好奇心コラム

NO. 1〜 8
NO. 9〜15
NO.16〜26
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.66〜76
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
NO.99〜106
NO.107〜


 MIZ.VOL.3 日本再生のシナリオ PART1(NO.57からNO.65まで)
 [執筆者]
 水町祐之

 [紹 介]
 第三インテリジェンス代表。
 1952年、福岡県生まれ。日本大学大学院博士前期課程(管理工学専攻)修了後、一貫して経営コンサルタント業務に従事。執筆活動では[転換が迫られる日本型人事・教育システム(人材教育‥日本能率協会マネジメントセンター発行月刊誌、1998年11月号より)]。


●サブテーマ
産業構造調整がポイント / 資金の預貯金集中は悪 / 民間活力よりも個人活力 / 規制緩和の良いところ / 郵政事業の民営化 / 経済構造改革の骨格 / 国民へのメッセージ / 郵便貯金のクーデター / 道路特定財源で産業構造調整


 NO.57 産業構造調整がポイント--2001.4.10

 度々同じことの繰り返しになりますが、今日の経済の閉塞感は、多くの企業の株価が業績を反映しないほどに安すぎることに根本的な原因があります。

 亀井政調会長が音頭をとったと言われる今度の鳴り物入りの「緊急経済対策」も小手先対策の雰囲気で、株式市場活性化の特効薬である優遇税制などは付け足しの感じですし、外国人投資家をはじめとして、その効果や実現性に対してかなり不信感を持たれているのが実情のようです。まだまだ、これを契機に株価が上昇する情勢とは考えにくいところです。

 今回の自民党総裁選挙も、亀井政調会長を除けばいわゆる「構造改革論者」の候補者が多いようですが、今、緊急に求められている構造改革は「財政構造改革」と言うよりも、実は「産業構造改革」だと思います。ところが、明確に産業構造改革を旗印にしている候補者が(現時点では)いないのが気になります。

 外国人投資家は、日本の株式市場に対して投資機会を窺っています。いわゆる景気が良くなることではなく、日本の経済全体に「弱みがなくなる」という確信を求めています。

 つまり、日本経済のお荷物旧態企業(ノンバンク、ゼネコン、流通など)淘汰の促進が必要なのです。これが確信できれば、外国人投資家は大々的に日本に投資すると思います。外国人投資家が本格的な買いに転じれば、日本の機関投資家や個人投資家は必ず追随します。株価は上昇します。結果として、設備投資意欲も消費意欲も盛り上がります。そして、無駄な公共事業が不要になり(財政支出が減り)、税収も増えることになります。

 どうしてこんな単純な構図が政治家達に理解できないのか、筆者としては不思議なくらいです。

 政治家として、「時代的に役割を終えた企業は一日も早くたたんでくれ」とは、雇用等の都合もありますから言いにくいことだとは充分に理解できますが、多くの零細企業や個人企業などは、公的資金云々や債権放棄の恩恵など何の関係もなく、ただ悶々として食いつないでいるのだということを頭に叩き込んでほしいと思います。

 筆者は、今の中高年世代(筆者と同じ40代の終わりくらいから60代くらいの人々)の政治家には、この国難を打開することはできないと確信します。実は、これらの人々の多くは本当は筆者と同じことに気がついているとも思います。気がついてはいるものの、周りを気にしたり失敗を恐れるばかりで行動できないのだと思います。筆者は同世代の者としていつもその思考パターンの弱点を痛感しています。

 何とかして、過去の成功体験の手垢がついていない40代そこそこの政治家に、強引にでも政権の座に就いてほしいものです。

 終戦後、朝鮮戦争やベトナム戦争さらには冷戦など、国際情勢は紛争の火種が絶えませんでした。

 日本は、幸か不幸か、それら国際情勢に無頓着に経済活動に専念できた唯一の国だったと思います。この間にめざましい経済発展ができたのは、今の中高年世代がまじめに仕事に精を出したからに違いありません。しかし、たまたま国の成長段階に合致した国際情勢に恵まれて「単についていただけ」という気もします。

 その証拠に、(まだ国際紛争の種はあるものの)冷戦構造が終わって十数年も経つのに、この世代が社会の中心となっていたその間に日本は何も発展していません。それどころか、バブルの後始末さえできなくて右往左往していただけです。例えば、軍事的な負担が軽くなったヨーロッパの先進国などは、イギリスもイタリアもその他も一斉に経済構造改革に力を入れて新しい国づくりに励みました。

 冷静に思い巡らせば、今の中高年は、自分自身で真剣に考えることなく、敷かれたレールの上を、みんなと仲良く、先輩達がやってきたことをただ一生懸命にやれば良い(成功する)という習性が染みついた世代です。この世代の人々には、手探りで新しいことができる(つまり、改革ができる)とは思えません。

 もちろん例外的にそうではない人々もいるはずですが、それら貴重な人材は残念ながら社会の主流から外されていたのだと思います。これは、政治の社会でも同じです。



 NO.58 資金の預貯金集中は悪--2001.4.12

 日本経済の大きな弱点は、1400兆円にも及ぶ有り余る余剰資金(個人金融資産)が預貯金に集中してしまうことです。預貯金に集まった資金が財政投融資や有望企業への融資として効果的に機能していた時代にはそれでも良かったのでしょう。日本が発展途上国だった時代です。

 ところが、国の基盤がある程度整った近年では、国も銀行もリスクを犯しながら資金を使うノウハウがないために、それらはロクでもないことに湯水のごとく使われました、神話を神頼みとした不動産融資(実は投機)です。そして最近では、使わない巨大施設建設や採算度外視の新幹線整備さらには債権放棄あるいは国債購入などです。

 これだけ資金規模が巨大になると、国や銀行では効果的な活用はできないと認識することが大切だと思います。

 だから欧米の成熟国では、日本の数倍の比率でそれら余剰資金が株式市場やベンチャーキャピタル市場に回るようにさまざまな工夫をしています。注意が必要なのは、この分野は多少ともリスクがつきまとう分野という点です。

 そんな分野には、あくまでも個人の自己責任で資金を回してもらうのが本来の姿です。

 取って付けたような「銀行保有株式取得機構(仮称)」ではなく、リスクに見合うだけの「税制面での思い切った優遇措置」が必要なのです。大勢の国民が、国の発展のために株式投資を行うことがこれからの時代に必要不可欠だという強力なメッセージが大切です。そうすれば、必ず資金が株式市場にも回ってきます。

 ところが、どういう訳か、日本の政治家諸氏は、株式投資を「バクチ扱いに考えたがる人」が目立ちます。そのくせ、自分だけ立場を利用した不正株式投資にうつつをぬかす人も多いようです。リクルート事件しかり、3-4年前には不正がバレて自殺した若手議員もいましたし、その時などは株を持ってはいかんなどとしたり顔で放言する議員も出ました。「田分け者」と言いたい、不正がいかんだけのことなのです。


 テーマから少しズレますが、財政改革の必要性が真剣に議論されるようになった最近、「誰も経済活性化のためにお金を回さないから、仕方なく国が借金して気前よく公共事業でお金を回しているだけだ、それで何が悪いのだ」というニュアンスの発言をされた政治家までおられます。亀井政調会長が発言され、一昨日は麻生大臣も似たような発言をされていました。

 日本経済の活性化(株式市場の活況)を妨げているのは何かということを、先入観なしで冷静に考えてみよう。

 -- 政策担当者は、「重荷(銀行、ノンバンク、ゼネコン、流通など)」を抱えたままダラダラと深みにはまるだろう、「重荷」を食いつながせる発想に固執し、しなくても良い公共事業は肥大化し、財政は一層逼迫する。財政的措置で一時的に見せかけの景気は回復したが、本当の経済再生にはほど遠い。 --

 このシナリオを想定し、特に外国人投資家達が本格的な投資を躊躇しているからだと思います。

 一日も早く「重荷」を下ろす政策を掲げれば、株式市場は必ず政策を先取りします。そして株価が上昇に転じれば、全てがうまく回り始めるということに早く気がついてほしいと思います。



 NO.59 民間活力よりも個人活力--2001.4.13

 行財政改革が議論されるときにしばしば「民間活力」云々と言われます。自民党の数少ない人気者の小泉議員の持論である郵政三事業の民営化云々も、この民間活力という発想がその後ろにあるのだと思います。

 筆者は、郵政事業もいずれ民営化されるべきだとは思いますが、民営化云々の考察は別に譲るとして、国営であることの最大の弱点はその賃金制度や身分制度があまりに浮世離れしていることだと思います。まずは、公務員といえども、より徹底した能力主義からさらに一歩進めて成果主義的な人事制度にすることが急務だと感じます。

 公務員は身分が保障されているから余程の犯罪行為でもしない限りやめさせられません。

 たとえが適切かどうか、仮に生活態度もだらしなくて仕事もロクにしない40-50歳くらいの職員がいたとしても、たぶんその人は600-700万円の年収をもらい続けます。これが高いか安いかは議論の分かれるところでしょうが、筆者らのような田舎の零細企業から見たら法外な報酬です。民間企業なら真っ先にリストラの対象者となりましょう。ところがリストラもできません。

 まあそれはそれとして、筆者は、この「民間活力」という発想も、こと金融という分野に限ってみればそんなに頼りにはならないと感じます。

 銀行は一応は民間ですが、「護送船団」という言い方に象徴されるように、国の所管が違うだけでその体質は公務員と大差ありません、考えようによってはもっとひどいかも知れません。個人差もありましょうが、概してたいした仕事もない30代そこそこの銀行員が1000万円を越す年収とは、あきれます。しかも公的資金までもらっています。

 今、日本には、個人の金融資産が、約1400兆円あります。国債を発行して国が無理矢理にそのお金を使っているというのが日本のお金の流れの構図です。

 国を銀行に置き換えたとしても、所詮は他人のお金を使うわけだから、結果としての効果は大同小異でしょう。昨今の大型テーマパークの現状などを見ても、現実には非効率な投資が多く利権や汚職等々が蔓延しています。さらに、上場企業(優良企業は特に)は銀行離れのスタンスですから、銀行もお金の持って行き場がありません。

 何か中途半端な「民間活力」という発想よりも、これから大切なのは「個人活力」という発想です。個人が、より直接的に自分のお金を国づくりや企業育成に使ってくれるしくみにすることが重要だと思います。

 そしてそれを可能にするのが、株式投資やベンチャー投資などに対する「思い切った優遇税制」です。リスクもあるけれども、そのリスクに報いるだけの思いやりのある制度に改めるというメッセージになるような強烈な優遇税制が求められます。



 NO.60 規制緩和の良いところ--2001.4.16

 小泉議員の郵政三事業の民営化があちこちで話題になっています。そこで、本稿でも、郵政事業民営化について少し考察することにしました。

 昨日の小泉議員のテレビでの発言を聞くかぎりでは、郵政事業の民営化も、もっと「規制緩和」の部分を強調して「結果の平等」よりも「機会の平等」の部分をアピールすべきだと感じました。民営化で「規制緩和」が促進されれば普通郵便局とは違って本来事業家である(意欲のある)特定郵便局長には面白いことができるようになる、という部分を前面に出した方が良いと思います。

 そうすれば、(旧)郵政省のお偉方はどうかは分かりませんが、少なくとも全国の特定郵便局長からの支援さえ期待できるのではないかとも感じました。現在の郵政事業民営化の議論は、あまりに後ろ向きの部分だけが強調されるために、前向きな部分も多いことが忘れられがちだという印象があります。

 また、民営化と言うからには、「規制緩和」で特定郵便局がもっと多様な事業分野に自由に業務展開できるという部分が確保されなければ意味がないとも思います。要は、民営化によって国民の生活が便利になるかどうかという視点が大切で、単純に民間金融機関や運送業者のために云々という発想だけでは国民の利益にはなりません

 筆者の父は戦前から特定郵便局長でした。筆者の記憶では、父の時代の特定郵便局は「請負制」のような恰好でした。その時代の特定郵便局長は、大方が「公僕」としての義務感とともに「事業家としての自負心」も持っていたようです。

 その父が局長を辞める頃(15年位前)には職員や局舎などに対するつまらない制約に対して「郵政局」に怒鳴り込んだり、また、近年の公務員局長の乱造とその人々の自主性や気概のなさを嘆くばかりでした。お陰で父などは郵政局からは睨まれて、全国でも一番給料の安い局長かも知れんなどとこぼしていたのを覚えています。

 昔は、郵便局が電信電話事業もやっておりましたので、電信柱も自分の金で建てたりして苦労して事業を開発してきたのに、体よく国に取りあげられたと憤慨もしていました。

 まあそれはそれとして、小泉議員の民営化が具体的にどんな姿なのかは知りませんが、筆者はむしろ、民営化は全国展開の特定郵便局ネットワークの活性化につながると期待しています。これほどのネットワークを民営化によってさらに有効活用すれば、既存のコンビニや金融機関や運送業者では及びもつかない地域密着のキメ細かな国民サービスが達成できると思います。



 NO.61 郵政事業の民営化--2001.4.18

 宣伝するわけではありませんが、各地域で各々の世帯の生活状況を的確につかみ、普段の身近な部分で年金や保険やその他お金の相談相手になっているのは、おそらく各地の特定郵便局でしょう。役場の福祉課でも農協でも信用金庫でも保険会社でもないと思います。大都市都心部などは少し事情は違いましょうが、田舎はもちろん大方の都市周辺部でも事情はだいたい同じだと思います。

 例えば、その特定郵便局が、民営化で介護事業もできるようになるとしたら、地域の高齢者も自分が良く知っている馴染みの人がいろいろと手助けをしてくれて安心した生活をおくれましょう。それで一定の収入を確保できれば、頼む方も心苦しいこともなく言うことなしです。

 役場が遠くて住民票や戸籍謄本を取りに行くのも大変な高齢者などは、近くの郵便局の端末で(例えばインターネットなどで)取り寄せることも技術的には簡単です。何しろ全国津々浦々に特定郵便局のネットワークが張り巡らされています。

 この、特定郵便局の「地域密着ネットワーク」は大変な財産です。特に、これからの高齢化社会では計り知れない事業機会を秘めている気がします。国営という規制の元ではその財産を生かし切ることはできません。民営化してこの財産を生かすのが、特定郵便局にとっても地域の人々にとっても国にとっても良いことだと思います。

 そうなると、職員も、これまでとは少し違う人材が必要になるかも知れません。民間企業であればどんな人材を雇用するかは自由です。国からあてがわれた賃金の高い人を無理に雇う必要はありません。現にコンビニはアルバイト中心でもうまく管理されています。

 郵便局を民営化して規制を緩和していくのは良いことずくめのような気がします。課題は、変化についていけない中高年職員の処遇を如何にするかだけだと思います。雇用問題だけはやっかいな問題として残りそうです。度々指摘しますが、雇用についての政策の柱が大切です。

 次に、郵貯の民営化についても考えてみます。いずれ郵貯の民営化が必要でしょうが、筆者は、日本の金融事情では民営化という発想だけでは現状の金融システムの弱点を解決することは不可能だと思います。また、(旧)郵政省や大蔵省や厚生省さらには農林省などの勢力争いに引きずられた民営化ではなおさらに無意味です。

 昨日、宮沢大臣がいみじくも指摘していたように、日本中にお金自体は有り余っており企業側に資金需要がないというのが実態です。優良企業はコストの安い株式市場からの資金調達が中心で、少しでも余分なお金は銀行に返すことしか頭にないし、さすがに銀行も今更に潰れそうな企業に融資するわけにはいかないから、貸し渋り云々と感情だけに訴えての銀行糾弾は的を射たものではありません。

 銀行にはお金がダブついているので、目新しい会社名を物色して、亀井政調会長よろしく、今まで付き合いのない筆者らの零細企業にまで資金の必要はないかと毎週のようにいい条件での資金提供の申し出があります。筆者らの場合は、2-3百万円程度の小さな話ではありますが。

 要は、もう日本には「確実で安定した運用先はないのが現実」です。郵貯の運用先の実態を情報開示することは一方で大切ですが、運用を民営化しても、たぶん国債を購入するくらいしか思いつかないでしょう。ただしこれからの国債への投資は大きなリスクを覚悟すべきです。それともまた電通にでも頼んで、メセナやテーマパークや万博のバブルでも演出するしかありません。

 生真面目一方の多くの日本人には違和感もあるところでしょうが、銀行や郵貯だけにお金が集まるのは社会経済的に悪だという発想が大切です。余分なお金はベンチャー企業育成や優良企業支援などに直接的に回してもらうしくみの確立が急がれます。

 お金の運用先は「生活者である個人の見識」に任せ、リスクの部分はしっかりとした監視機関の設置とそれなりの優遇税制で思いやりを示し、間接的に預貯金の比重を減らすことが大切で、これは金持優遇云々とは全く次元の違う話です。

 どうせ銀行が買うからと国債を乱発して何かのきっかけで(例えばヘッジファンドの仕掛けなど)大暴落したらどうするのだろうか。大々的に国債に投資している銀行は大変です。政府税調のいかにものんびりした対応を見ていると、個人レベルでできる対応として、為替リスクには目をつぶり、預貯金は外貨預金にでもするしか手はないかと痛感しています。



 NO.62 経済構造改革の骨格--2001.4.19

 自民党総裁選挙もいよいよ大詰めになってきました。誰が総裁になるか興味深いところですが、筆者などは、各候補者の主張は感情面だけが目立ち、政策テーマがもう一つ断片的な印象で何か物足りなさを感じます。

 筆者は、日本再生の基本的スタンスとして、次のように考えています。

 これからの日本は、国の各々の所管(省庁)と業界が結託した業界丸抱え(護送船団)のスタンスではグローバルな競争を乗り切れない、個々の企業がグローバルな競争に勝ち残る力をつけることが大切です。そのためには、何かにつけて、所管官僚と業界利権調整役族議員主導の「業界全体を保護するという発想」から、「個々の企業を育成するという発想」に転換することが重要だと思います。

 つまり、各々の業界で競争力のない弱い企業は一日も早く淘汰されなければなりません。中途半端に業界内部の庇い合いを助長するやり方では全体が高コスト体質になり全体が国際競争力を失ってしまいます。損をするのは、結局は消費者であり生活者である保護対象から外れた一般市民です。

 そのためにどうするかが大切です。
 経済構造改革については、こんなシナリオの骨格が必要だと思います。

1)いわゆる不良債権処理を強制することで各々の業界の個別企業の整理統合を促進し、各々の業界で強い企業だけが生き残るようにする(そのために必要なら、公的資金も投入する)。

2)優良企業(強い企業)育成と新規企業の誕生を促進するために株式市場やベンチャーキャピタル市場を活性化させる。具体的には、税制面の大改革を行うことで各市場への資金流入を円滑化し、不正取引などを監視するための第三者機関を強化(または設置)する。これは、新規雇用機会創出を促進する上でも重要である。

3)それらをより確かなものとするために、聖域なしで徹底した規制緩和を行う。

4)そうすれば、結果として労働者は流動化せざるを得ないから、例えば日本版401Kなどの「転職が損にならない制度」の導入を促進するとともに、労働者の「再教育支援」に大々的に取り組む

5)副次的効果として、不要不急の公共事業を押さえることができて財政健全化の途が開ける

 特に、外国人投資家などはこのシナリオの実現を待ち望んでおり、これが確信されれば株式市場は本格的な上昇に転じるはずだから、全てがいい方向に展開し始めると思います。誰でも良いから、このシナリオを演じてほしい。



 NO.63 国民へのメッセージ--2001.4.27

 新閣僚が出そろい、どんな方か良くわからない方々も多く未知の部分も感じますが、新首相が背水の陣で準備した(日本にとってというよりも自民党にとってという人気取り的な面を感じる点が少し不満ですが)顔ぶれなのでしょうから、いずれにしても、当初のスタンスを死守して一直線に構造改革に突き進んでほしいと思います。

 これからの日本は、現状にどっぷり浸かる人にとっては面白くもないが、新しいこともバリバリやる意欲的な人にとってはチャンスが多くやりがいのある社会にする、そのためのお金は惜しまない。こんな社会を実現できたら、どうでも良い道や橋にお金を投入するよりも、どれほど人心が活性化するか考えただけでも身震いします。

 その実現に追い風になるように、ベンチャー企業や新しく起業する人々への本格的な支援制度を準備してほしいと思います。そしてその際は、今までのように、役所や銀行から天下ってきた人々が中心になり事業の将来性を評価するというよりも単に予算を消化するという発想で山のような書類の提出を求める類の、半ば公的な性格の資金を基にした手続き中心の制度では無意味です。それでは、新たな不良債権が溜まるだけに終わります。

 手続きを複雑にすることの背景には、「手続きさえ踏んでいれば担当者に責任がないことを担保する」という発想があります。

 諫早湾問題や各地のダムの問題なども、周到な根回しで大勢のその方面の権威(と言われている大学の先生など)を取り込んで、さまざまな名目の「調査や委員会」などのめんどうな手続きを経て決められます。だから、担当者には責任がないことになります。

 ベンチャーなどの支援はそんな発想ではできません。ベンチャーにリスクはつきものです。リスクを承知で投資しても良いという目的の資金(個人資金)を基に、手続きや窓口やしくみそのものにも通常の融資や投資とは違う工夫が必要です。

 リスクがあってどうなるかわからないが資金を出してくれでは誰も相手にしません。そこで、投資するかしないかの判断は投資家にまかせる市場的なしくみにし、一方で、投資がうまくいかなかった場合のことを想定した優遇税制が重要になります。国民へのメッセージになる大胆な思いやり優遇税制が求められるのです。

 つまりは、資金を郵便局や銀行に預けても現実問題として効率的な使い途がないから、新しい国づくりのために直接そちらに振り向けてくれというメッセージです。これは成熟国の国づくりに不可欠なことだと思います。

 株式投資やベンチャー支援の優遇税制は、他の税制とのバランス云々という発想からではなく、国民へのメッセージという視点から考えるべきです。

 「お金は経済の血液」と言われますが、腐りかけたところにその大切な血を澱ませるのではなく、新しく成長する部分に新鮮な血をめぐらすための工夫が求められています。



 NO.64 郵便貯金のクーデター--2001.5.2

 株式市場が持ち直し始めました。海外投資家は、小泉新政権の構造改革路線を本気だと評価しているようです。

 景気云々が問題の本質なのではなく、今までは、政策担当者に改革の意志がないと評価されていたから株価が下がっていたと認識することが大切だと思います(アメリカ経済の持ち直しも無視できませんが)。小泉路線の本気が確認されただけで、現実にはまだ何も変わっていないのに瞬く間に株価は2割近くも上がりました。

 少し気がかりなのは、小泉政権も大臣レベルでは構造改革路線が周知徹底されているようですが、副大臣レベルでは一見すると派閥の利害調整をねらった構造改革に逆行する人事にも見えます。大臣がしっかりしていれば副大臣はどうでも良いのかも知れませんが、ともかく、内閣全体の手綱を締めてもらいたいと思います。

 構造改革をしっかりしたシナリオでやれれば、少なくとも株式市場は大丈夫でしょう。株式市場が大丈夫なら、不良債権処理も細かな手順などを間違いなくやってもらわなければ困るものの、きっと軌道に乗るに違いないと思います。

 日本再生にとってその次に大切なのは、税金を使った公共事業にしろ郵便貯金を使った財政投融資にしろ、利権が絡む部分の改革をどうするかだと思います。こればかりは一筋縄ではいかない気がします。旧態派議員諸氏も必死でしょう、自分の存在意義がかかっていますから。

 私たち国民は、自分に実行できる部分で確実に改革することが重要だと思います。選挙も手段の一つですが、選挙はたまにしかないから機会が限られるし、その時々の演出された雰囲気に流されやすいことも事実です。今回は小泉総理と田中真紀子大臣の最強人気者コンビで今までのところいい結果となっていますが、海千山千の政治家達のこと、次にどうなるかなどわかりません。

 筆者は、利権の元を絶つのが一番効果があると思います。

 言うまでもなく、郵便貯金です。民営化はすぐにはできないし、前に指摘したように、単に運用を民営化しても本質的な解決にはなりません。資金の使い先である特殊法人などの改革と併せて、信念を持って注意深く進める必要があると思います。

 それはそれとして、そもそも郵便貯金は、利息が利息だけに泥棒よけで仕方なく預けている人々が大半だとは思いますが、妙な言い方ですが、預けること自体が利権構造を招いている気がしてなりません。一旦預けたら、それは利権集団にとっては自分たちが勝手に使える「アブク銭」になり下がります。預けないことが利権構造をなくす近道のような気がします。

 どぎつい言い方をすれば、当局や族議員は「国民はどうせ郵便貯金しか能がない」となめ切っているから、有り余る財投資金の使い途を巡って利権と甘えが蔓延するのです。外貨にするなり貸金庫に入れるなり株式に投資するなり金に換えておくなり方法はどうでも良いのですが、国民が「もう郵便貯金はしない」ということを意思表示することも大切だと思います。

 国民が郵便貯金をしなければ利権は発生しません。使うお金がないのだから利権がどうこうなど全く関係なくなってしまいます。国民が「利権の温床から自分の資金を引き揚げる」郵便貯金のクーデターを起こすことが必要なのかも知れません。



 NO.65 道路特定財源で産業構造調整--2001.5.24

 小泉内閣が新しい発想を少しずつ出してきた。「道路特定財源」の使い方についての方針変更など、思わず期待したくなります。

 ついでに言えば、道路特定財源は都市基盤整備にも云々などとけちなことを言わず、土建業界に従事している人々の職業能力開発投資に使ったらどうだろうか。新しい国づくり戦略として選択可能な方策だし、今の日本にはそれくらいの発想が求められていると感じます。

 度々指摘していますが、筆者は、産業構造調整が遅々として進まないことの根底には、今では社会的に不要になった企業があったとしても、その企業が雇用している人々の処遇問題が奥歯に引っかかるという側面があるからだと思います。四の五の言っても「雇用を人質」にとられたままでは、亀井前政調会長などの主張が妙に威圧感を持ちます。それは、言葉の裏に「人質がどうなっても知らんぞ」という恫喝が含まれているからです。

 もし「人質」の心配がなくなれば、例えばゼネコン業界などで不要になった企業が潰れても何の問題もありません。
 資本主義経済では個別企業を中途半端に国が助けるべきではありません。それら企業が吸収している雇用をどうするかだけが国の考えるべき事です。ここを間違えるから、さも当然のように安易な債権放棄がまかり通り、話がややこしくなるのだと思います。

 不要不急の公共事業がなくならないのも、この業界に従事する人々の雇用を確保するという大義名分があるから(実は、その大義名分を振りかざしてその利権に群がる集団がいるから)です。だから、その大義名分を根底から解決してしまえば、もしかしたら公共事業など半分もあれば充分なのかも知れません。

 今日の日本では、全部とは言いませんが、道路や橋や飛行場などを「使うために」造っているのではありません。「工事に従事する人々を食べさせるために」造っているというのが現実の姿です。現に、近年完成した大規模施設の多くが閑古鳥状態です。そう考えれば、道路特定財源をそこに従事する人々の労働移動促進のために使うという発想もあながち的外れではないと思います。

 単純に言えば、例えば公共事業で100万人を食べさせることから50万人を食べさせれば済むということになれば、もし工事総量が同じと仮定すれば一人当たりの取り分は2倍になります。もし一人当たりの取り分が同じで良いと仮定すれば工事総量は半分になります。

 実際にはそのような一方的なことにはならず、利用上の必要性(さらには採算性)を基準に公共事業を適切に減らせるようになり、それでも逆に個々の工事企業は利益が増えることになりましょう。万々歳だと思います。

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