好奇心コラム

NO. 1〜 8
NO. 9〜15
NO. 9〜15
NO.16〜26
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.57〜65
NO.66〜76
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
NO.107〜


 MIZ.VOL.5 日本再生のシナリオ PART2(NO.99からNO.106まで)
 [執筆者]
 水町祐之

 [紹 介]
 第三インテリジェンス代表。
 1952年、福岡県生まれ。日本大学大学院博士前期課程(管理工学専攻)修了後、一貫して経営コンサルタント業務に従事。執筆活動では[転換が迫られる日本型人事・教育システム(人材教育‥日本能率協会マネジメントセンター発行月刊誌、1998年11月号より)]。


●サブテーマ
管理の神髄は全員に目立たせる / 日本的な島国発想 / 政治決断できない政治家達 / どうでも良いところをお金がグルグル回る / 技術貿易立国という発想 / 夢の生活文明郷づくり / 挑戦意欲を鼓舞する税制思想改革 / 豊かでやりがいのある社会をめざして


 NO.99 管理の神髄は全員に目立たせる--2002.8.23

 もう20年ほど前に中堅のある印刷会社の改善活動を手伝っていたときの話です。

 その会社は、ポスター・カタログ・カレンダーなどの印刷が主な仕事でした。カタログ等は製品紹介の重要メディアだから、各社とも品質に神経質で印刷会社にあれこれ注文をつけます。それらの印刷は極めて高度な熟練作業が求められる作業でもあります。

 「お客様は神様」で、指摘されたことを実現しなければ引き続き仕事をもらえませんから、印刷会社もお客様の要望を実現できる現場管理技術を向上させようと必死です。だから改善コンサルタントも仕事にありつけるのですが。

 ふつうの企業は、一流の大企業でもその印刷工場を見に来れば納得して帰る企業ばかりでしたが、トヨタは例外でした。

 その工場は、高価な大型オフセット印刷機が通路を挟んで両側にズラッと並んでいる大工場。ある日、工場に行ったら、各印刷機の通路側に「信号機」が設置してありました。文字通り、交通信号機にそっくりでいかにも見苦しい。

 あまりに体裁悪いから何とかしたらと工場長氏に聞いたところ、「トヨタの外注先指導部署に目立つ信号機を取り付けるように」指摘されたとか。機械が止まっている時は「赤」が、標準通りに動いている時は「青」が「自動的に点灯するように」配線しろ、と。

 そして、工場管理者と技術指導者は「青」は放っといて「赤」が点灯した印刷機に集まるように指摘されたと言う。それでおたくの現場管理ノウハウは数段レベルアップする、と。トヨタも印刷技術には素人だから、品質技術面の細かなことまでは言わないのです。

 筆者も駆け出しのコンサルタントだったので「目からウロコ」でした。トヨタの現場管理の神髄は、ややこしいことではなく「異常な状態を--全員が気づくように目立たせること--」だけ。目立ちさえすればよってたかって何とかする。ところが異常を何かと隠そうとするのが世の常、これが一番困るのです。

 最近ではこんなトヨタ発想(総称してカンバン方式)も世間に浸透し、一般の製造企業などでは当たり前のことですが、行政とか国の管理は全くお粗末。道路公団の事例はその典型かも知れません、どの路線が、あるいはどの子会社がどうなっているのかさっぱりわからない。あいまいにして隠すことしか頭にないから改善もできないのですね。



 NO.100 日本的な島国発想--2002.9.10

 日本にもアジア諸国にも将棋があり欧米にはチェスがあります。どれも王様(最高権力者)を討ち取るゲーム。日本の「将棋」は取った駒を自分の配下として自在に使うところが実にユニークです。味方の駒があっという間に敵の切り込み隊長になってしまう。外国人から見たらおかしなゲームでしょうね。

 筆者は、どうしてこんな違いになったのか、時々ボーッと考えます。

 大陸は広く、逃げようと思えばどこまでも逃げ延びられる。一応は逃げられるが、どこまでも追いかけようと思えば追いかけていける。だから逆に、抗戦する相手は禍根を残さないよう抹殺するのが戦いの掟で、良くて「奴隷」にするのが基本でしょう。

 一方日本は、抹殺しないで、最高権力者を討ち取る過程で手にした駒は配下として重用する。奴隷とは違います。これは「日本的な島国気質」を象徴する「八方丸く治める知恵」ではあるまいか。そして、その知恵の背景には「日本的な人質」の存在があったのだと思います。

 人質を差し出せば許され、人質を大切に扱うことでむやみな寝返りが抑止され一定の秩序も維持できたのでしょう。

 思えば、日本は海で八方塞がり。お互いが、どこまでも果てしなく逃げられないことを知っていました。だから頃合いを見て最高権力者を敵に渡し、自分も人質を出して恭順するが、それが嫌なら誰も来ない山奥で世間と断絶して「平家の落人」のように暮らすしかないのです。

 宮崎県の山奥に「椎葉村」という平家落人村がありますが、ここは陸の孤島と言える交通の難所。当時は、ここまで追っ手を差し向けることは事実上不可能だったに違いない(実際は差し向けたが、その討伐隊長は長引く間に敵方の姫と恋におちてしまったと言います)。

 昔は徒歩や馬で移動し、武器も弓矢や刀で、おまけに通信手段も人を走らせるから急峻な山奥では補給が持たない。追っ手を心配することなく落人生活もできましたが、外部への往来が自由な環境ではそんな「鎖国的暮らし」は不可能です。

 現代はほんの数時間もあれば中国へも物理的にも一っ飛びでき、インターネットなら即時に情報のやりとりができる時代。日本もそろそろ目先の利権とか島国的な発想から脱却しないと取り残されてしまうかも知れません。アジアのメガトレンドは着実に動き始めた気配を感じます。

 そう言えば先日、マレーシアが日本の個人誘致キャンペーンを始めました。長期フリーパスビザを発給して不動産取得等を大幅に自由化するとか。マレーシアは日本の家電生産拠点として急成長してきましたが、その地位はじきに中国に奪われることを知っています。


 余談ですが、平家のついでに江戸時代の「参勤交代」を思い出しました。参勤交代は、300年も続いたシステムだから良くできている。時の実力者である地方大名から人質をとり、彼らが妙なことを考える財力を蓄えることができないように、一年おきに江戸まで大名行列をさせて散財させるための制度と言います。

 現代の実力者(族議員や中央官僚)たちからも人質をとり、加えて、彼らの手元に彼らが自由に使えるお金を置いてはいけないのです。彼らが自由に使えるお金とは何か、税金・国債・郵便貯金のことで、これらを減らすことが大切です。そこまではわかるのですが、さて、次にどうしたものか。特に、人質をとるのが難しそうです。

 現代の人質とは、たぶん「政権」でしょう。「政権交代」が国民の意向で容易に行える態勢づくりが大切ですね。そして、政権交代時には中央役所の局長クラスから上も入れ替える。そのためには野党がもう少し強くならないとダメ、これがまた半端な感じでなかなかに難しい。

 イラクも北朝鮮も、現状の政権のあり方が良くないことは世界中が理解しているが、それをどうやって変革させるかとなると大変難しい。日本も事情は違うが構図は似ています。日本は国民がそれに気づきさえすれば血を流さずに簡単に変革できるのですが。



 NO.101 政治決断できない政治家達--2002.9.18

 2-3ヶ月前のテレビで、司会者が石原慎太郎都知事に「日本が立ち直るためには、どうすればいいだろう」という質問をし、都知事は「そんなの簡単で、国を無視すればいい」と喝破していました。「国」とは中央官僚のことのようでした。

 政界を引退したハマコー氏は、ビートたけし氏らとのトーク番組で「官僚は頭が良い、私ら自民党議員は彼らに毎日教育してもらって今がある」と冗談かマジメかわからない風情で宣っておられた。あまりに的を射た表現で、またファンになりました。

 それらを前置きとして頭の片隅に置き、さて今日の本題ですが、日本には自分では意思決定できない不思議な政治家が多い。少なくとも自民党では、自分では意思決定しない人しか総裁になれませんでした。

 自民党は、表札には「政策グループ」とあっても分野別利権グループ代表として送り込まれた人々の寄合い所帯だから、総裁に勝手に意思決定されたら多くの議員は立つ瀬がなくなり、成り立ちからしてそれが必然の掟なのかも知れませんね。

 そんな自民党の中では異質な存在であったはずの小泉首相さえも意思決定しない。関心の強い分野の郵政公社総裁についてはかろうじてメンツを保ったが、それ以外のあまり関心のない分野(例えば、経済や金融や税制)では緊急なことでも意思決定を放棄する。

 商売柄、さまざまな分野の経営者などに会って話を聞く機会が多いのですが、みんな「重大な意思決定の際の孤独感」に悩んでいます。自分が決めたことで関係者全体の行く末が決まるのだから当然か。一番上の立場の意思決定とはそんなもののようです。

 一方、人々は各々立場があるから、利害関係のある部分で意見を聞かれても立場を代表する意見しか言えない、これまた至極当然。

 要は、政策技術面のことは大いに意見を聞いて最善策を探るのも良いことですが、政策の方向やスタンスを大変更する時に延々と議論しても平行線にしかならないから全く無意味ということ。最終的に一番上の者が、信念で意思決定するしかない。それがたぶん「政治決断」といわれる類のものでしょう。

 直接金融促進の税制改革などは税の公平性や中立性云々の議論を越えた政治決断の範疇でしょう。小泉首相ももう覚悟を決めて早く意思決定してほしい。その勇気がないなら潔く総理の座を降りてほしいものです。さもないと、自民党の力では首相を降ろせないから、時間だけが過ぎて日本再生のチャンスが減っていく。

 小泉首相は、国内経済問題でこそ、北朝鮮との外交で見せたスピード感のある改革をやって欲しいですね。スピードが大切。やってみないことにはどうなるかなどわからないし、少なくとも前進は期待できない。



 NO.102 どうでも良いところをお金がグルグル回る--2002.9.20

 先日、東京都が、安全かつ有利な都債として都内在住・在勤者向けに1万円から買える「東京再生都債」を発行したら、2週間の販売予定がわずか80分で完売したそうです。さっそく2回目の発行を決めたという。

 その前の日には、財務省が、来年2月をメドに新設する個人向け国債(利子にかかる所得税を非課税にする)を、物価上昇に合わせて元本が増える「インフレ連動国債」の商品案として公表しました。

 同日開いた国債市場懇談会で証券会社担当者や有識者等に示したら、証券会社から前向きな声が上がったが、銀行関係者からは「預金が国債にシフトしかねない」と慎重な対応を求める意見が出たと言います。証券会社は取扱窓口としての手数料収入に目がくらんで賛成したのかも知れませんが、銀行が反対するのは至極当然でしょう。

 それはそれとして、東京再生都債の人気ぶりを見れば、インフレ連動国債はもっと有利な条件だから超人気化は必至でしょう。財務省も万々歳と言ったところか。売れることは決まりです。

 しかし、それらが売れるから国のためになるかと言えば、全く違います。民間企業が工夫して人気化必至の商品を販売するならそれは経営努力と認められる。が、税金免除など民間は逆立ちしても無理。インフレ連動国債は、民間企業からよだれが出る商品です。

 お客様が見向きもしないことは民間企業では絶対やれない。それでは仕方がないから国がやるには、と発想しなければならないのに国(所管役所)の発想はまるで逆ですね。

 世界中が、中国や北朝鮮などの共産国でさえも少しずつでも自由な市場競争経済に移行しようと躍起になっている時に、日本だけが一人、時代錯誤の共産主義に向かっている。日本は金融機能それ自体が国家管理に移行しつつあるかのようです。個人投資家もあまりに不利な株式投資に耐え切れず株価はますます危険な状態に進んでいるというのに、一体何を考えているのやら。

 日本は発展途上国ではありません。国の管理下にお金を集めて、それを国の裁量で投資しても必ず失敗する。ダム、地方空港、高速道路、大規模な橋、世界各地のODAダム、その他例外はありません。なぜ失敗するか、経済が成熟した国では「投資ではなく利権」に成り下がるからです。


 筆者は、焚き火が趣味でマニアクラスです。焚き火の後の焼きイモがことの他旨い。以下、焚き火をしながらいつも頭に浮かぶ「経済政策は、焚き火」論。

 「焚き火(経済)」には「薪(企業や産業)」が必要です。焚き火では、始めは枯れ草や枯れた小枝で火をおこし、次に乾燥した薪で火力を強くします。その時々に生の木の葉(ベンチャー企業)を入れると油分が出て良く燃える。

 そこそこ火力が強くなった頃に、大き目の半分生木の薪を種火用に置けば火の持続性が良くなります。乾燥した枯れ木ばかりをくべれば良く燃えるものの、アッというまに燃え尽きるから薪が大量に必要で、火にあたる時間もないくらいに薪集めが忙しくなる。

 焚き火には薪が必要ですが、燃えているのは実は薪ではなく酸素です。酸素とは、経済で言えば「人(雇用)やお金」。不思議なことに、政府が出す酸素(財政出動や財政投融資)は特定の薪(ゼネコンなどの旧態企業)しか燃やせない。それらは、たちまち燃え尽きる薪ばかり。

 長時間の焚き火で心がけることは、時々燃えカスの灰を掻き出しながら大きな薪を組み直さないと(産業構造調整)、いくら薪をくべても燃えカスの灰が邪魔して酸素の通りが悪くなり火が強くならないという点です。

 経済関係の官僚や議員諸氏は、いちど野山に出て焚き火をしてみることをお勧めしたいですね。薪は、野山(直接金融)に行けば無尽蔵。みんなで手分けして集めれば良いし、薪集め自体が楽しいのに、それがわからないとは気の毒です。


 ところで、日銀が9日朝発表した8月の貸出・資金吸収動向では、都市銀行や地方銀行など銀行全体の貸出残高が前年同月に比べ4.5%減って421兆7016億円。前年実績を下回るのは1998年1月以来56カ月連続という。業態別にみると、最も残高の大きい都市銀行などで7.1%減。地方銀行は0.3%減、第二地方銀行は1.5%減の下げ幅。大手都銀の減少ぶりが目立ちます。

 この5年間、特に都市銀行は何の役にも立っていないわけです。どうしてそんな銀行を後生大事にしなければならないのか不思議です。銀行の半分くらいは潰すのが良い。郵便貯金も解体する。銀行や郵便貯金に資金を集中させて、日本の将来に何のメリットがあるのだろう。メリットは、国債が順調に消化できる構造が維持できるだけでしょう。


 そんなことを考えていたら、突然、日銀が「銀行が保有する株式の直接買い取り」を実施すると発表しました。株価の変動が銀行の決算や自己資本比率に大きく影響している現状を踏まえ、こうした価格変動リスクを小さくすることで不良債権処理を促進するねらいとか。

 買い取り価格は時価をベースとし、株価や格付けなど、買い取りにあたって一定の基準を設ける可能性が高いらしい。日銀は前代未聞の大胆なことを決意したようです。この措置が正しいかどうか筆者も初耳で見当つきませんが、これは、政府への最後通告とも言える日銀からのメッセージには違いないと感じます。

 日銀は、もう数年間にわたって、政府の言いなりに金利無しの金融緩和を続けているが何の効果もない。従来の金融緩和策では、日銀--銀行--国債の間をグルグルお金が回るだけで、不良債権も減るどころか増えている。経済の活性化には何一つ効果を発揮していませんでした。

 筆者は、日本の経済停滞は日銀ではなく政府の無策に原因があると考えています。特に金融庁。銀行は、日本に不要なゼネコンや流通や不動産企業などに債権放棄を実施するだけで、本気の再建取り組みを躊躇する。そして金融庁も銀行は健全だと繰り返すばかりで処理促進の抜本策を打たない

 日銀は、そんな金融界を不健全だと判断したわけです。日銀がそう考えるのも無理もない。

 ここ数年間は3月と9月の決算月にまるで決まったように株価危機が来る。そして政府は、3月と9月の決算月が何とか過ぎれば、自分は何もしていないのに何を勘違いしてか「ほら見ろ、何の混乱もなかったろ」と寝言を言いながらデフレの深みにはまっていきました。

 業を煮やした日銀がここまでやってくれるなら、政府もあうんの呼吸で早急に不良債権企業や不良銀行を強制的に潰す類の政策を実施しなければ意味がない。そうしないと、こんどは日銀に不良債権が溜まっていくことにもなりましょう。

 この機に政府が不良債権処理を強力に促進しないと日銀の国際的な信頼性は失われ、次には大幅な高金利しか策がなくなるのではなかろうか。そうなったら、文字通りの超ハードランディング。もう待ったなしになったぞ、小泉首相。日銀は銀行が不健全だと認定したし、ペイオフ全面解禁もあるし。

 ついでにと言ってはおかしいが、直接金融促進の税制抜本改革もセットで実施すれば、日銀の決断もさらに効果的になりましょう。



 NO.103 技術貿易立国という発想 --2002.10.11

 日本経済新聞社が主催する囲碁王座戦が上海で行われました。実に感慨深いものがあります。趙治勲王座に対して挑戦者は王銘エン九段で、立会人は林海峯九段。すべて韓国と台湾の出身棋士。もちろん日本の国内タイトルだから全員が日本で活躍する日本棋院のプロ棋士たちです。

 日本人が一人もいないのは寂しい気もしますが、精進してその域に達した者だけが栄冠を受けるのは当然。それにしても、日中国交正常化30周年便乗企画とは言え、台湾ではなく上海でやるとは日本経済新聞社もアジな企画をするものですね。

 現時点で日本の囲碁タイトルを持つ中国出身棋士はいませんが必ず現れましょう。日本の王座戦とは別にアジアを中心に世界から選りすぐった棋士で行われる囲碁世界王座トーナメントは、上記の趙治勲王座と王銘エン九段も含めた日本のトップ棋士達は全滅し、常昊九段(中国)と李昌鎬九段(韓国)の決勝戦になりました。

 囲碁界では、筆者が力説する「新・大東亜共栄圏」が既に実現しているわけです。残念なことに日本人棋士はなかなか王座につけませんが、それは時の運もあろうし第一に力不足だから。さらに精進して自己を磨いてもらうしかない。

 それでも、世界的なレベルで支援者を集め共感者を増やす活動を資金的な面も含めて実現できるのは日本だけだから、各国には一目置かれそれなりに尊敬され慕われる。ちょうど囲碁界においてノーベル賞のようなものを提供しているのが日本なのです。

 日本経済も成熟していくにつれて少しずつそうなっていくことでしょう。と言うよりも、そうならざるを得ないと思います。つまらない国の垣根をつくっても、良いことは何一つない。そこで進歩が止まるだけ。それでは「井の中の蛙」でやりがいもないし、たかが知れている。

 そもそも、日本中が過保護利権行政にすがる内弁慶の銀行やゼネコンのようになったら、ますます進展するグローバル化の時代に外国から相手にされません。そんなことでは、「技術立国で付加価値の高い技術を外国に売って食べていく」しかない日本の将来は期待できない。

 もはや、日本は、単純に外国に「モノ」を売って世渡りをする「加工貿易」ではこれ以上の発展は望めないのです。将来のある新興国には、日本が技術支援しなくてもいずれは他の国が技術支援するから、そうなると指をくわえて追いつかれるのを待つ格好になり長期的に見て何のメリットもない。


 折しも、2-3日前には、ヨーロッパ勢やホンダに遅れていたトヨタが中国生産を始めたとテレビで紹介していました。1500tクラスの小型車を年間30,000台の予定で生産するとか。これは第一歩で、2005年稼働を目安にさらに1000億円を投資するとのことでした。

 自社の生産技術を海外展開できるのなら、輸出ではなく消費地で生産するのは何かと都合が良い。家電業界はその先輩格でした。相手国は雇用を確保できるし日本企業はさらなる多様なノウハウと利益を確保できる、両者にとって良いことづくめでしょう。第一、やっかいな貿易摩擦の心配がありません。

 少し意外な気がしたのは価格がかなり高かったこと。日本で120万円前後の同型車が200万円前後とか。現在はこの価格で買える購買層の比率は小さくても、何しろ日本の10倍以上の人口だから絶対数で巨大な市場でしょう。そのうちに為替調整で価格差も縮まるでしょうし。

 日産も間もなく後を追うことが既に決まっているようです。トヨタは今のところは中国内需要を想定しての現地生産ですが、ホンダは一歩進んだ発想で中国生産車の輸出も想定している模様とか。

 過保護利権行政で「ゾンビ企業」に成り下がったゼネコンや銀行等と違って、輸出優良企業は為替に左右されるグローバル企業の厳しさを身にしみて知っているから、少しでも経営を安定させるために脇目もふらずに自己の戦略を実行します。

 何もしないで世界の同業者に置いて行かれるわけにはいかないから、これら企業の生き残り戦略は止められません。止められないなら、どうしたらそれに適応できるかを考えるのが政治の使命でしょう。さもないと、日本の労働者だけがこれに置いてきぼりになります。

 日本がこれからの時代に一定の地位を維持するには「新・大東亜共栄圏」しかないのです。日本の位置づけは「技術のマザー牧場」。ものづくりの基幹技術ではまだ日本の独壇場です。自動車の基幹技術で言えば、燃料噴射装置やトランスミッションなどは特許の塊。

 政治家がもっと早く動かないと間に合わない。失業率も一旦は7-8%を見ないと、「ゾンビ企業」が多い現状では経済の本格的再生もないでしょう。それなら1日も早く、少しでもゆとりがあるうちにその段階を乗り越えるのが得策に決まりきっています。

 5年以上も前から「旧態産業の人質労働者」を救出(シフト)するには「生活サービスの内需産業」活性化が重要で、それには起業投資や株式投資促進の「抜本的税制改革」が不可欠と繰り返していますが、今頃になって政治家達は雇用対策云々と騒ぎます。ともかく、遅い。


 グズグスしている間にも、流通や建設および銀行などを中心に株価が急降下。とうとう20年も逆戻りしました。失われた10年ということばが定着していましたが、これからは失われた20年と言った方が適切ですね。株式市場は、全体としてはちょうど20年前の水準に戻ったわけです。

 小泉首相が首相になった時は日経平均が14000-15000円程度だったので、すぐに税制等を含めた金融システム再構築に取り組めばもう少しゆとりが持てたはずですが、ここまで下がればもはやゆとりもない。全体が下がる過程では、好業績企業と言えども不安からある程度は株価が下がるのが常ですから。

 土地については良く知りませんが、少子化社会では住宅地ニーズが減るのは当たり前だから状況は似たようなものでしょう。

 株式市場や土地の価値が20年前に逆戻りしたら、他のこと(為替や賃金や物価など)も20年前に戻せばたぶんうまくいく。日本の復活は、あらゆるものを20年前の水準に戻せるかどうかにかかっていると言い換えることもできましょう。

 20年前の賃金はどのくらいだったか。良く覚えていませんが、大企業の大学新卒者の年収が200万円程度で、50歳くらいの管理職で600万円程度だったろうか。20年前の賃金水準で良ければ人を雇いたいと考えている企業も多いことでしょう。

 グローバルなご時世では日本だけがベラボウな賃金水準での経済運営は不可能です。大量の低賃金労働移民を受け入れているアメリカなどと違って、全員が一律に賃金水準が上がれば空洞化は必然。何とかして日本の全体賃金水準を20年前の水準に戻すことが大切です。


 まあ、直接的に賃金を下げることは何かと大変だから現実には為替で調整するしかありません。20年前の為替は1ドルが240円程度。

 ヘッジファンドか誰かが円をたたき売ってくれないかなあと、とんでもないことまで考えてしまいます。国債も売れ残るくらいだからその下地は整ってきた気もします。そして1ドルが200-250円になれば、日本人の労働者としての競争力は復活します。

 ヘッジファンドと言えば、デリバティブの魔術師ジョージ・ソロス氏は、今、何をしているのだろう。韓国の経済危機の際には韓国に乗り込んで何かは知りませんが経済運営のアドバイスをしていたのを思い出しました。彼は、92年に英国の中央銀行であるイングランド銀行を向こうに回してポンドを売りまくり、必死の防戦に回った同銀行の防衛ラインをも打ち破り、ついに英国をERM(欧州通貨相場メカニズム)から離脱させたほどの実力者。

 今になって考えてみると、英国経済が曲がりなりにも再生できたのも、あれを契機にポンドが大幅に下がったからかも知れませんね。日本ももはや強烈なショック療法しか残っていないのではなかろうか。

 彼の「市場は常に間違っている」と言う持論は、今の日本に当てはまりそう。円をたたき売っても成功するかも。何しろ国債の買い手がいなくなった。国債が売れ残るような国の通貨が高いままというのは何かがおかしい。不自然なことです。

 しかし、一部の輸出優良企業の技術競争力だけが極端に強いために、円が下がれば輸出が異常に増えて貿易摩擦が深刻になり収拾がつかなくなります。だから、各国とも、各々自国の雇用とかその他諸々の国益という制約がある政府とか中央銀行では、円を下げようにも下げられない。

 政府の都合に関係のない人々にお出まし願うしかない。例えば、ジョージ・ソロス氏のような人々。彼が円売りに乗り出せば、神通力があるから追随する世界中の投機家も多かろう。円が急落する。

 そして、円が下がっても輸出優良企業には輸出を急に増やさずに可能な限り現地生産で対応してもらうようにすれば良い。もちろん「技術のマザー牧場」として尖端的開発部門は国内に残してもらう。そうすれば、日本人の賃金競争力が回復して全般的なレベルでの製造業の空洞化はくい止めることができます。

 日本人が海外に行く時に少し高くつく程度で済むし、逆に外国人が日本に来る場合は安くなるから日本への旅行者は増える。

 できれば避けたいシナリオではありますが・・・。



 NO.104 夢の生活文明郷づくり --2002.12.3

 筆者が主張する国づくりの基本理念は「いのちかがやく生活文明郷」です。日本はグローバル時代に世界で確たる地位を築くため「技術立国」をめざし、技術とそれがもたらす豊かな経済を媒介にゆるやかに融合した「新・大東亜共栄圏づくり」に邁進する、という要旨でした。(国づくりビジョンについてはいのちがかがやく生活文明郷参照)

 日本は、原子力や宇宙開発など、多方面の要素技術を集大成した「巨大科学技術」ではアメリカなどに遅れもありますが、多くの分野で世界に冠たる技術大国。農林業を始め、軽工業や重化学工業、ハイテク産業。これら生活に密着した関連技術では世界で一、二と言っていいと思います。

 技術は最先端ですが、異常に高い人件費のため、単純な組立てなどは国内では不可能になりました。それらまでも国内に固執するなら、大幅な円安か賃金カットしかない。それは現実問題として無理があるから、残る途は、日本が「技術のマザー牧場」になることです。

 技術力のある優良企業は、好むと好まざるに関係なく自身の生き残りのためにグローバル化戦略を推進します。国内には「技術のマザー牧場」として基礎的研究開発や生産技術の実験工場的な部門などを残すから、技術競争力は何とか維持できましょう。

 そしてそんな企業戦略からはみ出しがちな中高年技術者は、技術を発揮できる場と技術者としてのやりがいを求め(それが技術者気質、筆者の印象ではノーベル賞の田中氏も典型例)、賃金低下は二の次として中国を始めアジア企業の技術指導という新しい活躍の場を見い出しました。最近は、そんな中高年技術者も現実に多い。

 アジア諸国が喜ぶのは実はそんな技術協力。だから、むしろこれを国家戦略にするのです。アジアが豊かになれば消費も増え、彼らは次の発展段階でも日本のお客様になる。アジア諸国で働く日本人技術指導者はその尖兵なのだから、年金や医療保険や雇用保険等で優遇するくらいに配慮すれば良いのです。


 米ソ冷戦は終わったかも知れないが、世界情勢はそれからほとんど進んでいない。イラクも、イラン対策のためのアメリカのご都合主義の結果、手のつけられない軍事独裁国家になった。北朝鮮もパキスタンの支援で核兵器開発を進めたと言う。そのパキスタンも、アフガン戦争前は核兵器開発疑惑で経済制裁下の準ならず者の位置づけでした。

 軍事大国達の発想では敵の敵は味方なのかも知れないが、このような軍事大国のご都合主義がまかり通って世界中が踊らされている。軍事的なご都合主義をやめなければ紛争も永久に収まるまい。

 このような世界の構図をうち破れるのは、ドイツと日本しかいないと感じます。この両国は、未だに先の大戦の後遺症に悩んでいるから基本的には戦争嫌い。しかも軍事力以外の「技術力と経済力」でそれなりに地域をリードしていくだけの力がある国だと思います。

 ヨーロッパはそのドイツを中心に一つの共栄圏を確立しつつある。アジアはそれが遅れているから、軍事大国やそれにテロで対抗しようと企てる勢力の「馬草場」になる。それを防ぐためにも「新・大東亜共栄圏」づくりを急がなければ。それが結果としてアジアの平和にも貢献しましょう。


 ところで新聞報道などによると、中国の大手自動車メーカーの東風汽車は、来春予定の日産自動車との合弁会社設立を前に、子会社の乗用車生産体制の拡充を始めたそうです。拡張する子会社は風神汽車で、東風が60%、台湾系メーカーの裕隆が40%出資するとか。

 現在の年5万台の生産能力を2004年に14万台、2005年には3倍の15万台に。風神は日産から技術ライセンスを取得し2000年4月から「ブルーバード」を生産中で、今月16日に累計生産台数が5万台に達した。来春には大衆車「サニー」の生産も始めるらしい。

 日本の家電各社も相次いで製品群の3割程度を目処に研究開発部門も中国に移すと発表しました。どんな製品群かは発表がありませんでしたが、ついにそこまで決心したかという印象です。

 例えば三洋電機は、来春までに冷蔵庫やエアコンなど白物家電分野を再編するとか。国内工場の製造部門をすべて別会社化し(それを機に平均賃金を引き下げる)、1400人程度を削減するらしい。家庭用エアコンの生産は中国に移転し、中小型の冷蔵庫をタイとインドネシアに移す。電子レンジや食器洗い乾燥機、掃除機なども製造量の多い普及機種はどこか決まっていないがアジア諸国での生産に切り替える。

 三洋電機はシャープ等と共に海外生産ノウハウに長け、他社に先駆けてワークシェアリング等も取り入れて雇用維持に努力していたようですが、それも限界なのでしょう。民間レベルでは、着々と「日本の技術のマザー牧場化と新・大東亜共栄圏」戦略を実行しています。


 一方の政府は、鳴り物入りの「産業再生機構」も、もう一つ主旨が理解しにくい。これからの日本に本来なら不要な企業を保護してどうするのだろう。儲かる部門や戦略部門を切り離して体質強化するいわゆるリストラなら各企業が勝手にやれば良いし、三洋電機に限らず他の優良企業達も皆そうしています。

 企業を分割してアメリカ的M&Aのような業務をやろうにも、日本では金融機関にも役所にも専門家はいない。誰がどうやって実際の業務を遂行するのか、アメリカの投資銀行から大勢ヘッドハンティングするつもりか。裁量行政の延長線上は論外です。

 経済に関して政府がやるべきことはそんな直接的関与でなく、一方で旧態企業を不自然に保護するのをやめて(例えば銀行の繰延税金をアメリカなみにするというのもその一例か)淘汰を促進し、他方で、新時代に成長できる企業育成措置を準備してその誕生と成長を促進することにつきます。

 政府がやる経済関連の行為では「促進」のスタンスが何よりも大切です。行政で言う促進とは、自分が活動の主体になるのではなく、施策によって当事者達にそうしてもらえるようにしむけること。もし、政府が活動主体になれば100%の確率で新しい利権が発生するから、それは御法度

 その移行期間で多少の混乱はあるから失業対策等に配慮も必要ですが、ダメなものはどうあがいてもダメだから八方美人の妙案はありません。小泉首相も政権についてだいぶ経つから、そろそろ大号令でハチマキを締め直して欲しいですね。

 その促進のためには税制が大きなポイント。目先の減税ではなく税制の思想改革です。従来発想から抜けられない人々は、強引にすげ替えてもこれを実現すべき時。さもないとじり貧。日銀がなりふり構わず株まで買っている危機に、政府は動かざること山のごとしでは如何ともし難い



 NO.105 挑戦意欲を鼓舞する税制思想改革 --2002.12.4

 日経新聞社がまとめた上場企業の03年3月期の連結経常利益は、前期に比べ71%増える見通しらしい。売上高は低迷するが、リストラ効果と米国やアジアなど好調な海外需要が利益を押し上げ、ジョブレスリカバリー(雇用なき業績回復)の局面です。

 銀行も表面上の業績は黒字ながら、これは企業努力と関係ありません。金利が0で無限に供給されるお金を利息を取って貸し、さらに高金利の国債を大量に買えば見かけの利益が大きいのは当然。銀行を始めとした旧態産業のリストラはこれから本番、まだまだ大勢の失業者を内包しています。

 例示して恐縮ながら、例えばUFJ銀行などは、銀行業界内でも突出した賃金水準(平均で何と1200万円超とか)のままで、店舗数も合併前とほとんど同じ。つまり、リストラなど全く進んではいないし、体質強化した云々の話ではなく経営感覚が麻痺しているとしか思えません。

 おまけに既存企業はお金を借りてくれる会社も少ない。筆者のような個人企業にさえ、無担保・無保証人の運転資金を融資すると会社口座のある地方銀行から毎月案内が来る。潰れそうな会社以外はお金を借りる会社がなく、銀行は新規開拓に見境ないくらいです。

 つまり、銀行にも行き場のないお金があり余っているのが実態です。今の金融行政で大切なのは、銀行にいくら大量の資金を供給したところでもはや何の意味もないと達観し、別の方策を強力に推進することが求められています

 その点では小泉首相の構造改革路線は的を射ています。ですが、口では構造改革まっしぐらと言われますが、結果としては進んでいるようには見えない。本気でやるならそれほど難しい事とも思えないが、どうしてかそれが進まない印象です。なぜかと言えば、不良債権処理が「後ろ向きな過去の清算」という印象の取り組みだからです。

 前向きな取り組みを強調するのが得策です。それには、何はなくともビジョンを訴求することが大切です。不良債権処理促進のその先にあるビジョン(具体的イメージ)が想い描けないから、国民も本当の決断ができなくて小泉首相につかず離れずの世論しか盛り上がらない、だから首相ももう一つ強引になれない。


 ビジョンを辞書で引くと「将来の構想、展望、見通す力、洞察力」とか「視覚、視力、視覚による映像」とあります。頭の中に将来の具体的な状況をイメージさせるのがビジョンの役割り。ビジョンには、全体を透徹する明快な思想と各要素を有機的に関連させるシナリオが必要です。断片的施策だけでは人々がイメージすることはできません。

 多くの政党や政治家のページには、「政策」コーナーに決意表明的キャッチフレーズがあり、その次に行政分野別に箇条書きにした政策課題が羅列してありますが、これらはビジョンではありません。


 ところで、自治体は10年に一度「長期総合計画」というものを策定します。これは、10年を計画期間とする基本構想(ビジョン)と5年の基本計画(前期と後期)から成り立っており、地域づくりの指針として策定することが義務づけられています。この作り方がまたケッサク。

 本来は各種の綿密な調査や取材などをして地域の状況を徹底して分析する過程等を経て、まずどんな方向で地域づくりすべきかのビジョンを確立し、次に各行政分野ごとの施策に落とし込んでいかねばならないのに、現実の多くは、ほぼ逆のプロセスで行われます。

 天の邪鬼な筆者は、高速道路や地方空港の多くの需要予測などももたぶん同じだろうと予想していますが、まあそれは余談として。

 まず、利権や惰性の都合(行政の継続性と言われる)で個別施策が所与の前提としてあり、それを集約する格好で当たり障りのないビジョンらしきものを掲げるのが一般的な方法です。結果はただのキャッチフレーズで、ビジョンと言うにはほど遠いものになります。

 先日、参議院の予算委員会を聞いていて改めて痛感しました。今日の経済低迷からの脱却は、要は、世の中のお金の動き方をどう工夫するか、だけ。それには税制と予算配分システムの思想改革が重要で、目先の減税云々を議論してもほとんど意味がないのに、質問する方も答える方もビジョンがないから目先のことしか話せない。

 銀行が効果的な金融仲介機能を発揮できないので、代わりに直接金融を税制大優遇で活性化させる。あるいは、税源委譲や地方分権やさらには規制緩和の徹底で、ゼネコン支配から脱却した中小の技術力のある末端施工業者を育成するとか、その類の前向きな取り組みの部分に全然迫力がないのです。

 今求められるのは「国民こぞって、新しい国づくりに向け必要な企業を立ち上げ、国民を挙げてそれらを支援せよ」とのメッセージと、それを具現化する施策です。国民の挑戦意欲を鼓舞する税制と、地方分権や規制緩和やその他によって新型企業の育成を強化する施策が何より重要


 ところが、そのポイントのはずの税制改革が進んでいるようには見えません。なぜそうなるのでしょう。官僚諸氏にも国会議員諸氏にも、固定観念を捨てて無我のスタンスで国の行く末を考えられる人がいないのではないか心配です。特に税制関係の族議員諸氏などは、敬老会の集まりと間違えてしまいそうで不安になります。

 日本の国会議員は衆参両院で約730人。ちなみにアメリカは上下両院で約540人。両国の人口と面積を勘案すれば、日本の国会議員数がいかに大人数かがわかります。こんなに多いのに、新しい国づくりの議論が進まないのはなぜでしょう。

 日本人が、国会議員に必要以上に地域代表としての側面を求めすぎるからです。資格は国会議員でも、多くの国会議員に期待される役割は地域への直接的な予算を分捕ることで、結果的には、国会議員自身が単にロビイスト機能しかない構図になっています。

 地域代表の側面を意識すれば、できるだけ国を細分化して絶対数を増やした方がより万遍なく個別主張を反映させられる。その結果、聞いたこともない議員が大増産され、彼らが口角泡を飛ばしてガンバルことと言えば予算の分捕り合戦の時と、多数決の員数合わせの時だけです。

 もっともらしく国の経済云々と付け焼き刃の知識で論じても、それは単なる方便で言っているだけで、自分の地域に公共事業を持ってくることしか頭にない雰囲気。自分でそれを明言する鈴木宗男氏を筆頭に、抵抗勢力と言われる自民党の主だった議員諸氏はその典型かも知れませんね。

 よくよく考えてみれば、国防や外交を始め国の根幹に関わる議論のために730人もの人数が必要なわけがない。これでは多すぎて逆にまとまる話もまとまらない、半分でも多すぎましょう。中には、意味さえ理解できない人々が少なくないはずです。

 国会は、もっと少人数で、本来の国会議員の努めである国防・外交・環境・教育・福祉・税制など国づくりの根幹部分に絞って議論させるべきです。現実は、それらに精を出せば選挙に落ちることにもなりましょう。要は、国会議員が単に地域代表の位置づけにならざるをえないから、全てが悪い方に回るのです。

 国会議員を国づくりの議論に専念させるには、地方や個別的な経済問題等の議論を不要にしてあげるのが効果的です。そうすれば、嫌でも国の根幹に関わる部分に関心が集中するし、それに伴い、地方や経済関連の官僚も大幅に減らせることになります。

 国の根幹に関わる部分とは、言い換えれば「全国均一にすべき分野」と言っても良いでしょう。国防や外交などは地域に差があるわけもない。教育や福祉なども同じ国の中で大きな差があっては具合が悪かろう。ところが、経済はそうではありません。

 地形も気候もそこに長年住んでいる人々の志向にも違いがあるのが当然。この違いを前提に、それぞれが良いと思う産業を興して経済を活性化させるのが一番自然なことです。

 10年ほど前、各地で村おこしが盛んな頃、宮崎県のある過疎地域の山村の村長さんが「せっかく気持ち良く寝ているのに、村おこし村おこしと起こさないでくれ、うちは--適疎(適当な過疎)--の村づくり」と気骨のある皮肉を言って話題になりました。

 村おこしと言っても、雨後のタケノコのように猫も杓子も温泉を掘り、あるいは広告代理店と一部企業がメセナを煽り行政側も安易にそれに乗って半端な博物館などを造るのが大ブームで、結果は、それら施設のほとんどがわずか2-3年で閑古鳥の巣になりました。

 自己の置かれた状況を認識している人々は足が地に着いた取り組みをするもの。その村は、村の基幹産業は椎茸栽培と肝に銘じ、天然の原木栽培椎茸のブランド化に取り組みました。従来の日向農協ブランド椎茸は低品質という市場の評価が定着していたので、高く売るために流通も開拓して独自高級ブランド椎茸を育てあげました。

 それぞれが自分なりに工夫してやらねばどうせ身につかない。そして国は、各自が自分で工夫するためのそれなりの財源を渡してやるだけで良いのだと思います。


 次のように考えればさらに良く理解できるかも知れません。

 これまでの日本は発展途上国で、何をするにも資金が足りない。限りある資金を少しでも効果的に使おうとすれば、誰かが優先順位をつけて交通整理しないと混乱するから、それを中央官僚に担当させて国がやっていました。

 国は、平和な時代には国民生活を豊かにすることをめざします(なつかしいかな、所得倍増計画)。それには経済を発展させるのが一番良い。その基盤として、物流大動脈の高速道路や人を運ぶ手段の高速鉄道がまず必要だと考えるのは自然なことです。

 ところが名神高速や東名高速も、財政投融資では足りず国際的支援(世銀からの融資)で資金調達しなければ建設不可能な状況でした。日本は昔は外国から資金を借りていたのです、しかも大量に。外国からまで多額のお金を借りるくらいだから無駄遣いできません。

 要するに、発展途上国の間は、皆が勝手にお金を使ってはいつまでも経済発展の基礎的基盤が用意できないので、国として必要な投資の優先順位を調整するシステムが不可欠で、その交通整理役に官僚(と族議員)を据えていたわけです。

 国民生活が一定水準になったら、今度はそれをやめることが大切です。生活が一定レベルになれば、「食べることに困らない」から豊かな生活のとらえ方は地域とか国民各層で違うのが当然。それなのに、いつまでも全国均一基準の国が投資活動をしては無駄がまかり通り、コストが幾何級数的に増えることになります

 官僚が気づいても自己の存在を否定することにもなるから自己改革は難かしい。選挙で選ばれた国民代表の政治家が、目先の減税とか公共事業云々ではなく、税制や予算システムに関連するしくみそのものを変えて日本の経済運営方式それ自体を改革することが重要です。


 昔ある高名なアメリカの社会学者(R.K.マートン)が「官僚制の逆機能、目標の転移」を指摘しましたが、近年の日本はまさにその状況です。日本経済が官僚(と族議員)に喰い潰される前に、彼らがやっていた経済関連のプロセスをそっくり抜いてしまうことが必要です。

 これはこれから日本が成熟国になろうとする時に最も留意すべき点です。ネットビジネスやリエンジニアリングの取り組みはまさにこれ。企業でも行政でも事情は同じ。途中に余計なプロセスがあると必ずバイアス(偏り)が生じます。族議員も星の数ほどある特殊法人の類も、すべてが取り除くべきバイアスなのです。



 NO.106 豊かでやりがいのある社会をめざして --2003.1.15

 世界がきな臭い雰囲気になってきました。きな臭さの当事者であるイラクや北朝鮮も、いくら強がりのアナウンスをしても、ホンネは、今更、欧米軍事大国と正面切って戦争しても瞬く間に打ちのめされるのを百も承知でしょう。装備と使える戦費のケタが極端に違う現実を見れば、考えるまでもないこと。

 それでも頑なに敵対し、自国民には、かつて日本が失敗した「偽りの誇りと国民総玉砕」を煽る。表面的にはそれを強調しても、彼らに残る現実的な抵抗手段はアルカイダの行動様式だけ。周辺国は、テロ行為は本質的には防ぎようがないだけに、アジアまでが中東のような状況になってしまっては実にうっとうしくなります。

 そんな北朝鮮問題は大きな懸案として残りますが、アジア諸国は最近では大きな紛争の懸念も減り、平和裏に発展する基盤が整ってきました。そして、紛争の危機が減れば、各国ともに本来は重要ではない軍事はほどほどにして、次の段階として国民生活の向上をめざすようになります。

 考えれば、戦争に直接関与することなく軍事大国の主導権争いの戦争特需(朝鮮戦争やベトナム戦争)をほぼ一人で謳歌できたので、日本は敗戦国のどん底から脱出できました。今度は、アジア諸国がそんな平和のメリットを享受する順番かも知れませんね。

 この地域の人々は、大方が手先も器用で真面目な人々が多い。おしなべて教育熱心で教育水準も高い。つまり、世界でも希に見る平和な発展を期待できる地域なのです。

 中国だけが話題にされることが多く、筆者も中国の成長性や可能性を高く評価する者の一人ですが、例えば自動車企業の戦略は、当面はアジア生産拠点としてタイを重視しています。投資リスクを確認しながら、徐々に中国にシフトさせるスタンスなのでしょう。

 そんなアジア情勢の中にあって、これから10-20年間は、日本の物価が下がるのは自然の流れで、これを無理に止めることはできません。アジア諸国が重要でなくなる軍事から人や資金を生活向上の生活産業にシフトすれば、各国が競って良いものを安く供給するようになるから、それが理の当然ではないでしょうか。

 それなら、日本も、本末転倒のインフレターゲット云々の議論ではなく、物価が下がることは好ましいというスタンスで、それに対応した社会・経済システムを構築しなければなりません。何かにつけてゆとりのあるうちに、その基礎固めをやっておく必要がありましょう。


 筆者は、最近、はたして今の日本にGDP(景気と言っても良い)にどんな意義があるだろうと考えます。今、単なる結果の総合指標であるGDPを議論してもあまり意味がなさそうです。例えば、GDP成長率は、2001年こそマイナスでしたがプラスで推移しています(99〜02年は、+1.9、+3.2、-1.4、+0.9)。これは、国民大多数の実感と乖離していないか。

 もしそうなら、GDPは官僚諸氏が予算金額のツジツマ合わせのために利用する意義しかないわけで、より大切なはずの予算の使い先は的外れのままに、この数年を無駄にしてきたことにもなります。GDPが上がって国民大多数の暮らしが悪くなれば、他に言いようがなかろう。

 余談ですが、ほんの数年前に、米大手ヘッジファンドのロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が破綻しました。ヘッジファンドはレバレッジ(テコ)の手法で資金の何百倍もの取引をするから大きなリスクがあり、破綻自体は驚くことではありません。

 驚くべきは、LTCMにはノーベル経済学賞の最先端研究者が二人もいて、彼らの精緻なモデルに基づいて資金を運用していたのに実にあっけなく潰れたという点です。彼らのモデルの詳細は知らないのでパスしますが、これは数学的モデルの限界を暗示しています。

 結論的に言えば、彼らがロシアの経済破綻を夢にも想定していなかったのでアッという間に破綻しました。数学的モデルは、前提条件が違ったり考慮されない事態では、どんな緻密なモデルでも何の意味もないと言う点に注意が必要です。

 そして、日本の多くの官僚や学者諸氏のGDP云々の議論もそれと同じ懸念を孕んでいます。想定するモデルに多少の違いはあっても、おそらく回帰分析的な数学的モデルイメージを思い描き、単に金額的な財政出動何兆円でGDP何%の効果かなどの想定をもとに、それをわざわざ小難しく議論しているだけの気がします。

 環境が連続的(安定的)に変化している時はそれでも一定の意義もありますが、今は、未曾有の激動期。世界のあらゆる分野の前提がことごとく変更されています。こんな時に大切なのは、どんな新しい価値基準で社会や経済システムづくりをするか、つまりビジョンです。

 当面はGDP云々はどうでも良いから、政治家は、この激動を乗り切った後にどんな世の中が待っているかを単純明快に示し、その実現に向けて推進すべき政策を訴えるべきですが、日本にそんな政治家が現れないのが歯がゆい限りです。


 そんな折り、先日、川口外相がインドで演説し、日中韓3カ国にインド・東南アジア諸国連合を加えた「汎アジア経済圏」構想を提唱したとか。数年も前から筆者も「新・大東亜共栄圏」を主張してきましたが、やっと、閣僚が公式の場で言うようになりました。

 この好機に、筆者も、もともとは地域全体の壮大な夢で時代の要請だったはずが、痛恨の旧日本軍部の介入で悪い部分だけが強調されることになった「大東亜共栄圏(新・大東亜共栄圏)」という表現をやめて、「汎アジア経済圏」と言うことにします。

 アメリカが「世界の警察として-爆弾と海兵隊-」で世界への影響力を行使する戦略なら、日本は「世界の生活産業のマザー牧場として-資金と技術者-」で世界に打って出る戦略。これが、まんざら夢物語ではなくなるかも知れませんね。

 仮にインドまで仲間に入れば、圏内人口は一挙に30億にも届きそう。何と、世界の人口の半分近くがここに含まれる。この圏域が平和裏に協力して「生活文明郷づくり」に邁進すれば、欧米軍事大国の影響力もそれほど大した意味を持たなくなります。現代に、紛争を意図しない国にまであえて軍事で挑発する先進国が出てくるとは思えません。

 それはそれとして、川口外相は凍結していた円借款復活(1100億円)をインドに伝えたそうですが、資金援助もさることながら、人の往来や援助の方が汎アジア経済圏構築にはむしろ効果的だと思います。

 アメリカは世界各地に数万人規模の海兵隊を派遣しています。日本も、最終的には専門家集団を派遣すれば資金支援がより効果的になるし、いつもお金だけで済ますと陰口を叩かれる不本意なイメージも払拭できましょう。日本は、軍人の支援は能力的・法的に困難ですが、経済・産業技術面ではいくらでもやれます。

 技術流出云々を過大に意識する人々もいますが、それは、世界と競争し世界にモノを売って成り立つ加工貿易立国の本質と、その基礎になる秒進分歩の生産技術開発の現実を知らない人々でしょう。現代企業は、少しでも一般化した技術は、より安価な生産地を求めて躊躇無く海外移転しています。

 アメリカの海兵隊に匹敵するほどの国威を具現する人的支援部隊の「産業育成支援隊」を創設する。そうして、軍事による影響力行使を実はバカげたことだと世界に認識させるのが、日本らしい方策です。国際協力事業団やNGOも似た活動をしていますが、その程度のいわば人道的云々レベルの活動では日本が世界のリーダーになる戦略としては弱い。

 世界中の人々が、自国に産業が発達して自分の生活が向上することを嫌がるはずがない。もっとも、いつの世にも頭のおかしな軍事中毒も中にはいますから、そんな輩には、日本に直接の影響がない限り「我関せず」で勝手にやらせておけば良かろう。


 筆者の頭には、「産業育成支援隊」のイメージとして、アメリカの「海兵隊」と重複した感じの組織が浮かんできます。

 ちなみに、アメリカの軍隊は5つに分かれています。陸軍、海軍、空軍、海兵隊、そして沿岸警備隊です。他の4つは名称からその「守備範囲」が明確ですが、海兵隊の位置づけは曖昧な感じでわかりにくいですね(これは対テロ組織が話題になる前のことだから、最近は少しは事情が変わっているかも知れません)。

 陸軍は、戦線も拡大し、空軍や海軍が空爆で充分に叩いて補給も万全になって出動します。海兵隊も主力は地上戦ですが、危険の大きい尖兵として上陸や拠点確保に乗り込む役回りで、機動的展開が可能なように海兵隊の中に独自に陸・海・空の能力を保持しています。

 つまり海兵隊は初期制圧のプロ集団で、モットーは「少数精鋭」を自認しており、全部でも3個師団18万人程度に過ぎないそうです。そこに、陸・海・空全ての装備と人材を備え、短期間であれば、単独であらゆる軍事活動を遂行する展開力があるわけです。

 確か、沖縄には、第3海兵遠征軍の約2万人が駐留していると聞きます。彼らは誇りだけが拠り所の精鋭でも、給料は安く、特に過酷な軍事活動要員のために若い兵士中心の粗暴な人々も少なくないようで、沖縄に限らず世界各地でヒンシュクを買うことも起きがちです。

 一方、筆者が思い描く「産業育成支援隊」は産業現場経験豊富な技術者中心の集団だから、派遣先で尊敬されることはあってもヒンシュクを買うこともなかろう。もちろん、軍事力はないから、紛争の危険があるところには派遣してはいけませんね。

 産業育成支援隊の受入れを希望する国は、自ら紛争を放棄しなければなりません。でも、持参金(円借款など)付きで産業力向上を手伝ってくれる専門家集団に来てもらえるなら、バカバカしくてドンパチやっている場合ではない、と思う人々も少なくないのではなかろうか。

 アメリカは「ムチ」で世界に圧力をかけるが、日本は「アメの太陽政策」を施して世界の生活産業の発展を促進する。そうすれば、最終的には世界最高の民生用製品や技術開発を得意とする日本のお客が増え、日本の時代になる。日本ならそれをやれると思うのですが、どうでしょうか。


 先日、ブッシュ米大統領が今年初の閣議を開き、米景気の本格回復を図るための「新総合経済対策」の概要を決定したとか。向こう10年間の減税拡充など6700億ドル規模で、内容としては、株式配当課税の全廃や失業給付金の給付期間の延長などが柱だと聞きます。

 アメリカは軍事でも経済でも考えることが大胆で、とにもかくにも将来の社会を担う企業にお金が回るしくみづくりが何より大切で、それが前提となって経済も雇用もうまく回ることを知っているようですね。市場主義経済で何が大切なのかを良く心得ています。

 日本もそれくらいの抜本的改革を行わなければ、経済の再生は期待できまいに。もう10年以上も半端政策を繰り返してズルズルと国力を食いつぶしています。


 ところで、九州の阿蘇地方などの広大な高原地帯では、牛の放牧地を広範囲な「野焼き」で若返らせます。子孫繁栄のために、新しい草が芽吹いて成長するのに邪魔な古い草を焼いて、新しい草の成長を促進する栄養になってもらうわけです。

 また、アメリカなどの山火事は日本と違う対応をするとか。適当な所で延焼を止めたり、人家密集地に火の手が及ぶのを防ぐ類の活動はするが、あえて消そうとはしない。山火事の規模が大きく消そうにも消せないというのもあろうが、それだけの理由ではありません。

 これらの山火事は自然発火で起こる事も多く、それは森が天命を果たすことで、結果として古い森が消滅しても新しい森が芽吹く。若い樹木は新陳代謝旺盛で、大量の二酸化炭素を吸収し大量の酸素を出すから動物にもそれが好都合。自然の摂理にかなっています。

 人間が相対する自然が巨大であればあるほど、それを管理しようにも管理する人の能力に限界がある。家の庭や自分の山に植林した程度の自然なら管理もできるが、大自然は管理しようにも管理できないし、半端に管理しない方がむしろ良い結果になるのです。

 国の経済政策(産業政策と言った方が適切か)にもこのスタンスが大切です。経済規模が小さい発展途上国ならともかく、日本経済は世界第二の巨大規模だから、国が目先の公共事業などで経済全体をコントロールできると寝ぼけたことを考えても所詮は無理なことでしょう。

 「まず景気回復が最優先なので、とりあえずダメ企業も助けよう」と言うと道徳的人格者にも見えがちですが、それでは最後は国自体が破滅する。国を食い物にする族議員や悪徳官僚と彼らと連む一部の利権集団が不自然に太るだけで、今の日本の状況が如実に物語っています。

 国の経済政策は、そんなことより、仮に事業が失敗したりあるいは失業しても、もう一度やり直すための機会づくりや社会制度の整備に全勢力を絞って傾注すべきです。それは税制の工夫であり、あるいは金融や福祉や教育や地方分権などのあり方に関わる範疇の施策でしょう。

 公共事業などの目先の人為策で経済全体がうまく機能するのは、発展途上国のように経済規模が小さい国だけ。経済大国や成熟国の政治家は、それを肝に銘じておくことが必要です。人間も、結局は自然の摂理に逆らうことはできないということを。

 これからの日本がめざすべき途は、単純な賃金や経済の拡大ではなく、真に豊かでやりがいのある社会のための「生活文明郷--汎アジア経済圏--技術貿易立国」の国づくりだと思います。

NO. 1〜 8
NO. 9〜15
NO.16〜26
NO.27〜45
NO.46〜56
NO.57〜65
NO.66〜76
NO.77〜84
NO.85〜87
NO.88〜92
NO.93〜98
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