昇によって、インフレが生じるはずです。従来の米国経済なら、成長率で2.5%を越えたり、失業率で5.5%を切るようならインフレの警戒水域でした。
 しかし現実には、株式市場を除けば景気に過熱感はありません。

 エコノミストたちの間では、アメリカ経済の予想以上の好調の理由は何か? が格好の論点となっています。
 こうした中で浮上しつつあるのが、「新経済派」とでも呼ぶべき楽観論です。
 彼らは「米国の潜在成長力は予想以上に高い」、「消費者物価指数の統計は、実態以上に高い数字が出ており、インフレ圧力は低い」と見ています。要するに米国経済は前途洋々。グローバル化の進展や世界的なメガ・コンペティション、情報通信技術の発達などによって、従来の経済学の常識はもう通用しなくなった 。
 新しい経済には、新しい常識が必要だ、と彼らは考えます。

 オーソドックスなエコノミストはこれを否定します。
 その代表格はほかならぬグリーンスパンFRB議長です。
 「新しい時代などというものは、つまるところ幻想であると分かるだろう」と同氏は切り捨てます。実際、連銀はことし3月には、インフレ予防のためにFFレートの誘導目標を0.25%引き上げました。通貨の安定を第一 義に考える中央銀行としては、もっともな判断といえます。
 しかしその後もインフレを示すデータは現れず、予想された追加利上げは行われませんでした。新経済派の主張を裏付けるように現実が動いたのです。

 さて、新経済派を代表するような論文が、最新号の『フォーリン・アフェアーズ』誌に掲載されています。カリフォルニア大学バークレー校准教授のスティーブン・ウェーバー氏による「景気循環の終焉か?」です。
 世界経済はすっかり変わってしまって、景気循環は以前ほど広範でも深刻でも重大でもなくなった、と同論文は主張します。たとえば情報技術の進歩は、企業の在庫管理を完璧に近づけます。その結果、企業の生産コストは削減され、需給は一致しやすくなり、不均衡は生じにくくなります。こうして成長と調整のギャップはなだらかになり、世界経済全体がそのメリットを受けるだろう、という主旨です。

 景気に好不調があるのは、人間の体調に善し悪しがあるようなものです。
 誰の目にも明らかな現象ですが、なぜそうなるのかを理論的に説明するのは容易ではありません。まして現在進行中の構造変化を解きあかそうというのですから、新経済派をめぐる議論は難しいものになります。しかも、彼らの主張が正しければ未来らはバラ色であり、逆に間違っているのなら大きな判断ミスを招きかねません。
 新経済派の仮説が証明されるためには、もう少し先を見てみないことには分からない、というのが率直なところです。

 新経済派の主張が、強過ぎる米国経済を説明するために「あとづけの理屈」で生まれたことも、気になるところです。バブル期の日本で、海外に比べて圧倒的に高い日本の株価を説明するために、「新しい尺度」が盛んに語られていたことは、筆者の世代には記憶に新しいところです。
 同じようなご都合主義があったとしたら、怖い話です。

 アメリカ経済の好調を信じて疑わない筆者は、実は「新経済派」の言説には懐疑的なのです。
 「ミネルヴァのふくろうは夕暮れに飛び立つ」といいます。この言葉は、新しい時代が到来しても、それにふさわしい叡知が誕生するのはずっと後になる、という人類の経験則を物語るものです。
 世界経済に新しい時代が到来していることはおそらく確かでありましょう。しかし人類はそれほど賢くはありませんので、新しい時代を説明する経済理論に気づくのはもっともっと後になるだろう、と思うのです。

 アメリカ経済の景気回復は、これまではいつも個人消費主導によるものでした。それだけにインフレを招きやすかったといえます。
 しかし今回はめずらしく、設備投資が牽引役になっています。とくに企業の情報通信関連投資が景気を支えており、これらは企業の生産性を上げるので、おのずとインフレを抑制する効果があります。こういった現象が好循環を招いているのであり、「新しい経済」という楽観論に飛びつくのはやや時期尚早ではあるまいかと思う次第です。

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 NO.9 アメリカの軍事思想を考える 97.9.1

 人間の性格が育ちに左右されるように、国の性格はその歴史によって作られます。アメリカのユニークな歴史は、ユニークな軍事思想を育てた、というのが今回のお話です。

 18世紀のアメリカ植民地は、全人口が120万人ほどに過ぎませんでした。これが世界に冠たる大英帝国に勝利して独立を勝ち得たのは、フランスの援助もさることながら、「成年男子全てが銃を手に戦った」からでした。武器がなければ、アメリカの歴史は始まらなかったのです。
 銃の所有に寛大な今日の社会風土は、このあたりに発端がありそうです。

 独立戦争とその後の第二次米英戦争は、アメリカにとって苦しい戦いでした。
 ある敗戦の翌日、斥候の兵士が前夜、英軍に占領されたはずの砦を見にゆくと、なんとそこには星条旗が朝焼けを浴びて翻っているではありませんか。兵士はその感動を詩に託し、今日の国歌『星条旗よ永遠なれ』が誕生しました。ラ・マルセイエーズとそっくりな成り立ちであり、筆者などは、フランスとアメリカの国歌は似ているなぁ、と思うことがしばしばです。これもアメリカ建国の「美談」のひとつです。

 こうした成功体験が、民兵中心のアメリカ軍事思想を育てました。
 つまり、平時はあまり備えをしないけれど、一朝事があったら志願兵がたちどころに全国から集まるという伝統です。だからエンジンのかかりは遅く、戦争の序盤はしばしば苦戦します。しかし兵士の士気は高く、末端に至るまで「本気で、怒って」戦うのが強みです。それでもいったん戦争が終わると、今度は「わが子を返せ」という声が国内で高まるので、兵士たちは比較的あっさりと日常に戻ってゆきます。
 戦争が終わるとすぐに軍縮を始める、というのもアメリカの軍事的伝統のひとつです。

 しかし興味深いことに、独立後のアメリカは外敵の侵略を受けることがほとんどありませんでした。実際、今日から見ても、アメリカは本格的な国土防衛戦争をやったことがないという、世界でもめずらしい国のひとつです。旧大陸の大国たちは互いの抗争に忙しく、新大陸へ野心を持つ暇がありませんでした。おかげで19世紀の間、アメリカ人の外敵といえばインディアンの襲撃か、せいぜいメキシコとの国境争いくらいのものでした。

 外敵が少なかったためにアメリカは国防意識が薄く、職業軍人の伝統が育ちませんでした。そのせいか、いざ戦争というときには、アメリカの将軍はややこしい作戦を好みません。正攻法で、物量にものを言わせて勝つのがアメリカ流です。兵士の命を惜しむのも、民主主義の軍隊ならではの特徴です。いつも国の外で戦争をしているので、あまり犠牲が多いようだと「そんな戦争はやめちまえ」となってしまうからでしょう。
 つねに戦争のコストを意識する計算高い発想法は、人道的ではありますが、のちに広島、長崎への原爆投下を決断する一因となります。

 こんなアメリカが、20世紀になると幾多の世界戦争を戦うことになります。国内のフロンティアが消滅して外へ出てゆく必要が生じたこと、国力が高まって国際政治の重要なプレーヤーになったことなどが原因です。
 とくに2度の世界大戦のとき、欧州は自分たちだけで危機を解決することができず、結局は2度ともアメリカの参戦を必要としました。なんと最近のボスニア問題でも同じことが繰り返され、米軍機による爆撃が行われました。しかし国土に直接の脅威を感じないアメリカとしては、欧州の戦争にしゃしゃり出る必然性はありません。アメリカを巻き込むために欧州は、苦労を重ねてアメリカの指導者を説得し、世論をあおらねばなりませんでした。

 戦争をしたがらないアメリカ人も、いったん本気で怒ってくれれば話は簡単です。
 ナチスは人類の敵だ、と分かれば苦労を厭わず参戦して勇敢に戦ってくれます。逆にベトナム戦争のように、何がなんだか分からない戦いになると、世界最強のアメリカ軍も急速にやる気をなくしてしまいます。最近の湾岸戦争は、イラクのサダム・フセインがいかに悪いかを、十分に国民に対して説明した上で行われたのは記憶に新しいところです。

 アメリカ人を戦争に巻き込むいちばん確実な方法は、アメリカ本土を攻撃することです。しかし一度も他人にぶたれたことのない人をぶった場合、次にどんな反応が来るかは予想がつきそうなもの。さすがにそんな馬鹿げたことをしたのは、歴史上たった1回きり、他ならぬ日本による真珠湾攻撃だけでした。
 これは本当に、たいへんなショックを与えました。連合艦隊が当時アメリカの属領だったハワイを攻撃した瞬間、「アメリカ本土は安全だ」という神話は崩壊しました。アメリカ人が歴史上初めて、外敵の侵略におびえることになったのです。

 日本人の多くは、真珠湾攻撃に伴う宣戦布告が遅れたことで、アメリカ人の猛烈な怒りを招いたと了解しています。しかし、仮に宣戦布告の落ち度がなかったとしても、プライドを深く傷つけられたアメリカは全力で対日戦争に立ち向かったことでありましょう。真珠湾作戦を立てた山本五十六元帥は、ハーバード大学に留学したアメリカ通でしたが、果たしてこういう心理効果にどれだけ気づいていたかは、興味の尽き ない歴史上の謎です。

 "Remember Pearl Harber."(真珠湾を忘れるな)とは、今日も生きているスローガンです。ところで、 この後に続く決まり文句をご存じでしょうか。日本人を許すな、と言っているのではないのです。
 "Keep alert America."(アメリカよ、油断をするな)、と続くのです。それまで意識することのなかった「外敵の脅威」を、アメリカ人が痛切に思い知ったのが、1941年12月7日だったのでした。

 この日を境に、アメリカは常に外敵の脅威を片時も忘れることができなくなります。
 第2次世界大戦を勝ち抜いた後は、ほどなくして対ソ冷戦が始まり、朝鮮戦争、キューバ危機などが続きました。世界は核時代を迎え、アメリカ国内のどこであろうと、核ミサイルの脅威からは逃れられない時代となってしまったのです。そして約半世紀後、ベルリンの壁が崩れ、ソビエト連邦が崩壊し、冷戦はアメリカの勝利に終わりました。

 いまやロシアは民主化し、アメリカの良きパートナーとなっています。外からの軍事的脅威に怯える必要は明らかに少なくなりました。大げさに言えば、真珠湾以前のアメリカが戻ってきたともいえるのです。
 だからこれからのアメリカは孤立主義に戻る、という見方があります。反対に、世界はまだまだ危険に満ちており、外からの脅威はなくなっていないから、アメリカは世界の秩序の維持に無関心ではいられないだろう、という意見もあります。

 現実に国防省が選択しているのは、次のような政策です。
 「一気に平和な時代が来たというのは誤解であり、世界はテロや不法な国家に満ちている。イラク、イラン、リビア、キューバ、北朝鮮などは安心できない国である。20年後の中国も要注意。軍縮はほどほどにとどめ、欧州や日本の協力を得ながら、全世界でアメリカのプレゼンスを維持しよう」

 もちろん、政策を決定するのはあくまでもアメリカの世論です。そして過去2世紀あまりの歴史が示すとおり、世論も政策も今後大きな変更がある可能性は否定できま せん。

 96年4月の日米安保の再定義を経て、日米間の防衛協力の指針(ガイドライン)見直し作業が佳境に入っています。歴史も軍事思想も全く違う日米両国が、東アジアの安定のために協力をするわけですから、簡単なことではありません。なにより重要なのは、互いの発想や思考パターンを知り合うことでしょう。

 そのためには、まず、互いの歴史を知ることです。人と人との関係を深めるときと同じことが、いちばん大切だといえましょう。

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 NO.10 カリフォルニアの変身 97.10.1

 コリン・パウエル氏の講演会を聞いてきました。9月27日の日経新聞でも詳しく報道されたので、ご覧になった方もおられるかもしれません。とにかく見事なスピーチでした。カリスマ的な人物とはああいう人のことをいうのでしょう。

 パウエル氏は、統合参謀本部議長という軍人制服組の最高峰をきわめた人物です。35年にわたるキャリアの中で、パウエル氏は冷戦の終了、湾岸戦争の勝利を体験します。それは彼にとって生涯の敵を失うことを意味しました。しかし彼は言うのです 。「その後、アメリカは軍隊と経済のdownsizingとconversionに成功した。何よりもそのことを誇りたい」と。

 「ダウンサイジング」に説明は不用でしょう。もともとはコンピュータ業界の用語でしたが、単なる小型軽量化ではなく、物事をスリムにする、経営でいえばコストを削減する、といった意味になります。最近の日本語でいうならリストラする、というのがぴったりきます。英語のrestructuringとはちょっと語感が違いますけれど。
 「コンバージョン」は、辞書を引くと、(通貨や電圧を)転換する、という意味があります。それから改宗する、回心する、といった意味が続きます。信仰活動を続けていて、突然に目の前が明るく開かれたようになる瞬間のことをコンバージョンというそうです。いわば「悟りを開く」といったところでしょうか。機械的にAをBに変えるのではなく、苦しんだあげくに新しい姿に変貌を遂げる、といったニュアンスが あるようです。

 アメリカはこの5年間で軍縮はもちろん、経済の合理化と産業の構造転換に成功しました。まさにダウンサイジングとコンバージョンが成功したのです。なぜかくも短期間にアメリカ経済が復調したのか。当コラムが毎回追い続けているテーマです。

 ようやく本題に入ります。アメリカ経済のコンバージョンを、もっとも見事に実現したのはカリフォルニア州です。

 筆者は1992年に南カリフォルニアを調査したことがあります。当時は不況の真っ最中で、ロス中心街の2割は空き室、「90年代には州内で200万人の雇用が失われる」などといわれていました。「日本の脅威」が叫ばれていた頃でもあり、おりから日本の衆議院議長が「アメリカの労働者は怠慢で文盲だ」と言ったことが大々的に報道され、行く先々で冷や汗をかいたものです。ロス暴動事件があったのもこの年の春のことです。

 そもそもカリフォルニア州は地球上でもっとも恵まれた土地でありました。しかしこの土地に大勢の人がやってくるようになったのは、1848年に金鉱が発見されてからです。1869年には大陸横断鉄道ができて、20世紀になると今度は石油が発見されて、人口の流入を加速しました。この土地の最大のネックは「水」でしたが、1936年にはフーバーダムの完成がこれを解決しました。地中海性の快適な気候は、水さえあれば豊かな農業の実りを約束しました。「地下資源」と「農業」が、カリフォルニアの基幹作業でした。

 1950年代、カリフォルニア州の人口はまだ900万人でした。ここへ加わった新産業は、おりからの冷戦による軍需産業でした。防衛費に膨大な国家予算がつぎ込まれ、ヒューズ、ゼネラルダイナミクス、ロッキードなどの大企業がこの地で急成長し、雇用を生み出しました。

 戦後のこの地に育ったもうひとつの産業は、ハリウッドを中心とした映画、音楽などのエンタテイメント産業でした。ディズニーランドのようなテーマパークも誕生し、観光産業が新たな需要を喚起しました。

 「軍需」と「娯楽」という対照的な2つの産業を原動力に、戦後のカリフォルニア州は急発展を遂げます。人口は80年代には2400万に増大。カリフォルニアは世界の若者文化の発信地として世界のあこがれの的となりました。しかし、良いことづくめのところへもたらされたのが「冷戦の終結」でした。

 筆者が訪れた5年前の冬は、軍需や航空機産業が不況に入り、基地の閉鎖や縮小計画が州経済の将来を暗いものにしていた時期でした。「対ソ冷戦に勝ったと思ったが、真の勝者は日本企業ではなかったか」といった論調が新聞紙上を飾っていました。 当時の筆者のメモには、「アメリカにおける第2のスプートニク・ショックか」と書き込まれています。

 当時訪問したヒューズ・エアクラフト社は、軍事から民需への転換を目指し、電気自動車の開発に取り組んでいました。パシフィック・ベルは松下電器のような「お客様第一主義」を社内に徹底しようとし、M&A直後のバンク・オブ・アメリカはきびしいコスト削減に直面していました。資源会社のARCOは、当時のバルデュス号沈没事件によるコスト増に頭を抱え、ヒューレット・パッカード社は日本企業との競争に苦しんでいました。

 当時のメモを見るにつれて、不思議な感慨にうたれます。これはわずか5年半前の出来事なのです。しかしスプートニク・ショックのときと同様に、カリフォルニア州経済はきわめて短期間によみがえったのです。

 9月29日の日経新聞によれば、カリフォルニア州の人口は95年には3160万人となり、2025年には4930万人にふくれあがると予測されています。州内総生産は1兆ドルを超えてアメリカ全土の7分の1を占め、ほぼイタリア経済と肩を並べるとか。8月9日付けの英「エコノミスト」誌は、カリフォルニア州ではこの1年で40万の雇用が生まれ、個人所得は今年最初の4か月で6%も伸び、州の歳入は、昨年の9.6億ドルから来年は13億ドルに伸びる見込みだと報道しています。

 何がそんなに良いのか。「農業、資源、軍需、娯楽」の4大産業に代わるカリフォルニア州の守護神は、どうやら「コンテンツ、コンピュータ、貿易」の3つのようです。

 コンテンツの代表は映画産業です。最近の途上国の生活水準の向上は、アメリカ映画のファンが全世界で増えることを意味します。またCATVや衛星放送の発達は、映像コンテンツの需要を一気に拡大しました。なにしろ映画は、「どれひとつとして同じ製品がない」という難しい条件を持つ産業。人と同じ事をしていたら必ず失敗します。ヒット作を生み出す創造力は、カリフォルニア州独自の多様性と活力の中から生まれてくるのでしょう。

 コンピュータについては多くの説明は不要でしょう。シリコンバレーを擁するカリフォルニア州は、世界の情報通信産業の主戦場といっていいでしょう。サンディエゴ郊外にも、「ワイヤレス・バレー」というベンチャーの集積地が育ちつつあります。特筆すべきは、ベンチャーキャピタル投資が過去6年連続で、(そしておそらくは7年連続で)伸び続けていることです。「頭と金」さえあれば、この産業には無限の可能性があります。

 そして貿易。ロス税関の貿易量は、年率9%で伸び続けています。ロス郊外のロングビーチはもと軍港として発足しましたが、アメリカの太平洋への玄関として順調な発展を遂げ、1990年にニューヨークを抜き、全米最大の貿易港として今日に至っています。貿易依存度の上昇はアメリカ経済全体に見られる現象であり、世界経済のグローバル化が良い影響を与えていることが窺えます。

 この3つには限らず、90年代前半に20万人を解雇した航空産業も復調しつつありますし、不動産市況も上昇し、観光客も増えています。なによりカリフォルニア州の前途が明るいのは、この景気回復は民間主導のものであり、軍需産業のように政府予算を当てにしたものではないからです。

 カリフォルニア州の過去5年の経験は、われわれに貴重なことを伝えてくれます。苦しいときに昔に帰りたいと思うのは人の常。しかしいくら願っても、古き良き時代が戻ってくるわけはありません。大切なのは、真面目にダウンサイジング(合理化)を進めることと、大胆にコンバージョン(転換)を図ることです。日本経済においても、これは当てはまるように思います。
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