好奇心コラム

NO. 1〜 8
NO. 9〜15
NO.16〜26
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.57〜65
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
NO.99〜106
NO.107〜


 MIZ.VOL.3 日本再生のシナリオ PART1(NO.66からNO.76まで)
 [執筆者]
 水町祐之

 [紹 介]
 第三インテリジェンス代表。
 1952年、福岡県生まれ。日本大学大学院博士前期課程(管理工学専攻)修了後、一貫して経営コンサルタント業務に従事。執筆活動では[転換が迫られる日本型人事・教育システム(人材教育‥日本能率協会マネジメントセンター発行月刊誌、1998年11月号より)]。


●サブテーマ
ジャパニーズマフィア / マフィア解体の環境づくり / 上級官僚の人事権は内閣に / 株式等投資税制改革は戦略 / 起業促進が最重要 / 小さな政府になれば / 産業育成よりも起業促進 / 政府より自治体、そして個人 / 最重要課題が「検討」では / 産業構造調整と賃金格差 / 銀行では企業育成は無理


 NO.66 ジャパニーズマフィア--2001.5.29

 筆者は、この前の連休中にスカパーでマフィア映画を見て、妙なことに気がつきました。「日本の官僚制度や族議員や関連業界からなる目に見えない組織(しくみ)」がマフィアそっくりに思えてきたのです。そこで、今後、このしくみのことをジャパニーズマフィアと呼ぶことにしました。

 ジャパニーズマフィアは、如何にも日本的なソフトなオブラートに包まれた組織ですが、「利権の甘い汁を(半ば合法的に)吸い上げる」点で近代的マフィアの特性とそっくりです。日本に昔からある「やくざ」の組織とは少し趣が違います。

 マフィアは世界中のどこでも厄介者だと思います。だから、どの国も撲滅に取り組んでいます。欧米ではマフィアが社会的に悪だという共通認識がありますから、うまくいくかどうかは別としても、誰もがその撲滅運動の趣旨には納得します。

 困ったことに、ジャパニーズマフィアは、それが悪だということに気がついていない人々が多いと思います。構成員もそれが悪だとは思っていないでしょう。自分がその構成員であることに気がつかない人々すらいるのではないでしょうか(構成員とは言っても全部の官僚がそうだという訳ではなく、ごく一部の不心得な高級官僚のことですが)。

 それは、欧米のマフィアと違って、ジャパニーズマフィアはめったなことでは法律に背くことがないからです。考えてみれば当然です、都合が悪い法律は作り替えたり、行政指導と称して運用に手心を加えれば済みます。元々そうするのに都合がよい人々だけを選んでジャパニーズマフィアが組織化されています。

 欧米のマフィアでは、たぶん、数人の体を張った大親分がいて、大親分の存在でいろいろな秩序もそれなりに保たれると思いますが、ジャパニーズマフィアは大親分が存在していないのも厄介な点です。だから逆に、あらゆるシマ(各省庁の所管分野)ごとに年功序列的な大勢の小親分がいて、その小親分達が各々好き勝手なことをして収拾がつかなくなります。

 その好例が、旧文部省か旧中小企業庁のシマかは知りませんが、先般のKSDです。筆者は、旧建設省や旧農林省などのシマにはおそらくもっとたくさんのKSDがあるのではないかと心配になります。

 ジャパニーズマフィアを撲滅するにはどうすべきか。ジャパニーズマフィアになりやすい特殊法人等の「廃止や民営化」も手段の一つですが、筆者は、あらゆる分野において「徹底した規制緩和(行政指導的な行為や業界慣習的な目に見えにくい事実上の規制も含めて)」が最終的には一番効果的だと思います。

 なまじ半端な規制があるために、その規制の運用にかかわる甘い汁を求めてジャパニーズマフィアが暗躍するのだと感じます。

 ジャパニーズマフィアは、日本が発展途上国だった時代には「一面では必要悪として重宝」でしたが、今では、「成熟国としての新しい発展の途を塞ぐ癌」に成り下がったように感じます。日本が成熟国になるためには、是が非でも排除しなければならない最大の懸案事項だと思います。

 ジャパニーズマフィアは、選挙が近くなってくれば甘言をまくし立てます。「私は中央に大きな影響力がある、地元の繁栄に大きな貢献実績がある、地域振興に身を捧げる覚悟です、消費税を下げて庶民の生活を守ります」等々。また一方では、暗に脅すことも忘れません。「一旦は財政出動もガマンして景気を回復させないと失業者があふれることになる、改革とか民営化とか勝手に騒いでいるがそれで切り捨てられるのは私たちのような一般庶民だ」等々。

 私たちは国の主権者として、これらの誘惑に対して冷静に振り返ってみることが必要だと思います。消費税が下がったら有頂天でお金を使うだろうか、山奥に場違いな博物館や大規模林道などができて地域の生活が本当に豊かになるのだろうか。答えは、たぶん「否」だと思います。

 そんなことを繰り返しても、施設維持の負担や林道整備が遠因の崖崩れなど人災の増加でますます深みにはまるのがオチです。ジャパニーズマフィアの甘い誘惑は、地域のためと言うよりも、特定業界のそのまた特別な立場にいる「ほんの一部の人々」の繁栄だけに好都合なごまかしが多いのです。最近の賢明な山村住民などはそのことに気づきはじめています。

 地域活性化の取り組みが成功するためには、「ジャパニーズマフィアのヒモ付き制度事業」が重要なのではなく、真に地域住民が中心となった地にへばりついた取り組みがポイントになります。筆者はそんな取り組みの援助を生業にしていますから、自信をもって断言します。視野の狭い短絡的な地域愛では地方の再生はできません。そして、新しい時代に向けた成熟日本は構築できないと思います。

 ともかく、次の選挙は、最近にない面白いドラマになりそうな予感がします。ドラマとしては興味深いのですが、そのあおりで日本の構造改革が遅れなければ良いのですが・・・



 NO.67 マフィア解体の環境づくり--2001.6.1

 ジャパニーズマフィアの手口は巧妙でスマートです。欧米マフィアのようなガサツさや荒っぽさはありません。

 例えば、旧建設省関係のある外郭団体では公共工事の積算見積もりに使用される工事単価の便覧を作成しているそうですが、この単価は、建築士などの話を聞くとどうも実勢単価より2-3割高いようです。これなどは、良い方に解釈すれば手抜工事防止のための余裕とも解釈できますが、マフィアが上前をはねるための体裁にも見えます。

 実際に工事をする末端下請業者や労働者にその単価通りに支払われていれば、末端の工事業者も単に割のいい仕事にありついたと喜べますが、たぶん彼らは厳しく買いたたかれていることでしょう。民間企業発注の工事でその単価通りに工事費を貰えるなら工事業者は大儲けと言っていた建築士の言葉が思い出されます。

 地方自治体が各省庁の予算で行う事業(いわゆる制度事業)では、事業が認可になるための調査や計画策定の発注先が事実上指定されているものも多いのが現実です。もちろん窓口担当者はそれとなくほのめかす程度ですが、実質的な交換条件です。ほのめかされれば、各省庁の息のかかった天下り先特殊法人(シンクタンク)に発注しておくのがヒヤリングなどでいじめられないための無難な選択になりましょう。

 それらシンクタンクが真剣に調査や計画づくりをしてくれればいいのですが、取って付けたような作文の調査も少なくありません。財源のない自治体が喉から手が出るほど欲しい事業であれば、言いなりにならざるを得ないのも想像に難くありません。折しも、「脱ダム宣言」や「諫早湾干拓」などの議論が重複して頭に浮かびます。

 全てが合法的だという点で欧米のマフィアの手口と違って心憎いほどに良くできたしくみですが、「立場を小ずるく利用した身勝手さ、質の悪いいじめ、赤信号も皆んなで渡れば怖くない」という日本社会の陰湿な側面の縮図を見ているようで虫酸が走ることに違いはありません。


 ところで、話は少し飛びますが、ここで、筆者の笑うに笑えない体験談をご紹介します。ある山村で、複数の国の制度事業を利用して村としては少し大がかりな地域整備計画の手伝いをしていた時のことです。

 古い家並み(文化財)を保全整備しながら、来訪者がさまざまな山村生活体験ができる工房や宿泊施設を展開しようと村の企画担当者諸氏と悦に入って構想していた場所に、急に生活改善事業が入ってきて大混乱になりました。ちなみに、生活改善事業とは公民館建設です。

 笑ってしまうのは、国(県)の生活改善事業の担当窓口氏は予算を消化することしか頭になくて、現地も見ずに地図上で場所を決めるのだそうです。同種の施設が重複しないよう地図に何本か線を引くのですが、崖っぷちの集落では、線内で建てられる場所など極端に限られます。それでもタダで公民館を建てられるのを断る手はないと、村の生活改善担当者氏は今にも建てそうな勢いです。断ったら次のお誘いがこなくなるという面もあるようです。

 役所では、国-県-市町村という流れで業務が強く結ばれていて、同じ村役場内でも担当が違えば仕事上の関係は弱く、しつこい口出しも御法度。困った企画担当者氏と文化財担当者氏は、第三者である筆者に公民館建設をやめるよう説得してくれと言うのですが、筆者に権限があるわけでもなし困ってしまいました。

 村が全体を自由に企画構想できれば良いのですが、問題は、国の事業ではそれぞれの省庁ごとに期限や規格や決まり事があるので思うように全体を計画できない点です。古い家並みの貴重価値が評価されているところに場違いな近代的公民館があっては文化財にもなりません。

 まあこれは笑い話のような一つの体験談にすぎませんが、この話の中に日本が抱える公共事業のあり方についての大きな問題点が含まれていると思います。筆者は、大方の国が行う公共事業は、大なり小なり、事業の実施現場レベルでは似た状況になっているものが少なくないと想像します。

 これを打開するために、何とか工夫して、できるだけ多くの公共事業を国の管理から切り離すことが不可欠だと感じます。

 現代では、地方により抱える課題やニーズが違います。大都市は過密で地方は過疎、正反対です。多様化した現実の中で、規模的にも巨大な公共事業を「全国均一」というモノサシしかない国が一手に采配することに固執すれば、現実問題として企画や評価が不可能なために「押付けのムダ事業」が増えるのを避けられません。

 公共事業の財源と権限を大幅に地方に移管し、地方が独自の構想で自分の魅力づくりに役立てられる公共事業のしくみにした方が良さそうに思います。そうすれば結果として無駄な公共事業が減りましょう。他人のお金なら少しくらい無駄遣いしても気にならくても、自分のお金ならそうはいきません。

 そして、公共事業を地方に移管することのもう一つのメリットは、各省庁の所管分野を中心にシマを分け合うマフィアの存在意味がなくなるという点です。マフィアの排除には、特殊法人の廃止や民営化さらには族議員減らしなどの直接的取り組みも必要ですが、存在の意味をなくしてしまう環境づくりも忘れてはならないと思います。



 NO.68 上級官僚の人事権は内閣に--2001.6.7

 田中外務大臣をめぐる話題(外務省官僚が何らかの意図をもって外相会談情報をリークしたと言われる騒動)がマスコミにあふれてきました。筆者は、現時点で外交問題はさほど重要テーマとは思っていませんが、この件が落ち着くまでは残念ながら経済構造改革論議にも本腰が入らないようです。

 ちょうど良い機会なので、本日はこれを題材に官僚の人事権について考察することにしました。

 さて、官僚は政策(法律)を実現するための事務を行うのが役割です。政策(法律)が良いか悪いかを判断するのは国会(国会議員)の役割で官僚ではありません(建設的進言であれば、もちろんいいことですが)。

 一方、私たち一般の国民は、政策が悪ければ選挙で政権(より直接的には国会議員)を変えることもできますが、官僚には「選挙」という国民に審査される制度もなく国家公務員法で身分を保障されているから、一旦なってしまったらたとえ国民が適切ではないと判断した人であっても勝手に変えることはできません。

 これは、行政の継続性を確保するなどの良い面もありますが、逆に、一部の不心得官僚の取り込みを巡る政官界のマフィア化を助長するという弊害があります。そして最近では、後者の弊害が目立つように感じます。

 筆者は、外務省官僚は官僚の中でも特に紳士揃いで、政権争いなど関心もない使命感に燃えた人々だと思っていましたが、これは間違いだったようです。マフィアの魔の手は外務省官僚にも着実に伸びているようです。一部の国会議員や外務省幹部さらには駐米大使などまでが呼応して、オーストラリアやイタリアなどの外相を巻き込んだ今回の外相会談情報リーク騒動がこれを如実に物語っています。

 NMD云々の是非はともかく、筆者などは、田中外相の発言が遠慮するだけの「お説ごもっとも外交」を卒業する良い機会だと思いましたし、諸外国首脳も発言内容そのものについては大げさに気にもしていなかったのでしょうが、情報リークにまつわる顛末を見て、希に見る国際的醜態にあきれかえっていることだと思います。

 外務省に限らず、いわゆる事務方と言われる高級官僚には、自分達の立場をわきまえてもらうことが不可欠です。各大臣は、事務方を自分(内閣)の手足として徹底的に使いこなすことを第一に考えて欲しい。そのためには、内閣の方針に沿わない上級官僚については、クビ云々は別としても自由に地位を解ける手段が必要だと思います。

 公務員の人事権は、少なくとも上級の中央官庁官僚については、国家公務員法を改正してでも内閣が完全に掌握することが大切です。さもないと、政権が変わってもめざす政策が実現できないばかりか、思い上がった一部の不心得官僚に思うようにあしらわれる可能性があります。

 大半の官僚は職責に忠実な人々だと思いますが、政治家と繋がっているのかどうかはともかく、一部の不心得上級官僚に行政事務が振り回されないか心配です。今のままでは、国の政策をスムーズに遂行するどころか、内部の勢力争いや自己保身を企てる行為に対処すらできません。そろそろ、国家公務員法を改正すべき時期と感じます。



 NO.69 株式等投資税制改革は戦略--2001.6.8

 株式投資や新規起業への投資に対する税制改革は「結果としての公平さ」という視点ではなく、日本経済再生の戦略という視点からとらえるべきです。わが国では、税務当局も自民党の税制調査会も、年寄りが多いためか利権がからむためかどうか知りませんが、ここを取り違えているような印象です。

 日本経済がなぜこんなにも停滞するのか。企業や産業という面に論点を絞れば、時代が進んで国民の生活環境や社会的ニーズが変わっているにもかかわらず、旧態型企業を保護する政策(つまり不良債権を処理しないということ)に固執するという側面が一方にあり、他方では、新しい企業がなかなか誕生しないという側面があります。

 欧米では「開業率(誕生企業)」が「廃業率(閉鎖企業)」を常に上回っていますが、日本は反対です。また、その数値自体も日本の数倍です。つまり、企業がどんどんスクラップアンドビルドされ、時代に合わなくなった企業がなくなる代わりにそれ以上の数の時代を反映した新企業が続々と誕生します、不況下でもこの構造は変わりません。

 企業は最初から大企業として誕生するのは希だから、とにもかくにも開業率を高めなければ生き生きした経済は望めません。新規に誕生する企業がすべて成功することなどあり得ないから、松下幸之助氏ではありませんが「やってみなはれ(機会の公平さ)」という発想で新規誕生企業を増やす社会経済的な工夫が必要です。

 事業内容でも違いましょうが、起業には一定の資金はどうしても必要になります。自分で全部準備できる人ばかりなら問題ありませんが、起業したくても、何とかして起業資金を調達しなければどうにもならない人の方が多いでしょう。

 そこで、普通はまず銀行に頼みます。銀行は、過去の実績を重視して新事業(発想)を評価する訓練もしていないから、怖くて、充分な担保でもあれば別ですが起業に融資することはまずありません。銀行も郵便貯金も、他人様から預かったお金を回しているだけだから、安全を確保するために当然のスタンスです(現実はそれさえも失敗していますが・・)。

 一方、ベンチャーキャピタルと称するところはどうでしょうか。日本ではこれも名ばかりのもので、現実には天下り的な人々が運営しているから、事実上、銀行と同じノウハウしかありません。だから、(政治家などのコネでもあれば別でしょうが)起業にあたってそれらからの資金調達も困難なのが実態のようです。

 では、欧米はどうしているか。直接個人からお金を集めてそれを投資する(直接金融)、この発想が大切だと思います。新誕生企業が一人前の企業として成功できるのはその一部にすぎないから、投資が失敗する確率の方が高いのは当然です。ただし、成功したら大きな利益を得ることができます。これは「資本主義の掟」のようなものです。

 資本主義では、起業家もそれに投資する人も「果敢にリスクに挑戦してくれる英雄」です。だから欧米では英雄に相応しい待遇を用意しています、その方策が優遇税制です。英雄が出なければ資本主義が成り立たないことを知っているから、英雄に対して国を挙げて賞賛する制度にしているのだと思います。

 株式投資や新規起業投資に関連する思い切った優遇措置は、結果の公平という発想を越えた、「資本主義の掟」を維持する戦略と考えなければなりません。



 NO.70 起業促進が最重要--2001.6.11

 小泉改革の具体的な姿が少しずつながら見え始め、今度は、特殊法人改革案が発表になりました。が、まだ「案」にすぎないので、これが実現する過程でどんな抵抗があるか油断はできません。

 構造改革は「痛みを伴う云々」と言われることが多いので人々を躊躇させてしまいますが、この「痛み」という情緒的に都合のいいことばを使って、マフィア達は銀行やゼネコンなどにまつわる「既得権益の甘い汁」をごまかしています。筆者は、改革を行おうとするときに「痛み」などと半端な表現を使うのは不適切だと感じます。

 構造改革は生活を楽にするための「衣替え」と考えなければなりません。さもないと、「夏に毛皮のコートを着てガンガン冷房をかける」ことになり、何ともバカバカしい限りで、夏は身軽な半袖ポロシャツの方が楽に決まっています。

 夏に毛皮コート(旧態企業の不良債権)を着ているためにオーバーヒート(財政破綻)するまで冷房(公共事業や補助金などのバラマキ政策)をフル稼働させなければならないというのが、「産業構造を維持するための構図」です。

 コートを脱いでしまえば楽な生活ができます。「甘い汁を貪る人々」以外の人々にとっては構造改革が「痛み」のはずがありません、夏には、まず毛皮コートを脱ぐのが先決です。

 夏に毛皮コートを着れば蒸し風呂状態だから、何としても高性能エアコン(大型公共事業など)でしのがなければ、熱射病で死んでしまいます。電気代(財政出動)を気にする余裕などあるはずもなく、高級エアコンもどんどん売れれば、結果として見せかけの「景気(より直接的にはGDP)」はどんどん上がります。ただしこれは、ごまかしの経済成長です。

 私たちは、このやり方で楽な生活ができるようになったか、将来に向けて楽になりそうかと自問してみることが大切だと思います。全く正反対です。単なる無駄遣いにすぎません。

 産業レベルの構造改革とは、環境に対応すべく企業の新陳代謝をはかり、環境に適した成長余力の大きい企業に労働力を振り向けることだと思います。既存企業を保護する考え方を極力排除し、何としても新しい企業の誕生を促進するスタンスが重要です。

 結果として時代に適応できない企業が倒産したりリストラで雇用が失われるのを、必要以上に痛み云々と強調して半端に同情するポーズをとってはいけないと思います。資本主義経済では当然のことだから、強調すべきはそれを補うための方策です。

 つまり、起業促進税制(あるいは株式投資促進税制)と起業促進のための規制緩和、職業能力開発施策と401Kなどの転職促進年金制度などはとりわけ重要で、それらを早急に実現しなければなりません。小泉改革も、もうそろそろスローガンを卒業して、具体的な政策の優先順位を明確に示しながら「改革のシナリオ」を見せる必要がありそうです。



 NO.71 小さな政府になれば--2001.6.13

 道路特定財源の使い途や地方交付税を減らす云々などを巡って、マスコミには地方と都市の整備のあり方に関する話題が多くなりました。一部には、このままでは地方と都市が対立する構図になると心配する人々もいるようです。

 筆者は、この議論は、「地方分権のあり方」や「マフィア排除運動」などと関連して検討する必要があると思います。とりわけ、マフィアの影響力排除という視点が大切です。

 そもそも現代は、人々の価値観が大幅に多様化している上に全体規模も大きすぎるために、中央政府が「都市の基盤整備が遅れているとか地方の整備が遅れている」などと一方的に判断しながら投資的予算を振り分けるのは現実問題として無理があります。

 国の補助があれば、とりあえずは貰わなければ損だと考えるのはいわば仕方がないことで、結果は分捕り合戦になります。分捕り合戦を防ぐには、使途自由の財源として予算権限とともにそっくり地方に移管して国の管理から外すことが大切です。中央政府が管理するやり方を踏襲すればマフィアの思うつぼです。

 社会や経済が成熟するためには、国は、自身が主体になる投資行為をやめてしまう決意が必要です。特定財源の使い途を見直す程度ではなく、いわゆる「小さな政府」の発想です。

 都合がいいことに、小さな政府ではマフィアが自然消滅します。

 投資行為は必ず利権関係が生じます。しかも現在の公共投資は巨大な規模です。それを国の管理下でやろうとすれば、どう見直し云々とがんばったところで必ずマフィアが登場します。中央政府に権限があることが、マフィアが繁栄するための前提条件なのです。

 だから、国は、防衛をはじめとした安全や外交、さらには環境分野や生活福祉分野や教育分野などの最小限の投資領域だけを自身の管理下で行うことにし、巨額のお金がからむ投資分野からは手を引いてしまうことが求められます。

 そうすれば、国会議員に求められる資質はそれら国の根幹的政策や全般的立法活動の能力となり、水面下で立ち回って予算を分捕るだけのマフィア議員はもちろんのことヤジ専門議員なども不要で、議員定数を大幅に減らすことさえ可能になります。

 そしてその他の多くの公の投資分野は地方自治体にやらせることにします。そうすれば、ちょっとしたことまでいちいち陳情する必要がなくなり、地方間で競争をしながら地方は地方で自身の魅力づくりに邁進できるようになります。

 ある村長さんによると、村長は月に1日の休みもままならないそうです。国や県への陳情(マフィアへの挨拶)に奔走する毎日で、国の予算を分捕った額で村長や行政職員が評価され、そうなれば村の生活が本当に豊かになるかどうかは二の次にもなりがちでしょう。

 あらゆる面で「自己責任」を貫くことが巨大化した経済を運営するコツです。本来ならどうでも良い陳情活動にうつつをぬかさなくても自由な発想で競争ができる環境を整え、自身の知恵でやれるしくみにすることが大切です。

 地方が独自に自身の魅力づくりに成功すれば、多少賃金水準は低くても、空気が良くて通勤地獄もない田舎で大らかな生活を満喫したい考える人々も多いのではないかと想像します。もしかしたら地方には大都市以上に大きな可能性があると思います。



 NO.72 産業育成よりも起業促進--2001.6.15

 一昨日の党首討論の際に小泉首相が「今の痛みに耐えて頑張らなければならないとし、新たな産業育成や雇用対策に万全を尽くす」考えを強調していました。この「産業育成」ということばで思い当たることがあったので、本日はこれをキーワードに少し考察することにします。

 たぶん、ことば尻の問題で小泉首相の発言に深い意味はないとは思いますが、小泉首相が強調する「産業育成」には少なからず危うさが潜んでいます。

 これから日本が本当の成熟国になるためには、「産業育成」というよりも「起業促進」という視点をより強く意識しておく必要があります。

 産業育成という視点は、文字通り育成している間はまだ良いのかもしれませんが、そのうちに必ず「利権や過保護」とのジレンマに陥るので要注意です。むしろ、政府は、「次はどんな産業を育成すべきか」などと余計なことを考えてはいけません。

 これまでもわが国はさまざまな分野で産業育成に励んできました。繊維、鉄、ゼネコン、金融、その他多くの産業を「護送船団方式」で育成してきたわけです。グローバル化が不可欠な時代にこの発想を意識すると、実際にはますます競争力を落としていくはめになり、行き着く先はセーフガードかもっと運が悪ければマフィアの誕生です。

 そんなことをするよりも、どうしたらより強力に「規制緩和」が進められるか、そして新しいタイプの企業誕生を促進できるかに知恵を絞ることが大切です。新しい企業や産業がひとりでに数多く生まれる環境づくりをするのが、成熟国の経済運営における政府の役割だと思います。

 どんな企業が生活を便利で豊かにしてくれるかは、政府ではなく、消費者が決めること。政府は、生活向上に貢献できる発想豊かな起業家が少しでも出やすくするしくみ(資金調達環境や税制など)を工夫することに専念し、多様な企業の誕生を側面からサポートするのが大切な仕事です。

 消費者が選択権をもつ社会では、政府が特定の産業を育成するつもりで何かをしても、どうせ殿様商売ですから成功する確率は低いのです。世の中に使わない道路や橋や飛行場は数えきれません。最近では、鳴り物入りで始まった「インパク」さえも、その仲間入りのありさまです。

 今の日本は、病気の人とか特別な家庭環境の人などを除けば、日々の食事に困る人はいません。不況でも、戦後復興時代とは様変わりの基本的には豊かな生活です。マフィアが招いた結果に大きな将来不安を感じつつも、人々は、当面の実生活では自分のスタイルで多様な生活を楽しんでいます。

 そのような多様化社会では、どんな産業が普遍的に重要かなど誰にもわかりません。どんな頭のいい官僚でも学者でも分からないでしょう。

 産業育成という視点は発展途上国の発想です。発展途上国では生活の基礎的部分を賄う産業が絶対的に不足しているから、必然的に育てるべき産業がはっきりします。ゆめゆめ、成熟国をめざす日本で政府が直接に産業育成などと張り切らないでほしいと感じた次第です。



 NO.73 政府より自治体、そして個人--2001.6.19

 山崎拓自民党幹事長が、地方講演で「構造改革に伴う景気後退に備え、一層の金融緩和や税制面での優遇措置を検討する考えを強調した」らしい。そのスタンスが大切だと思います。検討ではなく早急に実施すべきです。

 お役所ことばで言うところの「促進」施策は、自分が主体になるのではなく「しむける」ことですから、直接的なお金もかかりません。今の日本に最適です。そして、税制改革はその典型例だと思います。

 規制緩和促進、起業促進(税制)、株式市場活性化促進(税制)、行政改革促進、特殊法人整理統合促進、不良債権処理促進、その他諸々、すぐにでもやろうと思えばやれることばかりなのにいったい何をグズグズしているのか、さっぱりわかりません。

 どれも株式市場にとって大きなインパクトがあるものばかりです。「銀行保有株式取得機構(仮称)」のようにお金もかかり必要性や位置づけも曖昧な訳のわからない施策より、よほど日本経済の体質強化に役立つから株式市場は諸手を挙げて好感すると思います。

 アメリカなどはエイズ撲滅活動や奨学基金その他さまざまな社会活動への寄付が免税になるらしい。生活にゆとりのない人は別としても、金持ちはもちろんのこととして、ごく一般的生活レベルの人々もそれらに結構な寄付をするそうです。

 これは、資本主義や民主主義には極めて大切な視点だと思います。欧米の成熟国は、歴史があるだけに「公」中心で何でもやろうとすることの限界を知っています。「社会に何が必要か、一般の生活者が一番良く知っている」と達観しているわけです。

 ここ数日、「税源移譲」などの議論も出てきています。税源移譲は、政府よりも自治体の方が地域の特性を良く知っていて生活者の視点に一歩近づくことができるから良い傾向ですが、地方自治体よりもさらに直接的に生活者の視点を持つのは「個人」です。

 Tシャツなどを例にすれば、たとえ「セーフガード」で既得権益を守ろうとしても、「普通の個人」は、良くて安く買える例えば「ユニクロ」などの製品を買います。共産主義社会ならともかく、個人の生活自己防衛行為を止めることは不可能だとの諦めが大切です。

 日本も、成熟国の仲間入りをするつもりなら、「個人」にまかせる姿勢での国づくりを急がなければと思います。あらゆる分野で「ユニクロ」のような、生活者が喜ぶ企業の誕生を促進する施策が必要です。それが、一見遠回りに見えるようでも、実は「消費を喚起する近道」でもあります。

 近い将来の日本の人口や社会構造を展望すれば、高齢者市場や介護分野やIT活用分野など、まだまだ大きな潜在成長分野も数多くあるはずで、一日も早く参入を阻害している規制を撤廃して、生活者にとって役立つ企業をどんどん誕生させることが必要です。

 そのための条件は、リスクを承知でわざわざ苦労を買って出てくれる起業家やそれらに資金を出してくれる個人投資家への優遇税制を完備することだと思います。繰り返しになりますが、ドイツでは、個人の株式投資に対して事実上の補助金まで出しているくらいです。

 つまり、「個人」から所得税や相続税をたくさん取るより、その分を社会投資に回してもらって雇用機会を生む儲かる企業をたくさん誕生させ、それら企業から所得税をもらった方が、少なくとも、マフィアに投資先を考えさせるよりは経済運営がうまくいくと言うことです。

 囲碁に関心のある方は頭に浮かぶと思いますが、効果がはっきりわからない部分は「手抜き」して放置するのが最善の策になります。まずは好結果になると確信できる部分に手を打ち、それが及ぼす影響を見極めながら放置した部分への対処の仕方を決めるのです。

 わが国の経済再生ではっきりと好結果が予想できるのは「個人の投資に対する優遇税制」で、よくわからない部分は「公共事業への財政出動や銀行保有株式取得機構(仮称)など」です。ともかく今は、優遇税制に絞って努力を集中することが重要だと思います。



 NO.74 最重要課題が「検討」では--2001.6.22

 昨日、経済財政諮問会議の基本方針が明らかになりました。見識の高い方々が練った計画だからあらゆる側面が項目として網羅され、内容ももっともなことばかりです。しかし、行政計画書では、実際に書いた人が何を強調しようとしているかが大切で、表現上の落とし穴がしかけてあるので項目に含まれているからと安心はできません。

 気がかりなのは、筆者がかねてより強調している「個人の起業や株式投資を後押しする税制改革や公正取引委員会の機能強化」の項目が、「検討する」という表現になっている点です。一般にはほとんど気にされませんが、行政計画書では大きな意味があります。

 行政計画書でホンネの取り組み意欲を示しているのは「熟度」と言われる文末の表現です。「検討」という行政計画用語は、「無視はできないから念のために項目に挙げました」という程度の意味で、諸般の事情でたぶん実現しないことになりましょうとの意思表明に使用されます。(この点に関心のある方は[お役所の文法 96.7.1]をご覧ください)

 税務当局への配慮か、党の税制調査会への配慮か、いずれにしてもこのままでは経済再生が心許ない。

 ただ、同時に、「臨時国会で証券税制見直しを急ぐ」と含みのあることを小泉首相が発言されているようだから、まだ挽回の余地はありそうです。実業界出身で株式市場の重要性を度々指摘されている麻生政調会長に精一杯がんばってほしいと思います。

 話はとびますが、先日の日経夕刊に、小泉首相が赤坂のホテルで好物のスパゲティを食べながら、側近らと人気の「小泉内閣メールマガジン」の話などをしながら「インパクってなんだ」と聞いたエピソードが載っていました。「えっ、今ごろに何を」と絶句しつつもとがめる気をなくさせてしまう、何とも憎めない貴重な性格の持ち主のようです。

 インパクはどうでも良いのですが、「塩爺(塩川正十郎財務相)」しかり、周りが予期しないことを突然言い出してとぼけたフリをしながら何でもやってしまえそうな小泉内閣の持ち味なら、まだまだ「証券税制改革」も早期実現の可能性がないわけではありません。

 現実の金融情勢を見れば、預貯金に資金が集まっても経済再生に役立たないことは確実です。資金の性格上、政府も金融機関もそれらをリスク分野への投資に回すことはできません、これは仕方がないことです。それならどうするかが大切です。

 残る手段は、個人に直接的に回してもらうよりありません。

 「個人活力」の出番です。ただし、そうは言ってもリスクがあることも確かだから、失敗した場合にも税金面で優遇する最低限の措置は絶対不可欠です。リスクに挑戦してくれる人々は資本主義の「英雄」だからそれくらいは当然だと、税務当局も達観すべきだと思います。



 NO.75 産業構造調整と賃金格差--2001.6.27

 グローバルな視点から日本の産業競争力を見ると、一部の産業は突出した競争力があるものの、他の多くの産業の競争力が低いのが特徴です。その背景には、まるで一昔前の共産主義のような「全国民の賃金を平準化すべし」という幻想があります。

 「結果の公平」を意識しすぎると経済の活力はなくなります。規制緩和などで徹底的に「機会の公平」を推し進めることは大切ですが、結果の処遇に格差があることは活力維持にはもちろんのこと労働力の効率化にも不可欠で、処遇に適正な格差があってはじめて産業構造が調整できるのだと思います。

 個別企業レベルで見ると、ここ数年で能力給から年俸制を導入するなどして賃金平準化の弊害が修正されてきましたが、企業間や産業間、さらには公的セクターと民間セクター間の賃金平準化の修正はほとんど進んでいないという印象です。日本全体が横並び意識のままに見えます。

 競争力がある産業の賃金水準は企業として成り立つ限りはいくら高くてもいいのですが、そうでない産業の賃金水準が高いのはまずい。仮に賃金水準が低くても、誇りややりがいのある仕事ならやる人は多い。それが、全国民が一定レベルを維持しながら多様な価値観で生活を営むことができる成熟社会のいいところです。

 例えば、環境保全にも貢献できる山仕事はやりがいがあるから、収入的には必ずしも満足できないが何とかして続けたいと頑張る山村住民なども多いのです。それらの人々には、心情的にも応援したくなります。

 一方、土建業界や金融業界あるいは多くの特殊法人などは、その社会的必要性や現状の賃金水準の面で、山仕事にこだわる山村住民らと同じ次元で見ることはできません。

 それら産業は、まずは、競争力を回復できるレベルまで徹底して賃金水準を下げなければなりません。債権放棄だの公的資金だの予定利率引き下げだの言う前に、少し乱暴な言い方ですが、社会的要請とのバランスがとれるレベルまで賃金水準を落とすことが必要です。

 産業間の賃金水準に、労働者が自ら動きたくなるほどの格差があれば労働移動が促進されます。公的セクターと民間セクターの労働移動についても同じです。社会的な価値を生まない産業やセクターに労働力が停滞するのは、いろいろな面でもったいないことだと思います。


 唐突ですが、筆者は、常々、1ドル150-160円くらいが競争力と賃金水準から見た日本の実力だと思っています。ややこしい統計資料などに基づいた予測ではなく、生活実感としてそう思います。

 日本や韓国やアメリカなどの大学教授の友人たちの話を聞くと、現状の為替レベルでは日本の平均的大学教授の賃金はアメリカより高いようです。おそらくは銀行なども、特殊な技能に関係のない一般的職務の社員で比較するとアメリカよりも日本の方が高いでしょう。

 ところが、銀行業界も大学業界も、グローバルな競争力で見れば日本はアメリカより数段劣っているのが現実です。それなのに賃金は高い、何か不自然さを感じます。

 そのようなグローバルなレベルでの賃金水準のアンバランスは、最終的には競争力に見合ったレベルになるまで為替で調整されていくのだと思います。それが筆者の感触では1ドル150-160円程度というわけです。日本の競争力ランクは年々低下する傾向だから、もしかしたらもっと下かも知れません。

 急にそうなれば、相対的に日本が競争力優位を誇る自動車やハイテク家電などのためにアメリカの対日貿易赤字は急拡大するから日米貿易摩擦が深刻化します。いつもこのパターンの繰り返しで、為替は往ったり来たりです。

 それでは如何にも経営が不安定だから、ハイテク輸出企業は現地生産や海外生産に切り替えて、為替リスクを減らしながらグローバル企業として成長する戦略をめざしているようです。裾野の部品製造業などを伴って「空洞化」の途を歩んでいるのです。個別企業レベルの対応としては、それしか摩擦を避ける手段がないからでしょう。

 産業間の賃金平準化の修正が遅れていることの影響は、ある日気がついたら、国内に残っているのはどうしようもない産業や公務員ばかりになっていたという、「産業空洞化」として表面化してきている気がします。



 NO.76 銀行では企業育成は無理--2001.6.29

 外国人投資家の日本株保有比率が2001年3月末に金額ベースで全体の20%弱まで増えて過去最高を更新し、逆に、銀行の保有比率は過去最低の10%まで低下して外国人のほぼ半分になったらしい。

 銀行と企業の間で持ち合い株の売却が進む一方、将来の値上がり益を求める外国人投資家が積極的に日本株を買っている構図です。外国人投資家は厳しい競争で切磋琢磨してきているだけに、将来をみる目があると信じよう。

 一方で、外国人株主が発言権を増してくると、今までのように寝ぼけたようなことを言ってお茶を濁す経営者はたちまち追い出されることになりましょう。追い出されるくらいならまだ良くて、とてつもない損害賠償を請求されるかもしれません。

 これからは、上場企業と言えどもなれ合いの経営は通用しません。「そごう」の経営者のようにどこからか天下って自分勝手な事をしたあげく開き直る類の経営者がのさばっているようでは論外です。それを放置していた大株主のメインバンクや大勢の取り巻き取締役もまた、半端な人々ぞろいとしか言いようがありません。

 外国人投資家がどんな企業に投資しているか知りたいところです。筆者は、外国人投資家にゼネコンや流通や金融セクターの株を買ってもらって彼らに経営陣に対して「カツ」を入れて欲しいと希望するものですが、間違ってもそれはないでしょうね。

 日本の銀行は「護送船団」で甘え放題だったから、残念ながら、リスクを伴う事業の将来性をチェック・評価するノウハウがありません。戦前はどうだったか知りませんが、今の銀行にあるノウハウらしきものは「担保評価」と「差し押さえ(または強引な資金回収)」くらいです。最近では担保評価のノウハウさえも地に落ちました。

 金融緩和で銀行に資金が集中しても、それが新しい事業への投資に回るとは考えられません。危ない企業の倒産を先延ばしにする効果は多少なりともあるかも知れませんが、そんなことで今の日本を再生する本質的な解決にはなりません。

 銀行も最近では「ベンチャーキャピタル」分野に手を広げているようですが、自殺行為にも見えます。事業の将来性を評価するノウハウがない者が担保も無しに投資しても「新たな不良債権」になるのが関の山。彼らがリスク分野の業務をこなせるようになるには、5-10年間、自らの生活を切りつめて身を削りながらの修行が必要です。

 それよりも、個人にやってもらった方が成功する可能性が高いと思います。個人は、それぞれが紛れもない生活者で口うるさい消費者だから、上層部(または監督官庁)の都合に流されるだけの銀行よりはよほど優れたベンチャーキャピタリストです。

 個人は大切な自分のお金を使います。銀行のように、安易に他人のお金を使って失敗した後で金融システム云々と能書きを言っても公的資金で助けてはもらえないから、投資に際してもなれ合いにならずシビアに投資判断します。だから、社会的にムダな投資も減ります

 銀行(間接金融)重視ではいつまでたっても起業促進や企業育成ができません。日本が経済的に安定した成熟社会を実現するには、「利権」問題が起きやすい国や銀行に投資行為を任せきりにするのではなく、個人が生活者の目線で将来を担ってくれる企業を投資育成するやり方(直接金融)が重要です。

 個人に企業育成に参画してもらうことが成熟社会の活力ある経済に不可欠です。そのための起爆剤として、起業投資や株式投資に対する優遇税制を一日も早く実現してほしいものです。政府も自民党も税制面の改革に対して動きが遅すぎる。

NO. 1〜 8
NO. 9〜15
NO.16〜26
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.57〜65
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
NO.99〜106
NO.107〜

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