好奇心コラム

NO. 1〜 8
NO.16〜26
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.57〜65
NO.66〜76
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
NO.99〜106
NO.107〜


 MIZ.VOL.2 お役所ことばの読み方 PART2(NO.9からNO.15まで)
 [執筆者]
 水町祐之

 [紹 介]
 第三インテリジェンス代表。
 1952年、福岡県生まれ。日本大学大学院博士前期課程(管理工学専攻)修了後、一貫して経営コンサルタント業務に従事。執筆活動では[転換が迫られる日本型人事・教育システム(人材教育‥日本能率協会マネジメントセンター発行月刊誌、1998年11月号より)]。


●サブテーマ
問題解決の方程式 / 環境のうねりと戦略的視点 / 経済戦略会議へ提言しよう / 中年世代はもっと自分中心になろう / 個人力を強化しよう / 成年は大志を抱こう / 将来の生活を楽しくしよう


 NO.9 問題解決の方程式 98.8.1

 今回の参議院選挙ではやっとのことで政治が少しだけ動きました。とりあえずは多数派国民の勝利でしたがその後の経過を見るとまだ安心は出来ません。

 考えてみれば、このところの日本の顔はまるでピーマンのようでした。表面はピッカピカに光っていたし、一国の首相の立場をどこでどう勘違いされたのか歌舞伎役者並に見栄を切ったりでしたが、結局、中身は何もない印象です。

 本稿でもたびたび指摘していたように、真の問題が何かを取り違えたら大変なことになってしまうし、証文の出し遅れでは何の効果もありません。ここまでムチャクチャになったので、けがの功名で、心機一転のほほん政治家諸氏も新しく出直すキッカケになったかとも思いましたが、政治家諸氏の多くは生きた化石と同じで変化ができないものらしく、テレビ討論などを見る限りでは一番変わりばえがしない印象の方を担ぐことにしたようです。筆者などは、ピーマンの次は昼行灯ですかぁと思ってしまいました。そうは言っても、それなりの奥に秘めた気概もおありでしょうからとりあえず期待したいところです。


 さて冗談はおいといて冷静に考えてみれば、これは何も政治家や官僚に限ったことではなく筆者も含めてですが、私たちは、従来の経緯やつまらない配慮を意識しすぎて真の問題が何かということを正しく認識できないことが多いようです。政治や経済のことをはじめとして、自分の生活のあり方などすべてについて言えます。

 私たちの回りには常にいろいろな問題が発生します。誰もがそれなりに解決して今に至っているわけですが、いったいこんな解決法で良いのだろうかと考えてみることが必要だと思います。自分の回りには何の問題もないと思われる方も多いかも知れませんが、実は、問題がないと考えることが一番危険なことなのです。

 そこで、今日は『問題解決』ということについて考えてみることにしました。

 問題解決ということばを聞くと、筆者は、以前に『臨調』で活躍された土光氏を思い出します。思い出すと言っても実際にお目にかかったことはないのですが、土光氏の著書で読んだ内容です。土光氏は著書の中で『問題』の捉え方について実に単純明快に記述されていました(だいぶ以前の本なのでなくしてしまい、以下は記憶に頼ったもので正確な内容ではありません)。

○ 問題 = 本来あるべき姿 - 現状の姿

○企業が生き残るためには常に自分で『問題』を造りそれを解決していかなければならず、自分で『問題』を造り続けることが出来ない企業は死滅する。『問題』がはっきりしさえすれば、あとはその解決は時間がかかる云々は別としても解決していける、という趣旨のことも述べられていたと思います。

 『問題解決』については経営関係の研究者では初のノーベル賞を受賞したH.A.サイモンなどの著書も有名ですが、筆者の頭程度では何のことか良くわからず、これほど単純かつ明快な図式をそれまで見たことがなかったので、今でも強烈に頭に残っています。

 何もややこしく考える必要もない単純な引き算で良いのです。
 ただし、この引き算をするためには、『本来あるべき姿』と『現状の姿』をはっきりさせなければなりません。実はこれが難儀なことです。いろいろな雑念やつまらない先入観が邪魔をしてしまうからです。しかし、正しく問題を造ることができなかったら生き残れないことだけは私たちはしっかり確認しました。山一證券を始め、最近になって表面化した数々の事例がこれを物語っています。

 やっかいなのは、人によって『本来あるべき姿』のイメージが違うことです。
 価値観の多様化の時代と言われますから、個人生活レベルの問題であれば、追い求めるあるべき姿が違うのも当然です。ある人はガムシャラに働いてお金儲けをして経済的に豊かな生活をおくることを理想に描くし、また別の人は、仕事はそこそこでも家族との充実した穏やかな生活をおくることに価値を見いだすかも知れません。どちらがいいかなど他人にはわかりません。

 そして、あるべき姿と現実のギャップ、つまり『問題』がはっきりしたら、しばらくの間は辛抱して身を粉にしてがんばろうとか、会社のためだけに働くのはもうほどほどにしようとか、自分の時間をもっと大切にしようとか、自由に選択をして問題を解決していくことができます。

 最近では企業のリストラがいよいよ本格化し、終身雇用や年功序列は遠い昔のことのようになりふり構わないくらいの企業行動が見られます。一方、企業側がそのような状況ですから、働く側の人々も会社中心のあり方を真剣に考え直しているようです。各種の資格取得セミナーなど以前にも増して大繁盛とか。

 もはやわが国は発展途上国とは違い最低限の生活を維持していくゆとりはありますから、国づくりの方向もこれに合わせて違ってこなければと思いますが、わが国の中枢にいる人たちにそんな意識は見られません。どんな時代になっても未だに『国の本来あるべき姿』として土建国家のイメージを抱いているようです。

 さしずめこんな具合だと思います。

○国民にはまだまだ一致団結して道路や橋を造る仕事に励んでもらうべきだ。わが国の現状は未だに全然それが足りないから、何としてでもその機会を増やしていかなければダメだ。

○そして、国民がそれらの仕事で得たお金は勝手にムダ遣いしないうちに早いとこ(税金や貯金で)取りあげておいた方がいい。それら取りあげたお金の使い道は大所高所にいる自分達が決めてやらねば、日々の仕事に忙しい国民はゆっくり考える暇もないから間違いを犯すに決まっている。

 ベトナムとかカンボジアなどであれば、このような発想でも過渡的には効果があるとも思いますが、いやいや失礼しました、こんなやり方を押しつけてしまったら先方の国に迷惑かも知れません。

 そしてこんな発想が永久に成り立つと思い込んでいるのか、それともいやいや押しつけられているのか定かではありませんが、恩恵を一手に享受する企業の中にはその報償として利権調整役名誉職らしい天下りをありがたく受け入れたり、それほどの必要もないのに無理に理屈をつけて天下り機関を用意したりもあるようです。新しい時代に向けて事業の見直しなどに全力を挙げて生き残りをはかるべきなのに、政治献金に励んだり舞台裏での画策ばかりに奔走し、最後には族議員の大行進です。時代とともに、社会に求められるものが変化していることに気づていないのです。

 自分からすすんでそうなったと言うよりは、柄にもなく経済規模が大きくなり過ぎて世界に対しての影響が無視できなくなったので否応なしにそうなったと言うべきでしょうが、わが国もあらゆる面でビッグバンの時代に入りつつあります。

 筆者は、ビッグバン時代は個人中心の成熟した社会だと思っています。成熟社会は、個々の人々がいろいろなことに対して自分なりの考え方や振るまい方を身につけることで成り立ちます。

 企業活動に関しても、国が政策的に公のお金を回して特定の企業(業界)を育てるのではなく、これからの自分達にとって役に立つ製品やサービスを提供してくれそうな企業を、個人が自分の考えで投資して育てる時代です。その結果として、社会に対してほんとうに役立つ企業が繁栄することになります。その代わりに全ての結果責任は個々の人々が自分で被らなければなりません。それに合わせた社会制度が求められています。

 その第一歩は、企業や監督官庁に完璧な情報開示を義務づけることだと思います。
 一部の特定の人だけが情報を独り占めにしたり適当なごまかし情報を公表するのを放置したりでは、大多数の人々にとってはルールも良くわからないままに手練手管で反則技まで使いこなす相手と相撲をとるのと同じで、天と地ほどの体力差でもない限りはじめから勝負は決まっています。こんな有り様では、そもそも相撲になりません。

 成熟社会の『本来あるべき姿』とは誰でもが公平に正しい情報を知り得る社会です。正しい情報をわきまえたうえで、個々の人々が自分の考えでとるべき道を選択していく社会です。
 こんな社会では、監督官庁の仕事は大幅に減り、公に使っていたお金も大きく減るはずです。無理矢理に理屈をつけたおせっかいで余計な金を使ってもらう必要がなくなるからです。


 余談になりますが、どこでどうなったのか、与党内総裁選挙のどさくさ紛れのようにして公的資金投入や大幅減税や公共投資が当然のような雰囲気になりました。筆者は、単にいくら減税をしてもあるいは公的資金を投入したところで、情報開示が不充分であればその場しのぎにしかならないと思います。

 起きてしまえばただ放置もできないので、どんな対応策でも結局は我慢するしかありません。大切なのは、再発しないという確信だと思います。再発防止に役立つ情報がどれだけ明らかにされ、その責任追及も含めてどんな対策がとられるか、一部金融機関のやりたい放題の野放図さへのけじめなしでは住管機構の中坊氏の指摘を待つまでもなく抜本的解決には程遠い気がします。

 ともかくエキサイティングな時代にはなりそうです。

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 NO.10 環境のうねりと戦略的視点 98.8.27

 予想されていたこととは言え、小渕新政権は、『長銀』問題でゴタゴタしそうですしさらに香港やロシアの経済不安なども重なって厳しい船出になりました。閣僚の顔ぶれを見ると目新しい部分もあるようですが、やはり、政権は一番上に立つ者が確固とした的を得た信念を持っていないことにはほんとうの信頼を勝ち得ることはできないようです。まあスタートしたばかりですから性急に成果を求めるのは酷かも知れませんが。

 ところで、閣僚ではありませんが、新政権の目玉として『経済戦略会議』がマスコミの注目を集めています。
 今までにも似たような審議会がたくさんありました。筆者が知っている審議会は、事務局が準備した内容に部分的な文言修正を加える程度で、いわば形式的なセレモニーといったニュアンスのものが多いように思います。審議委員の方々も厳しく反発されることはほとんどなくて、概ね事務局の準備したとおりのシナリオに落ちついてしまうものです。

 もっとも、筆者が実際に知っている審議会は市町村レベルの審議会で、マスコミ報道を見る限りでは今度の『経済戦略会議』は従来の審議会とは違うようでもあり、筆者もファンの一人としてテレビで顔や言動を知っている方々が多いので、どうなるのかはわかりませんが何となく期待が膨らんできます。ともあれ、これからのご活躍に期待したいと思います。


 というわけで、今日は『戦略』について考えてみたいと思います。

 筆者は、経済戦略というのが具体的にどんな意味のものか理解できないのですが、ちょっと視点を変えて、組織の環境戦略ということに目を移してみるとよくわかる気がします。

 組織の戦略研究はここ20年ほどの間にわが国でも急速に発展した分野の一つです。国もひとつの組織ですから『戦略』という場合のものの考え方に大きな違いはないだろうと思います。これらの研究成果をどんどん活用して欲しいものです。

 『戦略』ということばは取り扱うレベルによってさまざまな定義がされています。本稿で戦略ということばの定義を云々してもはじまりませんので、ここでは、戦略ということばを大まかに組織が『生きていくシナリオ』という程度に理解して話を進めたいと思います。

 組織の環境戦略(環境適応のパターン)を取り扱った先人たちの研究成果を筆者なりに整理してみると、戦略を考える上での基本的な視点(またはスタンス)に二つの流れがあるようです。一つは『環境決定論』で、もう一つは『環境創造論(戦略的意思決定論)』です。

 環境決定論は長期的スパンの現象を説明するもので、環境の大きなうねりに対応する場合に大切な視点になります。一方、環境創造論は短期的スパンの現象を説明するもので、環境の一時的な乱れに対応する時に大切な視点と言って良さそうです。

 終戦後の日本経済は、環境創造論的な発想でうまく機能してきました。

 考えてみれば、今まで日本は国際社会の中で経済活動に専念して国づくりができた希にみる幸運な国でした。善し悪しは別として、国同士の諍いについては欧米の大国にまかせて無頓着に経済成長に邁進することができました。一頃などは、エコノミックアニマルなどと嘲笑されたりもしました。欧米の大国たちは、もちろんそれぞれがそれなりの思惑があったのでしょうが、ちょうど私たちが自分の子供を育てる時のような感じで、半分は隔離したような安定的な環境に置きながら日本に対応してきました。

 こんな感じだと思います。

[表舞台シーン1]

○親は子供が不良になるのを心配します(往々にして自分がしていることは棚に上げる傾向がありますが)。
 そこで、特に乱暴な面がありそうな子供には危ないものは持たせない環境づくりをします(軍事力、安保など)。とは言っても、近所には常識のない人もかなりいます(その親から見ればの話ですが)からいろいろなトラブルも起こりがちです。子供にはそんなことには首を突っ込ませないで、保護者としてトラブルをうまく処理しなければなりません(朝鮮戦争、ベトナム戦争、その他地域紛争、冷戦など)。

○そんなこんなで忙しいから子供には家業の手伝いも適当にさせていたのですが、トラブルも一段落してゆっくりわが子を見たら、優等生だった子供はもう立派な大人になりかけており、さてどうしようかと考えることになります。

[表舞台シーン2]

○親離れの微妙な時期になったわけです。
 同居するしないの問題もありますがそれはそれとしても、親としては、社会に出て一人前の大人なら当然身につけなければならない世間一般の常識やエチケットをまだ充分に身につけていないのが少し心配です(グローバルスタンダード、情報開示、規制緩和など)。まあ、温室育ちですが身体は親以上に大きくなり、勉強もよくできるし、手伝わせていたので家業の方の腕も親をしのぐほどになっていて、一目置いています。

[舞台裏のようす]

○一方では、苦労して世間から守ってやっている(なかには好んでトラブルに首を突っ込みたがる親もいるから額面通りに受け取ることはできません)のに、子供部屋に入るだけでも機嫌が悪いし部屋に置いてあるものを触りでもすれば大騒ぎで、親に隠れて何をしているのかわからん面があるから妙なことにだけはならないように注意しておかないと世間の目は厳しいからなあ、という親のグチも見え隠れします(護送船団方式、非関税障壁、その他談合など見えにくい部分)。

○親としてはやかましく説教したいところですが、今更そんなことをしても素直に聞く年でもないし、今ではこの子が自分と並んで家計を支えるほどの大事な働き手でもあり、自分が子供に依存している部分も多いから痛し痒しといったところです。

 筆者の感覚で言えば、このような環境にある子供が日本です。

 子供の立場からすれば、部屋が狭くなったので大きい部屋にしたいとか、次はエアコンを付けたいとか、あるいは最近は手伝いも大変だからもっと小遣いをもらいたいとか考えてそれなりの行動をとります。もしかしたら、今では親よりも広くて立派な部屋にそっくり返っているかも知れません。日本の全般的な賃金水準を外国と比較してみるとそんな気もしてきます。まあそれはそれとして、これが環境創造論的な生き方です。

 自分が直接相対している環境(この例では親が中心になります)の意図を取り込みながら自分の環境を少しでも居心地がいいように創り変えるシナリオを描いて行動するのが環境創造論の戦略と言えます。とは言っても、半ば隔離されたような情況ですから勝手に何でも自由にできるはずもなく、取り込める範囲の環境にも自ずから限りがあります。

 一方、環境決定論の発想は環境を変えられない制約条件と見ます。その代わりに環境創造論が想定するよりももっと広範囲な環境を想定します。より広くてしかしながら自分の勝手にはならない環境の中で快適に過ごせるような生き方のシナリオを描いて行動しなければなりません。日本が一人前の成熟した大人として国際社会に認められるには、これからは環境決定論の視点がより重要になります。

 規模では世界でも一、二を競うほどの大きな経済なのですから、自国の都合で子供の時のように勝手な殻に閉じ篭ることは周りが許しません。経済が国内問題として止まるような小さな国ならそれも大目に見てもらえますが、事が自国の経済に大きく影響してくるとなれば諸外国もいろいろな手段で必死の圧力をかけてきます。

 欧米中心の社会圏とは別の新しい社会圏でも創れればそれもひとつの選択肢ですが、そんな力は日本にはありません。いずれ周りと同じルール(グローバルスタンダード)に合わせて内部のしくみを変えていくしか選択の余地がないのです。


 ちょっと趣向を変えて、内部体制のことも含めて別の話も考えてみました。今度は、国を大企業に見たてて終戦後の成長を追ってみることにします。

 自分が製造業のやり手オーナー会長のつもりになってみてください。これまでを振り返りながらちょっとボヤいているという場面設定です。ホンダとかソニーを想定してもピンときません。最近ちょっと凋落ぎみのある会社を想定してみれば筆者の論点がよく伝わると思います。

[はじめに]

○企業は広範囲な環境の中で生きています。
 身近なところでは競争相手がいます。さらに、親企業や下請企業などの関連企業や取引銀行、あるいはまたお客様も環境と言って良さそうです。手の届きにくいところの環境として国の規制やいろいろな政策もありますし、また、とらえどころのない社会とか技術などの環境もあります。もちろん自然環境もありましょう。これらの環境に囲まれて企業はそれぞれがそれなりの戦略に基づいて行動していくことになるわけです。

[表舞台シーン1]

○さて、私たちの会社は初めから力のある大企業だったわけではありません。
 何しろ終戦直後のことです。はじめは大変な混乱の中、何とかその日の食い扶持を確保するのがやっとでした。それでも言うことを聞いてそれなりに上納金を納めていればものわかりのいい後見人(アメリカ)がいたので、大きなトラブル(戦争や冷戦)などのややこしいことへの対応はそちらにまかせて、一生懸命ものづくりに励みその技術を磨きました。

[表舞台シーン2]

○一時的には苦しいこともありましたが、社員たちもまじめでいろいろと器用だったので大きく発展することが可能でした。幸運だったのは、その間も、競争相手たちにどうしてかトラブルが絶えなかったこともあります。私たちがまじめだったこととか人徳の賜だと思いたいところですが、ちょっと運が良かった感もあります。そうこうしているうちに少しずつ力がついてきました。

[舞台裏のようす]

○必死で技術を磨く一方では、会社の基盤をより確かなものにするために、後援している政治家の先生に頼み込んでいろいろ画策しました。先生方も一生懸命の時代だったので、場合によれば損得抜きで熱心に力添えしてくれました。

○直接の窓口になって奔走してくれた役所の人は無理をして受け入れたり(天下り)、場合によっては経営幹部を関係企業からスカウトしたり専門家を派遣してもらったりなどしてきました。環境(より直接的にはその接点にいる人)を会社内部に取り込むというやり方です。取り込んだ人を通じて環境変化を素早く察知したり、あるいは逆にそれらの人を通じて環境に働きかけることで、部分的にではあっても環境を会社に都合がいいように変えることができるからです(護送船団方式)。よほど無茶苦茶なことでなければだいたい思い通りに事を運べました。

[表舞台シーン3]

○そんながむしゃらな時代が過ぎたころ社会も落ちついてきました(冷戦構造の終焉)。最近では世間でも大きなトラブルはほとんど起きなくなりましたし、今では会社も、その分野にかけては業界で一、二を争うほどに大きくなりました。

○それはいいのですが、トラブル調停の役回りで大忙しだった後見人も最近ではヒマになり、前は大目に見てくれていたことにも厳しく注文をつけるようになりました。
 後見人の立場をさらに強くしたいでしょうし、うかうかしていると自分がないがしろにされると警戒もしているようです。これが仲間内の本来のやり方だからすぐにやれといった具合に、これまでとは違って無理難題も押しつけてくるのです。

[表舞台シーン4]

○いままでが順調すぎて気がつかなかったのですが、競争相手はトラブルに遭遇しながらも環境の大きなうねり(国際化、情報化、地球温暖化など)を見据えて、そんな時代を渡っていくための技術革新や人材養成を着々とやっていたようです。

○私たちの会社が今まで無理をして内部に取り込んできた環境(人や技術など)は、了見の狭い目先の環境だったようです。もっと大きな環境のうねりに気づきませんでした。気がついていたのですが、甘く見ていたのです。

[表舞台シーン5]

○うかつでした。出遅れました。
 見かけは大きくなりましたが、変わりつつある社会の中でそれにふさわしい振る舞い方ができる社内体制づくりにあまり注意を払っていませんでした。それでも、見かけだけでも大きいし上納金も人一倍たくさん納めている実績もありますから、当面の間はそれなりに扱ってもらえます。その間に新しい時代に通用する振る舞い方を身につけなければなりません。

[表舞台シーン6]

○そこで、遅ればせながら早速にでも社内改革に取りかかろうとしていますが、会社の内部体制をあらためて見直してみて今更ながらに驚きました。

○新しいこともバリバリやれる幹部社員ばかりなら改革もスムーズですが、そんな社員はこれまでむしろ意識的に排除してきたので、残っている幹部社員には周りの顔色を見るだけの単なる世渡上手とか、今となってはただの穀潰しでしかない関係先からの監視役ばかりが目立ちます。おまけにそんな幹部に限って要所を自分の配下にある部下で固めているので処置なしです。早く改革を進めたいのですが、にっちもさっちもいかないのです。

 ちょっとおかしな例えですが、まあこんな具合だと思います。
 『私たちの会社』を『日本』に、『業界』を『世界市場』に、『競争相手』を『外国』に、『上納金』を『外国への債権』に置き換えてみれば、日本の現状にぴったり当てはまります(幹部社員とは誰のことかはお楽しみとしてご想像にお任せします、外交の舞台裏を知らないのでこんな例えにしてみました)。


○余談ですが、筆者は、わが国にはこんな情況が当てはまる企業が、普通の製造業よりもむしろゼネコンとか金融機関の中にたくさんあると想像しています。その場合は、表舞台シーン4のあたりで『バブルの崩壊』という突発的事態が起こっているわけですから、さらに切羽詰まっているのでしょう。

○特定範囲の短期的スパンのことであれば、取り巻く環境を無理に変えることも難しくありません。例えば、監督官庁の天下りを受入れたり、経営幹部を競争相手からスカウトしたり、意に添わない企業に対して銀行が経営中枢に人を送り込んだりなども、これらは全て、自分が変わると言うよりは取り巻く環境の方を何とかして変えようとする戦略の試みです。一時的には効果があることも否定できません。

○ただし一時的な効果にあぐらをかいて、そればかりにうつつを抜かしていると次には途方もない大きな失敗を犯します。

○現代の世界経済情勢では、監督官庁の天下りを取り込む程度ではたいした役に立ちません。もしそんなやり方をするなら、サッチャー元首相をリクルートしたあるヘッジファンドのように、世界に通用する国家元首クラスの実力者を次々と内部に取り込む意気込みが必要です。それでも永久に環境を変え続けることは不可能です。最近の失敗例ではインドネシアの教訓があります。最終的には、より大きな環境のうねりに合わせて自分を変える戦略を選択するときが来ます。

○自然界を見ればすぐにわかります。環境の大きなうねり適応して自分を変化させることができなかった生物は例外なく地球上から消滅しています。



 国境のない金融、世界同時情報化、自由な競争、日本経済の巨大化や高齢化社会構造などの環境の変化は、一時的なものではなくて環境の大きなうねりです。もう後戻りはできませんし、出直してくるからちょっと待ってくれと言う具合になだめながら押さえ込んだりもできない確実に変わる類の環境の変化です。これからはこれが私たちの新しい環境になります。私たちは既にこの環境の中に飛び出しており、以前に住んでいた世の中はもうなくなってしまっているわけです。

 そして、グローバルスタンダード、情報開示、規制緩和、さらには税制改革や財政再建などの必要性は、そんな新しい環境が発する私たちへの緊急の警告と受け取る姿勢が大切です。
 環境の変化が逃げ出したり無理に押さえ込んだりできない大きなうねりなら、警告に従って、早くそれに適した内部のしくみを構築するのが生きていくためのシナリオになります。そのためには、まず最初に、従来の発想をきっぱりやめる決心が必要です。これまでのように自分勝手な発想がまかり通ることは絶対にないからです。それはただの甘えです。甘えていたらひとりとり残されるだけです。

 先ほどの例で言えば、これまでの惰性で会社の中に巣くっている世渡上手や穀潰しを思い切ってまとめて捨てることが、何よりもまず重要です。
 私たちは何もそこまでと考えがちですが、実はこれが一番重要な点なのです。惰性の発生源を元から断っておかなければ、どんなすばらしいことを考えても実際の行動に結びつきません。計画を実行しようとしたときに突然あれこれ理屈をこねだしてまた元のやり方に逆戻りということになり、計画は失敗に終わります。惰性への執着は思っている以上に恐ろしく根深いものなのです。

 かなりの荒療治になります。しかし逆戻りができないところにきているのですからそれも仕方がありません。こんな荒療治もオーナーなら可能です。逆に、オーナーが本気で立ち上がらなければできません。そして、私たちは、国のオーナーは国民だということを忘れてはいけないと思います。

 バブルに端を発する金融不安やそれが根底にある為替や株の低迷は、どんなに影響が大きなものでもそれは環境の乱れです。いずれは治まる一過性のものです。あちこち痛めつけられて大きな被害も出ますが、どれくらい被害が出るかばかり心配していてもはじまりません。大切なのは、冷静に対処すればそれを鎮めてまた以前の環境に戻れるという点です。取り越し苦労の必要はありません。

 今まで経験したこともないほどの大きな環境の乱れに違いありませんが、世の中がなくなってしまうわけでもありませんから、ともかく早く乱れを押さえ込んで出直せるようにするのがシナリオづくりの基本です。そこさえ間違えなければどんな対応策も可能です。私たちは、役割の終わった旧来の金融機関は潔く諦めて、新たに求められるタイプの金融機関をさっさと設立することもできるのです。もちろん処理や移行に際しての充分な配慮は必要ですが。

 今のわが国は、ちょうど台風に襲われている情況と似ています。台風の先っぽは既に上陸しているのかも知れません。

 台風が来るとなれば、まともな人(経営者や政策責任者)は気圧配置(経済金融政策)に基づいて建物(金融機関など)を補強したり戸締まりを徹底したりなどしてそれに備えます。わが国の金融関係者は台風を甘く見ていたのか、無関心を装ったりうろたえるばかりで果たしてそんな備えをしていたか疑問です。

 また、そんな備えをしても巨大台風に対しては限界がありますから、その時は、充分な保険(預金保険など)をかけて避難所でじっと通り過ぎるのを待つのが生きのびる方策です。建物には愛着があるものですが、家族(預金者)や周りの協力者(健全な借り手企業など)さえ助かれば建物はまた新しく建てられます。台風の最中に建物を補強しようと外で右往左往しても単なる自殺行為にすぎません。

 自然界の気圧配置を自由にすることはできませんが、幸いなことに、経済の気圧配置は人間が決めています。そして、これまた普通の人間である世界の投資家たちが気圧配置を見ながら弱そうな箇所に経済の台風となって襲いかかるのです。

 経済台風の実体は人間の微妙な心理です。
 人間は誰でも悪戯心を持っています。今にも壊れそうなものがあればちょっと一押ししてみたくなるのが救い難い人間の心理というものです(特に投機家)。彼らは経済台風に変身して吹き飛ばしたくてウズウズしています。逆に、吹き飛ばすものがなければおもしろくも何ともありません。そのうちに温帯低気圧になって消滅します。

 私たちの新しい環境では、経済台風の進路はグローバルスタンダードで決まります。その基準は極めて単純です。これから強くなりそうかそれともこれから弱くなりそうか、これから弱くなると判断したところに進路を向けるのです。

 世界の投資家たちはグローバルスタンダードに照らして日本を弄びがいのある気圧の谷(金融機関の基盤の弱さ)と見ています。

 このまま放置すれば怒涛の勢いで蹂躙されます。
 対策はあります。経済台風が人間の悪戯心に根づいているということに気づけば、自然界の台風と違って追いやることが可能です。追いやると言っても、単に真っ向から対峙してもどうしようもありません。経済台風が完全に上陸する前に、彼らの悪戯心をシラケさせ勢力を弱めてしまうという視点が大切です。

 つまり、この金融不安を乗り切る戦略としては、経済台風に耐えられない老朽化した金融機関を思い切って自分の手で一日も早く取り壊し、虎視眈々の世界の投資家たちに日本の金融基盤が将来とも磐石になったと認識させてつけ込むスキを与えないというシナリオが求められています。

 ところが広い世界に飛び出したことにまだ気づかないわが国の指導者たちの頭には、相変わらず狭い温室環境の頃の間延びした発想しかないようです。今、当局が『長銀』でやろうとしていることは、大型の経済台風が来るから護送船団を組み直して(行政主導の救済合併)、ここは何が何でもとりあえずはみんなで一緒に頑張って守っていこうというシナリオです。良識ある大人の発想にも見えますが、実はより広い世界の発想を無視した感覚で、戦略の『せ』の字もありません。

 金融システムの維持は重要ですが、筆者には、今までそうしてきたからという安易な発想にしか見えない護送船団復活劇です。これでは世界の投資家たちの悪戯心を煽って経済台風の勢力を強めるお手伝いになりかねません。彼らの真のターゲットは、こんなのほほんとした惰性への執着心なのです。単に不良債権を片づけるだけではだめで、護送船団に象徴されるような金融界に蔓延する甘えの構図(弱さの火種)を将来に残さない発想が大切です。周りが混乱しなければいいのですから本気でやる気にさえなれば手段はいくらでもあると思います。

 世界の投資家たちの悪戯心をことさらに刺激して真っ向から対峙するのは最悪の対応策です。
 経済台風に蹂躙された国の首脳からは彼らを極悪人呼ばわりにする開き直りの声が聞かれますが、正面から対峙して討ち負かしたという話はまだ聞いたことがありません。無理もありません。彼らは、冷静に考えればスキだらけの危うい建物だけを相手に選ぶので、完勝できないことはあっても一方的に負けることはまずないのです。弱さに対して半端な思いやりもありません。

 対峙ではなく彼らの悪戯心をシラケさせるのが最善の対応策です。
 非常事態なのです。ひと暴れしたくなるような危うい建物を自分で処分しておくことです。さもないと、日本はなまじ柄が大きいだけに一気に吹き飛ばすのに手こずっていつまでも弄ばれることになります(株式や為替のさらなる低迷と長期化)。運良く役に立たない老朽建物が残っても、とばっちりで周りが甚大な被害(黒字倒産や貸渋り倒産など)を被ってはもっと大変です。

 それに、台風の最中に外に出てあれこれ護送船団の世話をする人身御供のような役は、より直接的責任があるはずの経営や政策の責任者ではなく何の関係もない納税者(公的資金)だということも忘れてはいけません。国や国民全体の将来を最優先するシナリオを考えてほしいと思います。

 わが国が出直すためには、本稿で何度も指摘したようにまずは株式市場が活況になることが前提条件です。株式市場が活気づき為替市場が好転しないことには、いくら減税や公共投資をやって声高にお金を使おうとか貸渋りをやめようとか叫んでも消費拡大や貸渋りの解消など夢物語です。従来の救済的発想の買い支えでは何の役にも立ちません。絶大な影響力をもつ世界の投資家たちの悪戯心を煽って経済台風に変身させてしまうのではなく、逆に援軍にしてしまうのが一番効果的です。

 筆者は、対応が遅れたり金額が云々の問題はあるものの、それにしてもこれだけ減税や公共投資を続けているのになぜ株式市場や為替市場がもう少しは素直に反応しないのか不思議でしたが、遅ればせながらやっと気づきました。それは冷静に考えればあたりまえの戦略の基本でした。

 世界の投資家たちが目を皿にして見るのは、実は生き方それ自体の変化です。

 日本が生き方を変えたと判断すれば減税や公共投資にもっと大きく反応もしますが、本質的な生き方が変わらないと認識している間はそんな政策技術的な面にはそれほどの関心はないのです。金融不安解消への対応は、日本がこれからは一切の惰性や弱みを捨てて強い生き方をすると印象づける絶好の機会です。そうすれば彼らも安心して(一方では悪戯心を鎮め)株式市場や為替市場で日本買いに転じる大きな転機になり、経済全体が新しい活気に盛り上がることが約束されます。

 ここさえ乗り切れば、世界中を見渡しても今のところ可能性がありそうなのは日本やその周辺の国々以外には見あたりません。その証拠に、金融関連企業を中心とした日本全体の株価は低迷し続ける中にあっても、世界に通用する確かな技術力と展開力のある製造関係企業の株価は着実に上昇しています。

 世界の投資家たちの影響力は巨大です。対峙して得るものはありません。彼らは完璧なほどに抜け目がなくて、しかも子どものように率直な悪戯心も持っています。そして一番大切なのは、常に、今ではなく将来の可能性に対してより大きな関心を持ち続けていることです。


 結局のところ、今、新しい環境がわが国経済戦略の発想大転換を催促しているのです。
 新しい環境は今までの温室のような環境と違います。交渉しながら何とかわがままを通せる生ぬるい環境ではありません。新しい環境では自由競争と淘汰という絶対的な文化がありますから、見方によっては弱肉強食のようなちょっと世知辛い一面があるのが少し気になりますが、日本経済がそれだけになったと認められたのですからそれはそれで喜ばしいことです。そこでは今までのシナリオは役に立ちません。今までとは違う発想のシナリオで生きていく必要に迫られています。

 ひとつ教訓を思い出しました(誰のことばか忘れてしまいました)。

 ●賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず

 私たちは恐竜が犯した失敗を繰り返すわけにはいきません。環境が大きく変わってしまったらどこに移動してみても餌のある場所などありません。私たちは恐竜と違って、環境に適した生活のあり方に変えたりしながら進化していくことができます。国の指導者には、50年とか100年スパンの大きな時代環境のうねりを見失わないようにだけはしてもらいたいものです。

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 NO.11 経済戦略会議へ提言しよう 98.10.26

 今回はちょっと趣向を変えて、筆者が先日(10月22日)最近話題の多い『経済戦略会議』に投稿した内容をそのままご紹介しようと思います。

 経済戦略会議では広く国民から意見を募集しているようです。投稿は誰でもできますし、内容の洗練度など二の次でかまわないと思っています。伝えないことには始まらない、まずは投稿してたくさんの生の意見を知らせることが国民のつとめ(大げさかも)のような気もします。皆様も、是非投稿してみては如何ですか。投稿先のホームページは[経済戦略会議事務局]です。

 以下、筆者の生の意見です。

[はじめに]

○いろいろなメディアで度々指摘されていますが、私たち一般の生活者の生活実感としてもここへ来て経済はますます沈滞しつつある印象です。
 友人知人と話をしていても、景気のいい話などはほとんど聞けず、自分の会社も景気が悪いとかあるいはリストラと言いましょうか、雇用や将来の生活設計に関する不安などに話題が向いてしまいます。単に景気が悪いと言った印象ではなく、もはや社会不安の様相です。

[ここ1〜2年の施策]

○私は、この一年ほどの間の経済施策を一生活者として自分なりに注意深く観察してきました。
 関係省庁や国会議員の皆様が知恵を絞って精一杯の取り組みをされて立案された施策なのでしょうが、結果としては、ことごとく的外れだったようです。
 減税とか公共事業等の景気対策などもそれぞれ実施されてきました。財政再建を目標に掲げていたこともあり、必ずしも規模的に充分なものではなかったかもとの反省点も一方ではありますが、それにしてもそれなりに無理をして打ってきた対策が市場からは完全に無視され続けていたという印象です。

[その原因]

○その原因は、私は、これまで日本の政策責任者の皆さんが株式市場の重要性をあまりにも過小評価してきたことにあると思います。政策責任者だけではなく世間一般の風潮として、株式投資は何となく「バクチ」でもしているような感覚で見る風潮があるように感じます。

○それでも、一部マスコミなどでは株式市場の重要性が真剣に議論されていましたし、一部議員の方の中にはその重要性をさかんにアナウンスされている方もおられましたが、結果として打った施策は株式市場を活性化させるには程遠い印象で、いわゆる「口先介入」に終始していました。

○聞くところによりますと、アメリカなどでは株式投資のしくみなどを小学校から教えているそうです。資本主義経済にとって株式市場は不可欠でかつ最重要なシステムでしょうから、それくらいに力を入れて教育あるいは啓蒙する姿勢こそが求められているのではないかと思います。

○考えてみますと、仮に株式市場が18000円程度で推移していれば、現在(14000円)のように金融機関の自己資本比率も大きく悪化はしないだろうし今日明日にでも云々と言った事態は回避できただろうと思います。
 14000円でも日本企業の実態からすれば高すぎる云々と言った指摘もありますが、株価水準の評価にはいろいろなやり方があるようですから、そのような指摘もさほど説得力のある指摘とも思えません。

[なぜ株式市場が重要か]

○私は経済の専門家ではありませんので素人考えで的外れかも知れませんが、株が下がれば悪いことばかりでメリットはほとんど考えられません。ここが土地とは根本的に違う点だと思います。

○土地は価格が下がっても一般の普通の人から見ればそれなりにいろいろな方面でメリットも出てきます。例えばマイホームを買うにしても土地は安い方が買いやすくなります。また、何か新しく商売をするにしても土地は安い方が楽に商売できることは確かです。盲目的に不動産に投機していた人たちにとっては土地価格の下落は大きな痛手にもなりましょうが、大多数の普通の人にとっては土地の価格が下がることはメリット面の方がむしろ多いくらいではないでしょうか。
 つまり、土地はある程度下がってもそれはそれでいいと思いますが、株が下がるというのは土地とは比較にならないくらいに大変なことだと思います。

○業績も悪く将来性もほとんど見込めないような企業の株価が下がるのは当然です。ところが現実は、今になって冷静に考えてみれば政策の失敗が原因で起こった極度の消費不振の巻き添えで一時的に業績が落ち込んだり、あるいは将来見通しもしっかりしているような企業までもいわゆる貸渋りの影響で資金繰りが急激に悪くなったり、そんな点をねらい打ちにしたかのような投機家のために株価が下がっている企業も多々あるように思います。

○そんなこんなでずるずると株式市場全体が沈滞していれば、優良企業といえども市場から資金調達することもままならず、金融機関の含みはますます悪化し、まさに悪循環になります。株が下がっていいことは一つもありません。

[株式市場が一方的に沈滞するのはなぜか]

○わが国の個人金融資産に占める株式資産の比率は、欧米先進国と比較にならないほど低いと聞きます。株式市場全体に個人投資家の占める割合も低下の一途だとも聞きます。つまり、わが国の株式市場は、一般国民からは驚くほど魅力のない場に成り下がってしまっているわけです。

○マニアックな人は別として、普通の個人投資家は株式投資を資産活用の場と考えていますから、まず、長期的な投資を心がけています。一方ではそんな冷静な個人投資家の目先に惑わされない人たちがいて株式市場が本来の機能を発揮できると思いますが、今の株式市場は、一部の機関投資家やあるいは投機家たちの思惑の影響だけが極端に大きく、本来の株式市場の機能が発揮されていないと思います。

[株式市場を魅力のある場にすること]

○資本主義経済で最も重要なはずの株式市場が、国民にとってこれほどまでに魅力がない場であってはいけないと思います。何とかして株式市場を国民全体にとって魅力的な場にする工夫が必要だと思います。株式市場を魅力的な場にするためには、例えば、「株式投資減税」のような趣旨の減税策を執ることが、中途半端でとってつけたような所得税減税よりもよほど効果的です。

○国民全体に株式市場の重要性を認識してもらい、欧米先進国並とまではいかなくても金融資産の一部をもっと積極的に株式市場に投入してもらうための強力なメッセージが必要な時だと思います。

[株式市場に個人の資金が流れるための前提]

○その前提条件として、何か「胡散臭い」イメージがつきまとうわが国株式市場に対して、企業の情報開示を徹底させたり、例え対象が誰であっても不正な行為を厳しく監視・追求する制度などを新設あるいは増強して、少なくとも株式市場が透明で公正な場であるという環境整備が必要であることは申すまでもないことです。

○そうすれば、多少のリスクはつきまとうにしても、より多くの国民がそれなりに安心して株式市場に参加し、株式市場の活性化につながるのではないでしょうか。一般個人の中にも株式投資に関心を持っている人はもっともっと大勢いると思います。NTT が上場した頃を思い起こせばわかります。もっとも、あのときはフィーバーが過ぎてしまったようですが。

[株式市場が活性化して好循環が回りはじめる]

○どう考えてみても、ごく平凡な市民一人一人から見れば金額的にわずかなものである一時的な減税で戻るお金を気前良く使ってしまう気にはなれません。株式投資で得たキャピタルゲインのような臨時収入ならばそれなりに気前良く使う気にもなりますが、臨時減税で戻ってくるお金はあくまでも減った収入を補う生活費として考えるのが常識的な人の対応だと思います。

○つまり、今の社会経済環境ではその場しのぎの減税で「新しい消費」が刺激されることはほとんど期待できないわけです。新しい消費を喚起するためにも株式市場を活性化させる施策が不可欠です。

○景気が回復するという期待によって株式市場が上昇するという発想から景気刺激策や減税だけを意識していても現状打開は困難だと思います。株式市場が活性化することで、結果として景気が良くなると発想して、株式市場に資金が流れやすくする施策を考えてみることも必要だと思います。アメリカの様子などを見るにつけつくずくそのように感じます。何とかして、株式市場を活性化させることが急務です。

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 NO.12 中年世代はもっと自分中心になろう 99.1.12

 先日、平成10年版の「国民生活白書(平成10年12月発行)」をじっくり読む機会がありました。国民生活白書は筆者にとってもそれほどなじみのない分野の白書なのですが、読んでみたら結構おもしろい(興味深い?)内容だったので、今日はこれを中心にいろいろと考えてみたいと思います。

 「国民生活白書」はご存知の方も多いと思いますが経済企画庁が発行する白書です。平成9年版は「働く女性」がテーマでしたが、平成10年版は「中年世代」がテーマになっています。

 歴代長官の中でもひときわユニークで、筆者もファンの一人である堺屋太一経済企画庁長官が執筆したと言われる巻頭言がなかなかおもしろい内容で、量的にも従来の巻頭言にはないたっぷりとしたものでした。内容は、白書のご他聞に漏れずさまざまな統計資料や役所が実施したアンケート調査などをもとにしたものですから少し退屈な面もありますが、どうしてどうして読みごたえのある内容でした。

 それによりますと、これからの世の中は良くも悪しくも現在の「中年世代(40代〜50歳代の人)」次第らしいのです。白書の帯見出しからしてふるっています。「中年〜それは、企業、社会、家族の中核であり、将来、高齢社会を形成する人々である」とあります。持ち上げてもらっているのか皮肉を言われているのかははっきりしませんが、筆者もこの中年世代に該当する者の一人として何やら複雑な気持ちになってしまいます。

 とりあえず、もくじ(内容構成)だけでもご紹介しておきましょう。

[はじめに]
[第1部]
  第1章 人口構成の変化と世代
  第2章 人口構成の変化と仕事
  第3章 人口構成の変化と老後
  第4章 高齢社会と消費、ストック
  第5章 中年世代と家族・家庭
[第2部]
  第1章 最近の家計動向
  第2章 世代と消費構造
[むすび]

 それぞれの章はいくつかの節からなっており、そのそれぞれの節で「これでもか方式」で中年世代が果たすべき役割の重要性が唱ってあります。内容の判断は読者の皆様ご各位にお任せするとして、筆者などは肩の荷が重すぎて途中で逃げ出したりしたくなるほどでした(?)。

 さて、内容についてですが、大筋では率直に認めざるを得ない印象です。
 19世紀以来増加を続けてきた日本の人口はまもなく減少に転じ(2007年前後らしい)、かつてない世界でも希な本格的な高齢社会が間近に迫ってきています。そしてそんな時代を迎えるに当たって、現在の中年世代の何かしら悲劇的な感じもする役割についての指摘が、筆者には少しショックでした。つまり、こういうことです。

○わが国の企業社会においては、多くの人たちが年功賃金を基礎に生活を設計してきました。
 年功賃金は、若いときには貢献度に比較すれば低賃金ではあっても、長く勤め上げていれば年齢に応じて賃金面で手厚く処遇してもらえる(もちろん多少の個人差はありますが)、いわば「後払いの恩恵」を特徴としています。そして、今の中年世代は、若いうちは言われるままにがむしゃらに仕事に打ち込みいざその恩恵に与ろうかというまさにその時になって、リストラのターゲットにされ、資産価値の暴落に見舞われ、将来の年金支給不安の心配もしなければならないなど、必要以上の大きな不安感を抱えた世代だと指摘しています。

○中年世代が不安感を持っているということは筆者の周りを見ても感じますが、それが白書が言うように必要以上の不安かどうかは筆者には判断する見識はありません。

○その背景には、つぎのような中年世代観があるようです。
 「今日の中年世代は物質的に豊かな暮らしに慣れたばかりか、公共精神にも清潔感にも満ちあふれた人間になったといえるでしょう。今日の中年世代は、成長し続ける世の中に遅れまいと勤勉さを身につけました。同時に、確実に成長する社会と変わらぬ体制を長く経験したことで、人生は予定通りに進むはずであるという信念を持つようになりました。社会人としての彼らは、勤勉で辛抱強く人間関係にも敏感です。日本が経済成長と都市化の進行の中で活力を失わず治安を良好に保てたのは、そのためです。また、家庭人としての彼らは、教育熱心で心配性で未来思考の節約好みです。〜巻頭言より引用」。まじめな善人の典型のような人間観です。

○白書では国民生活のさまざまな側面を分析しています。
 例えば、近い将来には絶対的労働力が不足するから現時点では厳しい雇用もそのうち追い風になるとか、高額介護費用が必要となる人はごく一部の人で大多数の人はそれほど心配する必要はないと言ったことが細々と指摘してあります。

○そして、他の世代に較べて圧倒的とも言えるほどに数の影響力を持った今の中年世代は、これまでも、いわゆる「団塊の世代(1947〜1949年生まれの人たち)」を中心に、自分たちが通過する時期に合わせて新しい需要を生じさせ、新しい供給や技術を開発させ、自らの手でそれを拡大普及させてきた訳であるから、これから高年齢者向けの市場が大きく拡大することが見込まれることが確かな情勢の中で、高齢になっても勤労意欲の高いわが国では高年齢起業者の役割やアイデアに期待しつつ生涯現役社会をめざしながら、世界に先駆けて新しい高齢社会のモデルを創るという極めてチャレンジングなやりがいのある仕事に挑むチャンスが与えられたと、何かまか不思議な結論に結ばれていくのです。

 何ともはや、中年世代はえらく難しい役割を仰せつかったものです。

 天の邪鬼を生き甲斐とする因果な性格の筆者などに言わせれば、さしずめ今日の閉塞感が漂う社会経済情勢は、まじめな善人に降って沸いた災難としか言いようがありません。こんな大役が今の中年世代にこなせるかどうか、筆者にはもうひとつピンときません。筆者の感覚で言えば、会社に行けば上司や部下やさらには同僚に遠慮し、家庭に帰れば子供に遠慮しながらもたまのゴルフや酒で憂さを晴らしているような、主体性のないままに時代に流されてきた世代が今の中年世代といったところです。

 筆者は、常々、環境適応には二つのやり方があると思っています。

 積極的適応と消極的適応(順応と言っても良さそう)です。積極的適応からは自らのあり方を能動的に進化させるようなイメージを思い浮かべますが、消極的適応(順応)からはあくまでも受動的に環境を受け入れながらやり過ごすと言ったイメージを思い浮かべます。

 そして、今まで、何かにつけて自分が置かれた環境に対して消極的適応をしてきたのが今の中年世代です。例えば、これまでも、団塊の世代が自ら需要を創造していたのではなく、絶えず、誰か他の人が与えてくれた機会に大挙して便乗していただけに過ぎません。

 もちろん、このようなことについて他人がとやかく善し悪しを言っても始まりません。
 しかし、社会環境が大きく変わることだけは確かです。これからは、消極的適応では時代を乗り切ることは出来ない気がします。

 それを乗り切る方策としては、中年世代がもっともっと自分中心の発想を持つことが大切だと思います。会社のためとか世のため人のためとかの余計な遠慮や、みんながそうしているからといった横並び意識で子供の教育に対処したりはほどほどに押さえて、真の自分らしさを身につけて確固とした存在感を示すことが求められているのでしょう。そしてそれが出来るようになったとき「中年世代の反乱」とでも言えるようなほんとうの意味の社会的パワーを獲得出来る気がします。

 赤瀬川原平氏の提唱する「老人力」にあやかれば、この白書は「中年力」の大切さを指摘してくれたと言っても良さそうです。読者の皆様はどう感じられるかわかりませんが、読みやすく整理してあるので是非ご一読をおすすめしたいところです。

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 NO.13 個人力を強化しよう 99.4.8

 市場競争社会の急速な進展が、企業経営者は言うに及ばず一般社員にも過酷なプロ職業人としての振る舞い方を要求しているようです。ちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが、他者とは異なる技術や貢献を提供し続けることによってしかグローバルな企業社会で生き残ることが不可能な時代になったとも言えましょう。


 最近、何となくそんなことを考えていたのですが、先日読んだ経済同友会の「第14回、企業白書(1999年2月)」がちょうどそのような問題意識に的を絞った内容に思えたので、今回はそれをご紹介します。

 同白書は、東証1部・2部上場企業および経済同友会会員企業の役員を対象に実施されたアンケート調査が中心です。約1200名ほどから有効回答を得たそうです。それに加えて、「成果主義人事制度への取り組み」というテーマで各産業セクターで日本を代表するような14社を対象にしたヒヤリング調査もあり、なかなか内容の濃い調査という印象を持ちました。

 興味深かったのは、アクションプログラムと題した提言の内容です。
 白書の巻頭を飾る部分に「改革は経営者から、経営者こそ成果主義を」といった目を引くコピーが載っています。これまでの経済界の身内にやさしいパターンから見れば、異例にも見える辛口の提言と受けとめられたようです。各マスコミの紹介記事はその点をセンセーショナルに取り上げました。

 ちょっと各社の見出しを拾ってみますと、

○日本経済新聞(99.2.19)--経営者は業績で出処進退決意を...同友会が企業白書

○朝日新聞(99.2.19)--経営者こそ業績に責任を...経済同友会、異例の改革提言

○読売新聞(99.2.19)--赤字出した社長退任を...同友会が辛口「白書」

○毎日新聞(99.2.19)--経営者は業績で進退を...責任の明確化と透明評価求める

 まさに経営者受難の時代です。
 しかし考えてみれば今までがおかしかったのでしょう。遅ればせながらでも、こんな当たり前のことを当たり前に実行してもらいたいと応援したくなります。

 筆者はこれまでも度々指摘してきましたが、どうも日本の企業というのは、妙に社内力学の都合だけで経営者になっている人が多いような気がして、経営者が本当に非凡な経営能力を身につけて責任意識を感じながら経営に当たっているのかどうか疑問に思います。

 銀行救済に簡単に公的資金を導入したり、今度は、金融機関はゼネコン等を救済するために多額の金額をいとも簡単に債権放棄したりなど、これで良いのかなと何か不思議になります。自分のお金を使うのなら勝手にしてもらってもいっこうにかまわないのですが、そういうことに使っているのはあくまで他人(株主や国民)から預かっているお金だと言うことを忘れてほしくないという気持ちが先にたちます。

 日本経済が立ち直るためにはこれも必要なのかなという気もしないではありませんが、どうももう一つしっくりしないのです。


 さて、余談はおいといて、この企業白書は一般の職業人にとっても含蓄のある指摘がたくさん載っています。
 「経営・人事戦略の今後の方向について」と題しした部分で、企業経営者の意識を通じこれからの日本企業の新しい人事戦略や制度のあり方を模索した箇所です。筆者なりに論旨を簡単に整理してご紹介しましょう。例によって、もし論旨を取り違えていたら筆者の責任であるということをお断りしておきます。

○今、日本の経営者達が最も重視している企業イメージは、競争力があり成長する会社で、それに加えて社員との間に相互信頼があり、従業員の能力を育て開花させ、社会的評価の高い会社といったところです。一方、社員教育に多大な投資をし、社員の生活に手厚い保護をし、給料の良い会社といった、旧来型の日本型経営を象徴するような会社イメージはほとんど影を潜めています。

○そして、このような企業像の実現に向けて重視する経営戦略は財務体質の強化で、そのためには経営資源の分散化につながりやすい事業の多角化や海外展開を控え、コア事業の強化をめざし間接部門の合理化でコストを削減し、販売力の強化や研究開発の強化で競争力をつけようとしています。

○また、これまでの企業経営の中で重視してきた優先順位は「顧客」「従業員」「株主・投資家」の順でしたが、今後は、「顧客」「株主・投資家」「従業員」の順だと認識されているようです。

○そして、このような経営戦略の変化に対応して人事戦略の構造改革が必要だとして、部門別には営業・販売部門と企画・管理部門が、職位別には圧倒的に管理職改革が必要だと考えられています。

○改革に当たっては、人員のスリム化をめざして評価・処遇の成果主義化・実績主義化をベースにした従業員管理の構造を調整すべきだと考えられています。一方、雇用の安定化は現状維持のレベルにして、従業員の生活を考慮した処遇や長期勤続を奨励する制度の重視には否定的な感触を持っているようです。つまり、雇用保障の方針についてはこれまでと大きな変更はないものの、生活自体を保障して長期勤続を奨励する人事戦略は後退させたいといった考え方が見られます。

○また、そのための動機づけとして金銭的報酬の格差は効果があり、そのことで個人の自己啓発が進みプロフェッショナル化が促進され、長期的な観点から人材育成・能力開発につながるという認識を持っているようです。

 大体こんな内容です。

 調査時点が未曾有の不況下にあったからこのような厳しい内容のアンケート結果になったという面も少しあるかも知れませんが、このような企業行動は景気が回復しても続くと考えておくことが大切だと思います。と言うよりも、グローバル競争社会で個々の企業が自社業績を確保し続ける手段は他には見つからないからです。ゆとりがないので、余分なものはこの際一切諦めますといった覚悟にも受け取れます。

 今、各企業は生き残りをかけて競争力の強化に躍起になっています。たぶん、それは間違った方向ではないと筆者自身も考えます。

 問題なのは、そのことのしわ寄せがリストラという形で最後には一般社員に覆い被さってくる点でしょう。もはや、高度成長期のように言われるままにガムシャラに他人と同じ事をしているだけでは間尺に合いません。いつ自分に火の粉がかかるかわかりません。そんなことになるわけがないと開き直ってはいられません。現に、失業率はますます悪化の一途です。同白書が指摘していることが現実の数値としてジワジワと表れてきています。

 大変な時代になったと悔やんでばかりもいられません。個人に出来る対応としては、自分自身の能力(筆者はそれを勝手に「個人力」と呼んでいます)に磨きをかけ、自分の「個人力」の競争力を強化することしか方法がありません。成熟社会では、政府や企業に何かをしてもらうという発想では時代に対処できないようです。個人個人が自分自身の見識を身につけることが何よりも大切だと痛感した次第です。

 読者の皆様も機会があれば同企業白書を是非ご一読如何でしょうか。日本の経営者諸氏がどんなことを思い描いておられるのかを知っておくことも何かの役に立つと思います。

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 NO.14 成年は大志を抱こう 99.6.8

 景気回復の足どりが、なるようで確かなものになりません。今、社会で起きている変化は構造変化ですから、考えてみれば無理もないことでしょう。一方では、競争力強化をめざしていよいよ企業のリストラが本格化してきました。数日前に発表になった最新の失業率はついに5%の大台を越えました(男性のみ)。

 このような経済・雇用情勢に囲まれて、これまでは雇用維持という側面だけを過大に意識していた政策スタンスも、ここへ来てようやく新規雇用の創出という側面にも目を向けるようになってきたようで、政策責任者たちの発言も予算的措置もそのようなニュアンスのものが最近増えてきました。時代が大きく変化しようとする中、あくまでも旧態然の発想ばかりでは、うまくいくものもうまくいかなくなってしまいますから、喜ばしい変化だと思います。


 そのような折り、この5月に「平成11年版、中小企業白書(中小企業庁)」が報告されました。
 「経営革新と新規創業の時代へ」という挑戦的なサブタイトルが目を引きます。今回は、この中小企業白書を基にいろいろ考えてみることにします。

 まず、論旨を簡単に整理します。例によって、論旨を取り違えていたら全て筆者の責任です。

○同白書は、中小企業庁設置から50年、中小企業基本法制定から30年を経過した中で、中小企業が抱える課題も長期的に変化してきており、新たな対応が求められていると指摘しています。

○つまり、所得水準が低く成長率が高い成長経済の時代においては、全体のパイが拡大する中、その成果を広く分配するという発想が必要だったとして、たぶん政策的にもそのような面を意識してきたのでしょうが、これからの成熟経済においては旧来とは違った視点が必要になると主張します。具体的には、新規市場の開拓、機動性や個性といった強みの発揮、広い意味での経営革新、さらには潜在的中小企業であり成長する過程で新たな雇用を生み出す新規創業の活性化が何より増して重要だと強調するのです。

○そして、新製品・新サービスの開発、研究開発、事業内容の転換、ネットワーキング、アウトソーシングなどの「経営革新」に取り組んでいる中小企業は総じて良好な経営成果を示すと指摘することも忘れません。

○米国では開業率と廃業率は常に高いレベルで推移しながら一貫して開業率が廃業率を上回り(直近データで13.7%と12.6%)企業の新陳代謝が盛んに行われておりこれが新規雇用の創出や経済の活性化に貢献しているのですが、わが国の開業率は低下の一途で最近ではついに開業率と廃業率が逆転し(直近データで3.7%と3.8%)、開業する者より廃業する者の方が多くなっているそうです。

○これでは、景気が良くなるどころの話ではありません。このままでは雇用創出や経済の活力向上など夢物語で、永久に景気が良くなることなど期待できません。

○一方では、近年わが国では、開業率は低下傾向にあるものの創業希望者は年々増えているらしく、何と平成9年のデータでは124万人にもなっているようです。
 この数字だけ見れば日本人も捨てたものでもないとも思いますが、この点については白書は詳細な分析はしていません。筆者の感触では、成熟企業従事者が会社に見切りをつけたりあるいはリストラに遭遇したりでやむなくそうしているという面も多々あるのではないかと勘ぐりたくなります。まあ、天の邪鬼な発言は程々にして冷静にデータを見てみると、創業希望者が若年層で圧倒的に多いことに注目すべきなのでしょう。若い斬新な発想の新しい企業が増えていけば、社会全体に活力がみなぎることは必然です。

○問題なのは、創業希望者は増加傾向にあるものの実際の開業率は低下しているという点です。また、創業時の年齢は逆にますます高齢化しているということも見逃せません。

○このことは、わが国の創業活動の阻害要因として、第一に開業に関連する広い意味の資金調達環境が未整備なことや、何となく事業家志向的な発言はするものの実際は大企業安定志向の人が大勢を占めており、創業を支援する社会環境が未熟なためなかなか活性化しない現実を物語っています。

○最後に同白書は、従来、慢性的な雇用不足感があり不況期には雇用を吸収してきた中小小売業・中小サービス業等でも雇用過剰感が高まり、実際に雇用を減らす動きが見られるとし、ここへきて新規創業による雇用創出の期待が一段と高まってきたと言い、このような厳しい環境も旧態たる経営を続けようとすれば「脅威」ともなるが、積極的に対応しようとする中小企業にとっては逆に「チャンス」であるとエールを送ってむすんでいます。

 白書の例に漏れず、この中小企業白書も何か最後には尻切れトンボのような頼りない一抹の不安だけが残ってしまいます。公的な白書は実態を詳細に報告することに主眼が置かれるものでしょうから仕方がないことかも知れませんが、筆者などは、白書を読む度に「おいおい、話しはまだこれからでしょうが」と言いたくなってしまいます。

 仕方がありませんので、ここから先は、筆者の偏見で解説します。

 筆者に言わせれば、創業環境の未熟さを解決するには、以前にも本稿で何度も指摘しているように投資家への税制的な優遇措置が何にも増して求められていると思います。新規創業を支援する投資家(例えばエンジェルと言われているような人たち)には特にそれが必要かも知れません。

 考えてもみましょう。
 所得税や相続税で自動的に高い税金を納めてみても、挙げ句のはては、わけのわからない金融機関救済や「なあなあ感覚」の旧態然の感性で気前良くお金を使われているのが現実です。

 そんなことになるくらいなら、投資家としてその分のお金の投資先を自分の判断で選べるとすれば、新規創業は概してリスクが高く失敗する可能性もありますが、仮に投資が失敗したとしても気持ちが良いに決まっています。おまけに、投資が成功して投資先の企業が上場でも出来れば、一夜にして本当の資産家にもなれますし、何と言っても、新しい事業が成功すると確信しながら一肌脱いでみると言う行為は、何事にも代え難い喜びとなるに違いありません。

 成熟社会では、新しいことに挑戦する姿勢が何にも勝る社会貢献だと思います。自分で直接やるにしろ、あるいはお金を投資して間接的にやるにしろ、ともかく成年達には大志を抱くことが求められているようです。

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 NO.15 将来の生活を楽しくしよう 99.8.5

 振り返れば、この一年間ほど失業率は毎月のように戦後最悪を更新し、サラリーマンにとって激動の時でした。雇用情勢についてはこの状況がまだしばらく続くというのが大方のエコノミストの見方ではありますが、ここへ来て、一部業種では企業業績にも明るい兆しが見え始めています。政府の景気浮揚策の成果も多少はあったかも知れませんが、筆者はむしろ遅ればせながらでも今日本で進みつつある情報通信革命の成果だと感じております。


 今回は、そんなことに関連した大変ユニークな調査報告を発見しましたので、それを中心に話を進めましょう。その調査報告というのは、「コスト体系の変化と経営・生活スタイル研究会」の報告で、平成11年6月に経済企画庁物価局から出されています。そして「こうすれば日本の生活は楽しくなる」という、役所らしくないコピーが目を引く報告です。この報告が通常の出版物ではなくインターネットだけで報告されたという点もまた、意味あり気な印象でおもしろいと感じました。
 (原文はこちら[コスト体系の変化と経営・生活スタイル研究会])

 同報告は、いくつかの客観的データを基に日本の変化を見極め、その対応策を探る章の二部構成になっていますが、そのそれぞれの章の要点を整理してみます。(以下は、筆者が原文から要点の抜粋をもとに再構成しています)

 まず、「変化の方向」いう章で日本の将来変化を考察しています。

○日本の人口は2050年には1億人にと20%減少し、土地も住宅も余り、価格は下落します。地方の地価・住宅価格はバブル期に高騰しなかったが、国際的にみると割高であり地方の地価も下落します。土地が余るから、スペースの活用が重要になると指摘しています。

○企業が「賃金に見合うだけの貢献をしていない社員」と考えているものの割合は中高年層になるほど高くなっており、年功賃金を核とする日本的経営システムは存続しえず、個人の能力と自己責任を重視した新たな経営スタイル、それに適合した生活スタイルが生まれます。そして、若者、女性、スペシャリストの相対価格が上昇すると指摘しています。

○団塊の世代の高齢化により爆発的に高齢者用財の需要が増えるが、子供用財の需要は減ります。将来の高齢者は老後所得の不確実性が高まるが、現在の高齢者とは異なり、豊かな社会に育ち消費生活の楽しみ方を心得ているからそうなると指摘しています。

○これまで、日本のものの価格は国際的にみて割高にするような歪みがあり、この歪みは規制や法人需要に支えられて存続してきたが、日本的経営の変化が法人需要を消滅させ、グローバル化の波は歪みをなくし、サービス価格を高めている休暇時期の集中も見直され「時間の柔軟化」が進み、内外価格差が消滅すると見ています。

○日本ではアメリカなどに比べるとインターネット通信の利用程度は低いが、近年急速に普及しており、ますます活用されていくようになり、インターネットによって情報の流通コストが革命的に低下します。

○塾に通って勉強させるコスト、複雑な組織の中で内部の交渉が大きくなるコスト、本社が系列会社とともに大都市に集中する結果生まれる住宅コスト、通勤コストなどが見直され、日本人の生活スタイル全般にかかわる高コスト体質も改善が期待できると指摘します。


 以上のような考察に基づいて、「変化を捉えて楽しい生活を創るための7つの戦略」と題した提言を行っています。

1. 地価の下落を活かすべき

 地価の下落は、これから発展する企業に投資がしやすい環境をもたらし、土地を持たない人々の実質所得を上昇させる。また、地方における地価の下落は、地方に投資するコストを低下させ土地の有効利用にプラスとなり、その際、自治体が他地域に先駆けて立地規制を緩和すれば、投資を招き雇用が拡大するなどのメリットが生まれる。

2. 少子・高齢化を活かすべき

 中高年の賃金は相対的に低下していくが、それは、雇用が現在より保障されるということでもあり、中高年全体としての平均所得はそれほど低下しない。高齢者の時間と人生経験を生かすために、「時間銀行」「労力銀行」のような仕組みを考え、パソコンや電子メールを駆使する新たなタイプの高齢者の増加に対応する。

3. インターネットを活かすべき

 インターネットは劇的にコストを削減し、多くの人が議論に参加することを可能にして透明性を高めるなど意思決定プロセスも改善し、知的生産の効率化につながる。

4. ライフスタイルに応じて居住を選ぶべき

 地価の下落や定期借地権などの進展により、ライフスタイルに応じた居住選択が可能になる。住み替えの促進には税や仲介手数料などの諸コストの低下が求められ、これまで日本の住宅の耐用期間は30年にすぎなかったが、今後は100年もつ住宅が求められる。

5. 会社ではなく個人がキャリアを選ぶべき

 会社が個人に職種を配分するのではなく、個人が「自分のキャリア・プラン」に基づいて職業を選択するようになる。会社と個人の間に長期雇用を前提とした「貸し借り」関係がなくなり、会社に貢献するとともに自己のキャリアを磨く働き方が主流になり、転職も自由になる。

 賃金は個人のキャリアを反映したものとなる。転職の盛んなアメリカで年齢が上がれば賃金が上昇しているように、個人のキャリアアップによって自らの力で「年功賃金」を創り出すことができる。変化に対応する個人と企業が生き残り、キャリアアップを求める若者に応える企業が成功する。

6. 教育は個人の求めるものを提供すべき

 個人が自分のキャリアプランを自らの意思で決めるようになれば、仕事で必要な専門知識・技能を習得できる教育機関の地位は高まる。会社も、漠然とした潜在能力や忠誠心よりも明確なスキルを求めるようになる。目的の見える勉強は虚しいと感じることもないから、教育機関に補助するのではなくて、学ぶ本人に補助することが望ましい。

7. 新しい価値観の創造のみならず、時代を超えて生きる価値も尊重すべき

 古いものを全否定する必要はない。製品やサービスの「改善」、よりよい成果に到達するための「努力」、職人芸など、時代を超えて重要なものがある。また、職場のチームワークが尊重され続ける。分社化、スペシャリスト化により、ライバルは社内ではなく同業他社となり職場のチームワークは強化される。

 同調査報告の主張は、これまで筆者が指摘してきた内容と概ね同じです。

 私たちは、高度成長期からバブル経済期を通じて、これまで常に地価は上昇し、賃金もまた絶対水準でも年功的にも上がるものと、いわば錯覚してきました。そしてつい最近に至るまで、多くの企業では新しい状況に適切に素早く対応できないで、相も変わらず、社内だけでしか通用しないスキルの獲得を叱咤するかのような管理システムの構築や社内風土の強化に邁進してきました。私たち自身もまた、それを当然のように受け入れてきました。

 しかし、グローバル化の波はもう止めようがありません。これからの私たちは、過渡的に試行錯誤はあっても、早く、成熟社会にふさわしい考え方を身につけることが、将来を楽しく過ごすための近道のような気がします。筆者流に言えば、それが「個人力の強化」なのです。周りに恐々とするだけの切羽詰まったような生活ではなく、自分中心にのびのびと将来の楽しい生活をめざして日々をすごしたいものです。

 役所が出した報告で、こんなに単純明快で粋な主張のある報告を久しぶりに見ました。堺屋長官になってから、経済企画庁のこれまでとは何かが違う活動が目立つような気がします。余計なことまで差し出がましくしたりあるいはあれこれ取り繕ったりの報告はうんざりです。この報告のように、まず明確なビジョンを掲げ、その実現に向けて全勢力を傾けてほしいと感じた次第です。

NO. 1〜 8
NO.16〜26
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.57〜65
NO.66〜76
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
NO.99〜106
NO.107〜

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