好奇心コラム

NO. 1〜 8
NO. 9〜15
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.57〜65
NO.66〜76
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
NO.99〜106
NO.107〜


 MIZ.VOL.3 日本再生のシナリオ PART1(NO.16からNO.26まで)
 [執筆者]
 水町祐之

 [紹 介]
 第三インテリジェンス代表。
 1952年、福岡県生まれ。日本大学大学院博士前期課程(管理工学専攻)修了後、一貫して経営コンサルタント業務に従事。執筆活動では[転換が迫られる日本型人事・教育システム(人材教育‥日本能率協会マネジメントセンター発行月刊誌、1998年11月号より)]。


●サブテーマ
株価回復は日本再生の前提条件 / 規制緩和の徹底推進 / 成熟社会に向けた世論づくり / IT分野に関連する規制撤廃は戦略的要因 / まとめ / 経済はもっと単純に / いわゆる景気はどうでもいい / 経済破滅の足音 / 規制緩和とリスクへの投資 / 成熟社会では国ではなく自分で選択する姿勢が大切 / 個人活力時代


 NO.16 株価回復は日本再生の前提条件--2000.12.14

 先日、亀井政調会長が株を上げろとテレビでハッパをかけておられました。山崎拓議員も政調会長当時に同じようなパフォーマンスをしておられましたが、現実にはそれら全てが空振りに終わっています。

 筆者も株価が大切だという問題意識では同じですが、しかし、わずかばかりの指定単やその他公的資金で株価が回復するはずがありませんし、そのことを何年も前から本稿で指摘していました。

 それは、この株価低迷が「○○ショック」という単純な事態ではないからです。「○○ショック」というような一時的なものであれば当面の短期間持ちこたえられれば良いかもしれませんが、そうではありません。世界の投資家が日本の将来に失望していることがその根底にある株価の低迷です。

 日本が本気で構造改革を進めると世界の投資家が認めた時にはじめて株価の本格的回復がはじまります。

 ハイテク製造業などの業績が回復しつつあるときに株が下がるというのは、筆者は、まさに異常事態だと心配しています。持ち株解消売りだけの原因による株価低迷ではありません。山崎政調会長当時よりも事態はもっと深刻のような気がします。

 もう、思いきった規制緩和を本気で進めるより手はありません。一部の旧態型企業や規制にあぐらをかいてきた企業にとっては手痛いことになることが容易に想像できますが、新しい社会で不要になりそうな企業を守ってもどうにもなりません。国(国民)にとって大切なのは企業それ自体ではなく、それらの企業が吸収している、いわば人質のような恰好の雇用ですが、雇用についてはそれなりの対策も可能だと思います。

 あらゆる規制が外れれば構造改革は一気に進みます。

 ジョブレスリカバリーではありませんが、構造改革がほんとうに進めばタイムラグがあっても新規雇用は必ず創出されます。アメリカもそうでしたし、韓国も同じでした。韓国などは、財政破綻時に公務員の給与を一律2割カットして当面の失業対策にあてたそうで、昨年は早々と通信を開放し今ではIT方面(特にインターネット)の利用技術やその雇用面で日本のずっと先を行っているようです。

 今程度の規制緩和のスピードでは日本の構造改革は永久に進みません。

 そして、日本経済はまだまだしばらくの間は見込みのない国と海外からは見られ、海外投資家は本気の日本株投資は行いません。日本の機関投資家は、残念ながら独自判断で投資するほどのノウハウは持たず海外投資家に追従するだけですからこれまた投資はしません、売る機会ばかりを相変わらず窺います。株価は低迷を続けることになります。そうすれば設備投資も頭打ちになりましょう。消費は相変わらず低迷します。懸案の財政改革も夢物語に終わりそうです。



 NO.17 規制緩和の徹底推進--2000.12.15

 規制緩和政策のいいところは、必要な法律を改正して誰でも自由に参入できるようにするだけのことですから、それ自体には1円もかからないという点です。私たちは、競争促進で料金が下がり便利になることを一般電話料金や新航空会社の例などでその効果も確認しました。一般国民レベルで考えれば便利にこそなれ、困ることはまず考えられません。国も消費者も良いことずくめです。

 なぜ、もっとスピーディにどんどん進めないのか筆者は不思議でなりません。

 甘えることの許されない純粋な民間企業ならさまざまな工夫でそれなりに生き残りをはかりますし、今までも普通の企業はそうしてきました。想像するに、これは、規制に守られた企業というよりも、むしろ規制があることでしか存在意義のないいわゆる「族議員」の抵抗がよほど強いのでしょう。

 しかし例えそれらの人々が何人でも日本の国民全体から見れば微々たるものです。そして、それらの人々が「錦の御旗」に掲げるのは雇用のことしか考えられません。規制そのものがなくなれば自分が存在する意味がなくなるとは、まさか国民の前で口が裂けても言えないと思います。

 規制緩和を徹底推進するためには、規制緩和の重要性や効果をしっかりとしたシナリオとして国民に明示して説得し、圧倒的な世論を後ろ盾にする以外に方法はないと思います。大多数の国民にとって良いことばかりですから世論は必ず後押します。現状の国会の議会体質では、議会内部の多数派工作などに力を入れても時間もかかるしなかなか実現しないと感じます。

 いつまでも雇用を人質にとられたままズルズルと構造改革を先延ばしにしていたら、これからの新しい社会に求められる企業は永久に生まれないし、新規雇用も期待できません。できる限りの雇用対策や雇用能力開発事業などを行うことは当然としても、半ば強引に推進するしかありません。そうやって諸外国も構造改革を乗り越えてきているのですから日本だけが例外的に巧い方法などありません。

 新興国なら国が若いだけにやり直しも可能ですが、日本のような極端な成熟国では子供たちにツケを残す云々で済まされないほど危険な状態のような気がしてなりません。少しでもゆとりのあるうちに規制緩和を強力に促進し、成熟社会に向けた構造改革に邁進しなければならないと思います。



 NO.18 成熟社会に向けた世論づくり--2000.12.16

 筆者は、今回の不信任案の一件で世論のパワーを改めて認識しました。無党派層とも言われる世論形成の中心にあるような人々は無関心なのではなく「本気でやってくれる人」を探しあぐねているだけということも判明しました。

 日本の再生を成し遂げるにはそのような世論の中心的人々を味方につけることが必要です。国や巨大企業といった大きな生活基盤の拠り所をもたない大多数の普通の人々にとっては、このまま日本が進んだら文字通りの死活問題だから真剣です。それらの人々の多くは敏感に感じ取っています。声高に叫んでも消費が伸びないのはそのためだし、このままではダメだと感じているから、これからもそれなりのガマンをしなければとも考えています。

 そして、今回の失敗の本質は、現状を認識している一番大切なそれら世論の中心的人々を途中からなおざりにしたことでした。

 マスコミが視聴率等のためにおもしろおかしく総理降ろし云々を煽るのは当然ですが、それに乗せられていたずらにそこばかりが強調され、事の本質(筆者は、政治体質の刷新だったと思っています)が矮小化されました。総理が誰かなど結果にすぎません。あくまでも、真の問題は何かを最後まで強烈に主張することが大切だと感じました。世論が興味半分の部分ではなく本質の部分でのうねりであったなら、迷っていた議員諸氏も最後には違う行動に出たかもしれないと思いました。

 講釈はこれくらいで、問題は、これからどのようにして世論を盛りあげるかです。

 筆者は、インターネットがこれからの政治活動にとって大切な武器になると考えます。はからずも今回の一件でその一端が証明されました。めざすべき改革の具体的シナリオをホームページを活用して大々的にアナウンスし、国民からも意見を求めるなどして妙に興味半分に論旨が曲げられない準備が必要です。今のようなパンフレットの抜粋程度のホームページではどうなるものでもありません。その程度のことは作業としては簡単なことです。

 ただし、それこそ規制緩和の遅れから、わが国のインターネット事情ではまだまだ一部の国民層にしかメッセージが届きません。やはりテレビその他のマスコミの力も併せて必要です。しかし、これもホームページが充実していればマスコミの方から関心を示してくれます。マスコミも時代に遅れないように必死ですから、話題性のあるホームページは常時モニターしています。筆者レベルのホームページでさえ探し出して勝手に宣伝してくれるほどですから。



 NO.19 IT分野に関連する規制撤廃は戦略的要因--2000.12.16

 日本は2005年前後から人口が減少に向かいはじめます。若年層の比率は減り高齢者の比率はますます高まって、労働人口がもうすぐに急速に減りはじめるわけです。近年の先進国では例のないことのようです。このことは私たちが想像している以上に恐いことだと思います。飛び回ってバリバリ仕事をできる人々がだんだんいなくなるということです。子供を増やす政策は必要ですがその効果が現れるのは20年も先です。

 複雑なシミュレーションなど必要ありません。そんな状況で5-10年先の税収を確保するのは至難の技だろうと素人の筆者が考えても容易に想像できます。どんなこざかしい理屈をこねてみても、このまま進めば極端な増税しか必要な税収を確保する手段はなさそうです。もちろん支出を減らすことも必要でしょう。いずれ何がしかの増税が必要だとしても、それが極端になるのを防ぐためには一日も早い構造改革が求められます。

 わが国のように経済構造や社会構造の成熟化が進んだ国では残された成長分野はごく限られます。そして、IT分野は日本に残された多方面へ展開可能な数少ない成長分野だと思います。波及的効果や産業としての裾野も膨大だと思います。特に、この分野の規制緩和を急がねばなりません。今のスピードではダメです。

 ITは、自動車産業や半導体産業などと違って先進国が新興国に対してより高度な製造装置を輸出するなどの国ごとの役割分担が難しい分野です。その利用の方法やコンテンツ開発を活性化させることがたよりですから、ともかく規制を外し料金を無理やりにでも下げみんなが使えるように普及させることが新しい産業育成と雇用創出の戦略になります。さもないと、欧米だけでなく新興国にまでも置いていかれます。

 ITが国民生活に行き渡ればこれまでとは違った形での就労も可能になります。

 例えば外に出てバリバリ仕事をすることができないある程度の高齢者なども、これまでの経験や知識を生かしてできる知的仕事なら可能です。若年層は便利であれば何もしなくても自分から進んで利用します。ITの技術それ自体は特別なことをしなくても世界中の技術者が続々と開発します。

 利用する社会的基盤があるかどうかが重要です。

 第一に料金です。安く使えることが大前提になります。NTTの筆頭株主は大蔵大臣です。一般企業であればオーナーとも言えるほどの大株主なのですから、国全体の将来を考えて何とかしてもっとスピーディな開放を実現できないのでしょうか。日本全体の将来にかかわる戦略的な判断として、この際、一企業の都合は無視しても良いくらいのことだと感じます。

 また、これからの中高年層の職業能力開発関連の事業は、ITの普及を意識した内容のものを思いきって投入することも必要だと思います。そうすれば中高年齢層も生き生きと活躍しながらの生活が可能になります。それが成熟社会を守りではなく積極的に生かす新しい国づくりのような気がします。



 NO.20 まとめ--2000.12.18

 最後に、日本を再生するためのポイントをまとめて結びにかえることとします。

1)日本はこれから世界でも類のない少子高齢化が進み労働人口自体が急速に減っていく。少子高齢化の進展はすぐには止めることができないから、それを食い止める類の守りの政策ではなくそれを積極的に生かす政策が求められる。

2)また、そのような社会ではこれまでの発想で税収は確保できない。極端な増税を選択するかそれがダメなら国全体の構造改革を強い意志をもって強力に進めなければならない。

3)構造改革を選択するとしたら、思いきった規制緩和策がその突破口になる。

4)規制緩和で競争が促進され旧態型企業が内包している余剰雇用が表面化するが、これまでの発想のまま旧態型産業でむりやりに雇用を確保する政策では構造改革は永久に達成できない。規制緩和を強引に進め、新しい社会にふさわしい新産業の誕生をより一層促進することで新しい雇用機会を創る以外に方法はない

5)これまでの高度成長社会に慣れきった(特に)中高年職業人にとっては酷な面もある。これからの社会では今までとは違うスキルが求められる時代だと認識し、どのみち時間の問題だから一日も早くそれに適応するしか選択の余地がない。少なくともIT利用に一定レベルの習熟が必要になりそうである。また、その習熟の獲得を促進するための職業能力開発事業等はそのことを意識して思いきった投入が必要になる。

6)これらのことを本気で取り組むことができれば日本は再生の途に就くことができる。少なくとも日本の株価は本格的な回復基調になる。

7)日本の株価は外国人投資家たちが日本をどう見ているかで動いている。残念ながら日本の金融機関それ自体の投資行動は決定的な影響力はない。外国人投資家たちは投資先としての日本の新しい可能性に期待して待っているが、日本がこれまでの発想をいつまでも変えない(又はスピードが遅すぎる)ので投資できないでイライラしている。

8)株価が本格的な回復基調になれば企業の設備投資意欲も活発になり、そのことで一定の安心感をもてる国民の多くは消費意欲が刺激され経済全体が活性化する。筆者の言う好循環のサイクルが回り始める。さらには税収も維持される。


 どうでしょうか、この末広がりの八つのシナリオ。たぶん巧くいくと筆者は密かに期待しています。どなたか意欲のある政治家の方はこっそりとでもいいから是非検討して見てください。

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 NO.21 経済はもっと単純に--2000.12.20

 筆者は、学者をはじめ政治家諸氏も経済を妙に複雑に考えすぎているような気がしてなりません。経済はそんなにややこしく考えても仕方がない分野だと思います。

 「みんなが求めるもの(それが、ものでもサービスでも)は売れる(繁盛する)」という程度に考えて、余計な介入など一切しない方が良さそうです。そうしたらいろいろな面ですっきりと整理できます。

 安全確保や環境保全や独占防止その他犯罪的な行為などに関する最低限の部分については規制や介入も必要でしょうが、経済活動は、どう考えても、余計な規制や物知り顔の介入などない方がいいに決まっています。

 より良いものやより良いサービスがあればみんなそっちを買いたいに決まっています。そして、より良いものをより安く提供できる企業が繁栄するのは至極当然のなりゆきで、それを無理やりにやめさせようとする発想が間違いのもとです。



 NO.22 いわゆる景気はどうでもいい--2000.12.22

 「経済」や「景気」を話すときに良く言われるのはGDP成長率です。

 わが国の経済専門家があまりにそればかりを云々するために、政治家も経済関係官僚も目先のその数値に右往左往して、結果として失策を繰り返す恰好になり、そんなことにうつつを抜かしてズルズルきたのがこの10年です。

 そして将来に向けた改革は一向に進まず、ついに先日は、2015年に日本が中国とインドに経済で抜かれるという衝撃的なレポートまでアメリカから出されました。日本は今、冷静な世界のエコノミストからもの笑いのネタにされているわけです。

 湯水のごとく公共事業をすればGDPは上がるに決まっています。たぶんわが国の経済専門家社会ではそれで景気を良くしたことになるのでしょうが、一般市民の感覚では、この数年GDPが成長して景気が良くなったと感じる人はほとんどいないと思います。GDPは経済活動の単なる全般的な結果の指標に過ぎません。

 政治家が机上学者諸氏と同じ感覚で目先のGDPに踊らされていては困ります。

 国民や国際社会が求めているのはGDPではなく、将来も「継続して充実した経済を維持」できる確信です。これに本気で取り組めば成長率はあるいは落ちるかも知れませんが、将来への展望が開けて必ず評価は上がります。これをやり遂げる政権は、きっと国民からは絶大な支持を受けると思います、そして国際社会からも。

 政治家が実施しようとする政策の評価尺度として重視すべきはGDPよりむしろ株価です。株価は、国際的観点からの日本の経済政策の評価をより端的に示す指標です。そして企業業績回復中の今どんどん下がっています、非常事態とも言えます。これからやろうとする経済政策が間違っているというシグナルです。



 NO.23 経済破滅の足音--2000.12.23

 残念なことに、日本経済が危機的瀬戸際にあるという認識は政治家諸氏には全くないようです。もし株価がこのままズルズル下がれば金融機関は当然バタバタでしょうし、またもや公的資金投入云々で一悶着、そして再びこれからの10年をその後始末に追われてしまいます。もっともその時はさすがに新しい気持ちで出発できましょうが、経済的には完全な三流国としての再出発を覚悟しなければなりません。

 わが国の政治家諸氏は、いつもヤリ玉にあげられる官僚のさらに一歩上をいく硬直化した官僚体質になっているようです。中央官僚の実態を知らないのですが、もうすぐ国会議員にでもなろうかという方々は別として、たぶん意欲的な若手の経済官僚の多くは政治家諸氏が再び繰り返そうとしている経済失策とそれに反応した株価の現状を見て、穴があったら入りたいほどの気持ちだと思います。

 介入して株価を買い支えることは逆効果ですが、株価が日本の経済政策に期待が持てないと判断して下げているということには謙虚にならなければいけません。そしてそれは政治で流れを変えることも可能なのです。国際社会が日本経済に期待しているのは、規制緩和と構造改革です。これをやるという強いメッセージが今求められています。



 NO.24 規制緩和とリスクへの投資--2000.12.23

 規制緩和は、先進国の条件ですから好むと好まざるとにかかわらず必要です。筆者は、早ければ早いほど良いと思います。

 そしてその時に配慮すべきもう一つの問題は、それによって一時的には必ず発生する失業者を如何にするかだと思います。それをうまく吸収する制度が不備のままでは社会が大混乱するのを避けられません。企業内失業者を含めて十数パーセントといわれているほどの数ですから。

 一つの可能性として起業を活性化する必要があるのは論を待たないと思いますが、日本の今の風土や社会制度のままでは少なくとも自分から進んで起業する人は出てきません。

 企業の人事諸制度が急速に見直されているとは言え、まだまだ定年まで同じ企業で勤めあげた方が生涯所得ではずっと有利なのも現実です。ベンチャーキャピタルも形ばかりですし、不確実なビジネスに積極的に資金援助するエンジェルを優遇する税制にもなっていないようですから、リスクを許容する投資家層もごく限られます。現状では、起業するのも投資する側も命がけの覚悟がいる実態だと思います。

 その点を解消するためには、個人の金融資産(預貯金)や税金(所得税や相続税)の一部がスムーズにある程度リスクのある起業への投資にも流れるしくみを整備することが、一方では急務だと思います。例えば、所得税や相続税を払う代わりにエンジェルになってもらえば一定限度それらから控除するようなイメージの制度です。

 そうなれば、銀行に集まるお金や国の税収は減りますが、一方、今までのようなムダな投資は減り国中のお金がより効果的に使われることになりそうです。自分のお金を投資するから投資する側も真剣です。当然、消費者として自分で判断することのできる分野の事業に絞った投資になりましょう。仮に投資が失敗しても一定限度なら税金から控除されるから、ある程度のリスクはガマンできるし自己責任でもあります。

 余談になりますが、筆者は、戦前のことは知りませんが、今の日本のお上(国)や銀行にはお金を効果的に投資するノウハウはないと思います。

 妙な言い方ですが、今まで国は税金を集めることだけ、銀行は預金(投資資金)を集めることだけを必死に考えればそれですんでいた時代だからです(バブル時までは)。戦後復興の高度成長期だったので、お金の使い途はややこしく考えるほどもなく決まりきっていました。橋や道やトンネルや電気や鉄など国民が求めるものはみな同じです。

 一定レベルの生活水準になるまでは生活の価値観も画一化されているので、消費者の視点などもそれほど重要ではありません。筆者はそれを発展途上国型と言っていますが、そのことにどこかで気づけば良かったのでしょうがなぜかそのまま来てしまった現状だと思います。

 だから、リスクに対する投資には、ノウハウも不足している国や銀行に任せるよりも、むしろ直接の消費者である個人に任せてその分を税金で優遇するようなやり方をめざす方が良さそうです。全部とは言わないまでも。



 NO.25 成熟社会では国ではなく自分で選択する姿勢が大切--2000.12.25

 これからの日本は、私たち一人一人が自分の見識で自分の途を選択していく社会だと思います。国やその他これまで圧倒的に権威があったと考えていたものは、実は、時代背景の中で私たちがそう思い込んでいただけだと思います。それらにいつまでも頼っていても、いずれは時間の問題で最後にはとり返しのつかないことになりそうです。

 筆者は、山村の村おこしなどの取り組みを手伝うことがありますが、巧くいっているのは、例えば農協など既存権威の言いなりだけにはならず自分たちで工夫することにこだわった産品開発などの取り組みです。新規流通開拓など苦労は多いようですが、十羽ひとからげの農協ブランドを使わずに独自ブランドを育てあげたりして成功しています。多少日常生活に不便さはあるものの、そのような人々の生活は充実しているように見えます。それでも若い人は都市部で働きたがりますが、逆に中高年のJターンやUターンなどもあるらしくけっこう巧くいくようです。これからは、そんな生活を好む人々も少しずつ多くなると思います。

 ちなみに筆者の印象では、補助金などで建てた豪華施設は閑古鳥が鳴いているものが殆どで、その維持管理さえ持て余しています。はじめの1-2年はものめずらしくて見に来ますが、あとは誰も来ないというのが実態だと思います。生活者としての国民(消費者)のニーズを無視したことをやってもどうなるものでもありません。

 今では私たち国民一人一人の生活はかなりな程度に豊かになり、そうなれば生活の価値観も人それぞれに違ってくるのは自然です。生活が豊かで価値観が多様化した社会で、幅広く関係者を巻き込んで一致団結してこの難関を勝ち抜こうなどとなる情景を筆者は想像できません。

 それができるのは村の存続さえ脅かされそうな過疎地域とか、あるいは既得権益の恩恵を守ることに必死な特定集団だけでしょうがそれではいよいよ国の将来が真っ暗になります。

 そんな社会では、国は、自分が中心になって何でもやってしまうことを諦めなければなりません。利権の温床になることが避けられませんし、また、全てを整合的に管理する能力を持ち得ることも不可能です。

 むしろ、意欲がある人(又は地域)なら誰でも何でも自由にやれる機会づくりだけを徹底的に推進し、「新しい発展の芽」を誕生させることに専念することが重要だと思います。それが規制緩和のほんとうの意義だと感じます。

 そして、防衛や福祉や環境や外交など、個々の人々の力だけではどうにもできない部分だけに全力を傾けるのが国の仕事になりそうです。



 NO.26 個人活力時代--2000.12.25

 政治家や学者の多くは、これまでのパターンの景気刺激策を続けてそのうちに消費が盛り上がることに期待しているようですが、筆者はどう考えてもそのようなやり方で消費が盛りあがるとは思えません。消費者は今でも十分に消費活動を満喫しています。ただ、賢くなってムダ使いはしないのです。たぶん、これからも従来型の消費はほとんど永久に期待できないと思います。

 そして日本経済の不思議な点は、国民が消費しない余分なお金が預貯金として眠り、眠るだけならまだしもそれらが考えただけでもバカバカしいことに湯水のごとく使われているという点だと思います。

 金融専門家ではないので詳細は知りませんが、貯金として郵便局に入ったお金は財政投融資で回収の見込みのないことにわりと無頓着に使われているようですし、預金として銀行に入ったお金はこれまた勝手な言い分でわけのわからない債権放棄に使われています。一致団結して旧態死守に活用されているのです。

 日本経済の悲劇は、国や銀行に自分のお金の運用を任せきりにしている私たちの無関心さにあると思います。本来ならば、そのお金を自分たちの将来の生活に役立ちそうな企業に投資して、個々人が自分の判断で社会に求められる企業を育てるほどの意気込みが必要だと思います。

 もしそれができない方には、天邪鬼な筆者などは(現実的ではありませんが)せめて現金を貸金庫に入れるとか外貨預金にでもしておくことを呼びかけたいくらいです。預貯金がどんどん減ればのんびりムードの当局もさすがに危機感をもって真剣に改革してくれるかもしれません。

 国も金融界もたっぷりある預貯金にあぐらをかいてほんとうの危機感がないから、本気の改革をやる気がないのだとも感じます。当局に対して国民からのショック療法が必要な時かもしれません。

NO. 1〜 8
NO. 9〜15
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.57〜65
NO.66〜76
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
NO.99〜106
NO.107〜

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